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鈴木邦男氏の「右翼は言論の敵か」を読んでいたら、大東塾の故影山正治先生の「維新者の信條」が掲載されていた。鈴木氏は次のように書いている。「自分がどんな生活をしているのか、何を叫ぶかではなく、どんな生き方をしているかを問うのだ。まさに「自己維新」だ。これは、古い右翼への決別の言葉としていまも光っていると。
一、維新者は、その本質に於いて何よりも国体信仰の把持者でなければならない。
二、維新者は相対的な理論の世界を越えなければならない。
三、維新者は涙と詩をもてるものでなければならない。
四、維新者は剣の精神の把持者でなければならない。
五、維新者は深き愛の所有者でなければならない。
六、維新者は強烈無比なる道心の把持者でなければならない。
七、維新者のことたるまことに一大事、萬夫不當の大丈夫にして初めての維新者たることを得る。
八、維新者は正しい意味の浪人でなければならない。
九、維新者は信義を重んずるものでなければならない。
十、維新者は正しき女性の尊敬者でなければんらない。
十一、維新者は悲しみの理解者でなければならない。
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2013年10月08日
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百済観音を会津八一の「あめつちにわれひとりゐてたつごとき このさびしさを君ほほゑむ」と歌った。会田雄次はこの歌は夢殿観音にささげられたものらしいが、百済観音のほうにはるかにふさわしいと思われるとして、あの孤独の姿は孤独に立ちつくしえないでくずれ落ちるのではないかという不安さを与えることで人をひきつける。人の保護本能を呼びおこすことで自分の身を守るという、あの幼児や女性の自己保存手段の純粋化だといえると。
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山本七平は「未来は仮設の中にしかない」としている。そして、山本は次のように書いてる。昨日まで絶大な権威をもち、多くの人から賛美されていた者が一瞬にしてその権威も賛美も失い、非難と罵倒の対象となると。小泉元総理もそんなことにならないことを願いたい。
山本はエラスムスの「愚神礼賛」で記した"愚者"のように「天地創造のときの神の助手を勤めたかの如く思いこみ」宇宙のすべても人類の歴史も自分が書いたシナリオ通りに進むと勝手に信じ込めば、思いもよらぬ事態の出現で、その人は混迷に陥るかもしれない。だが陥ったのはその人であって、世界ではない。
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戦後の日本は「建て前」が「かけ声」の代わっただけのことである。だれもが、実現不可能な、やってもやらなくても測定できないかけ声をあげ、かけあい、陶酔しあっているだけのことである。と会田雄次は「現代にひそむ神話」で書いている。平和主義とか、平和憲法というものではないのか。
会田は戦後の日本は戦前のなにものかを―善悪をとわず―失っただけで、何ものを創出していない、会田は戦前の10数年の日本と同じく、現在までの日本をも完全に否定したいのであると。これこそ、戦後レジームの脱脚ですね。 今日は、会田雄次の本を読みたくて、予約した会田雄次の本を貸出を受けてきた。会田は「極限状況を設定すると、この「無限努力」「絶対」 「純粋」などという絶対の観念が、架空の楼閣であることいっぺんに証明してしまうと。会田雄次こそ、日本人的思考の構造を丹念に分析した知識人であった。 梅原猛は、会田雄次の歴史に対する非情な見方というか、歴史というものは、人間の善意を超えたもので動いているのだという考え方ですね。と述べている。会田の歴史観はイデオロギーなしの、価値観なしの歴史の冷たい見方が必要であるということだ。当分会田雄次の本に夢中になるようです。 |






