【沖縄問題】「どこつかんどんじゃボケ、土人が」機動隊員が反対派に暴言 反対派は隊員を「ヤクザ」呼ばわり - 産経ニュース 機動隊をヤクザと言って、フェンスを揺すって妨害活動は違法行為でないのか? sankei.com/affairs/news/1… @Sankei_newsさんから |
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2016年10月19日
|
テレビ朝日スーパーチャンネルで高市総務大臣、加藤国務大臣の靖国神社秋季例大祭参拝を報じた時に、中共と韓国から反発されると放送した。世界の何処に大臣が、自国での英霊の御霊の安らかなこと、平和の祈りをすることに他国から内政干渉されることはない。
|
|
わが人生で大恩人がいるとすれば、故八田貞義代議士である。会津の素封家に生まれ、八田家は会津若松の農地用水である戸の口堰を私財を掛けて建設した。父親の八田宗吉も代議士を長く勤めた。戦前の会津の政友会の大物であった。陸軍参与官になったが、軍部の暴走には反対だったので、青年将校に命を狙われたこともある。政治信条は「真実一路」。清廉潔白で学者の良心を政治に生かすことを貫いた。 八田貞義先生は野口英世と同じ臨床医ではない、基礎医学・細菌学を研究して日本医科大学教授に就いた。八田貞義先生は代議士は9期当選をされ、池田内閣で官房副長官、農林政務次官自民党恩給制度調査会長、自民党政務調査会副会長、自民党社会部長、自民党商工部会長、衆議院商工・文教・環境の各常任委員長を歴任した。同じ選挙区に宏地会の同僚である伊東正義先生がいたので、前尾繁三郎元衆議院議長が宏地会内部の派閥闘争に負けて失脚して、大平正芳元首相が宏地会を握ってからは陽のあたる場に立つことはなかった。
私は、八田貞義先生の晩年に私設秘書になった。当選と落選と波乱万丈であった。そこで、人間政治家八田貞義先生との10年間は厳しいかったが、楽しい思い出も多くあった。八田貞義先生の地盤は、大東亞戦争での遺族会、傷痍軍人会、軍人恩給連盟であったが、いわゆる大東亞戦争で、祖国のために散華した英霊の遺族、戦争で傷ついた傷痍軍人、尊い青春を戦争に捧げた軍人恩給連盟である。これらの組織が私を会津若松市議2期、福島県議会議員4期当選の原動力になった。衆議院選挙に立候補した時は、遺族会、傷痍軍人会、軍人恩給連盟も会員減少で解散したものまであった。
|
約27年間の違法性が論点に 蓮舫氏の台湾籍離脱手続き:朝日新聞デジタル asahi.com/articles/ASJBL…民進党蓮舫代表は国籍法違反を続けていた。 |



