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賢人たちの世は、会津若松市議になる直前、たしか、読んだと思う。賢人の3人の政治家は自民党という政党に保守とは何か、日本の国益とは、研ぎ澄まされた政治感覚があった。城山は椎名悦三郎氏は仙人、前尾繁三郎氏は学者、灘尾弘吉は詩人・宗教家の趣きがある。そして、城山はこの3人を政治家としての筋を通すことで、そうした風格のある存在となり得たのでもあろう。と書いている。前尾先生には、京都の比叡山の青年研修会をされていた。私も何回か参加させていただいた。恩人の八田貞義代議士が前尾派だったからである。前尾先生こそ、今も理想の政治家である。
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本の感想・・
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日本社会はかつて提灯型社会と言われた。中間層が分厚くて、上下の格差が小さい、そういう社会です。経営者と平社員の間も収入、報酬がそんなに開いていない、そういう社会。もちろん当時も貧困層は存在しました。
ところがいまの日本は、提灯のような形した風船を横からギューッとプレスするように潰すした形になっています。横から押さえつけるので、縦長の楕円になる。
このような圧力がかかると、下が出張ってきますから、貧困層だけが増えるわけではない。横からプレスしているから、真ん中が細くなっています。同時に中間層が弱まっていくわけです。
湯浅氏は日本の現状を富裕層は150万人。一方、生活保護を受けている人が157万人ですから、ほぼ見合っている。その数は年々、5%ずつ増えていくと言われており、縦長に伸びていきます。これをさらに横からプレスし続けたらどうなるかというと、最後は破裂する。破裂する直前の形は、真ん中が細く上と下が膨らんだ、ヒョウタンの形になります。アメリカ型社会がこのような形といわれています。中間層が弱くて、上下に二極化された社会です。と書いている。
日本の最大の課題は、中間層をいかに強くするのか。そして、間違った新自由主義・規制緩和・労働強化を是正して、いくのかが日本の課題だと思う。湯浅氏の考えに賛成したい。また、中島岳志氏が現在の日本における生活保護の補足率は15〜20%といわれています。つまり、最低限度以下の水準で生活している人の8割以上がもらわずに生活している。二番目の層の社会保険でも、雇用保険の失業給付などは、そう簡単にもらえなくなってきている。中島氏が保守の思想を持ちながら社会政策・としての貧困の課題を解決しょうとしていることの感激しています。
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【極楽寺殿消息】 は全文98條からなるが、そのうちの、いくつかを紹介すると。
一 、ほうこう(奉公)みやづかひをし給ふ事あらん時は、百千人の人(主人)をばしり給ふべからず。君のことを大事の御事におもひ給ふべし。いのち(命)をはじめて、いかなるたからをもかぎり給ふべからず。たとひ主人の心おほやうにして、おもひしりたまはずとも、さだめて佛神の御かご(加護)あるべしとおもひたまふべし、みやづかひとおもふとも是もこなひ(佛道修行)をすると、心のうちに思(ふ)べし。
一、 たのしきを見ても、わべしきを見ても、無常の心くわんずべし。それについて因果の理を思ふべし。生死無常を観ずべし。
奉公を(佛道修行)と同じに心得よ、かりに主人の眼が行き届かず、正當な評價を得られなくても、必ず「佛神の加護」があると思えと、六波羅探題をつとめたこの武人は説いている。
一極楽の道しるべをたづぬれば心の中の心なりけり
返々はづかしくおもひたてまつれども、いのち(命)はさだまりてかぎりある事なれば、いつをそれともしりがたし。(中略)露の命の生死無常の風にしたがふならひ、其(身)ばかりはかげろうのあるかなきかのふぜい(風情)也。心におもひいだすをはゞからず申也。」
参考「死の日本文學史 村松剛 中公文庫」
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先ず、シュミットはカトリシズムとの関係がよく言われるが、彼の著作である。『政治神学』において「近代国家の重要な概念は、すべて世俗化された神学概念である」という概念である。シュミットは、近代批判を、個人主義、自由主義、、そして法冶国原理を批判することによって成し遂げた。それは批判の対象として過去と現代をもって近代をはさみうちにするシュミット独特の批判であり、自由主義国家、さらに法冶国家を、批判の対象として過去と現代との中間にすえようとするものであると言えようと。なんとなれば、彼の態度がドイツに伝統的なロマン主義であり、スコラ主義的であり、論争的であったからであり、その意味でカトリシズムへの接近は容易であったはずである。というのも、論争における敵・味方は、道徳的価値としての善・悪を区別するものであり、そこには宗教的価値観が混入するものであるからである。
「あらゆる歴史認識は、現在の認識であって、現在からしてその照明とその照明とその緊張を得るものであり、かつもっとも深い意味で現在にのみ奉仕するものである」という基本的立場は、シュミットの全著作をつらぬいている。下崎光史氏はそれが「もっとも深い意味」であるか否かは別として、かれの理論は、常に一定の政治的目的を不動の座標軸として構成されていた。20世紀初頭の欧州がくぐらなきえればならなかった急激な変転の時代のあとは、「政治的ロマン主義」の本質についてのかれの命名になる「機会原因論」的な刻印として、かれの理論にもはっきりとどめられていはするが、1910年代に始まるシュミットの理論的著作はことごとく思想上の相対主義的自由主義、その政治的表現としての自由主義国家観、人類的民主主義に基づく議会主義の打倒をめざしていた。理論の背景ないし基軸をなす自覚的現在化、政治的なものの概念、議会主義の本質把握、主権理論、政治神学はすべてそれに奉仕するように構成されていた。
シュミットは、政治とは同盟者と敵対者とを区別するために、国家に戦いを挑む友・敵の配置から生じるものである、と定義した。友・敵の配置は、すぐにもあり得ることと考えられるべきである内乱と国家間の戦争状態のおいて、明らかになる。すべての人間集団は、その起源において経済的なものであろうと、宗教的なものであろうと、人種的なものであろうと、極端な闘争に入り得るものである。だから、国家は、市民を内外の敵から守る組織であるが故に、価値があるのである。
シュミットは、国家の営むこの防御的抑止的な機能を、人間的事業におけるすべての法と秩序を守る必須条件であり、それを保障するものである。と考えていた。
長尾龍一氏の「シュミットの現代と過去で近代をはさみうちする思考」という推定している。長尾氏の言われる「現代」はシュミットにとって「常任認識の源泉」であり、それに対して、「過去」は、彼にとって「理念を提供するもの」であったと。その意味で、シュミットにおける状況認識tとそのイデーとの結合は、シュミットの地平を、現在にありつつも、実は、それを過去に向ってのみ開かれたものとしているのである、と。
シュミットは『独裁論』の序文で次のように述べている。「あらゆる独裁がある規範の例外を含んでいるということは、任意な規範を偶然的に否定することを意味しない。独裁の概念の内在的弁証法は、まさにその支配が独裁によって歴史的、政治的現実の中で保障されるべきところの規範が否定されるということに存する。実現すべき規範の支配とその実現の方法との間には、かくの如き対立が存しうる。法哲学にはここに、つまり放規範と法実現規範との一般的に分離可能性の中に独裁の本質が存するのである」と換言すれば、『法規範と法実現規範との対立」の中に独裁の本質が求められるのである。
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中河與一は日本浪漫派の代表的人物である。保田輿重郎、亀井勝一郎、林房雄、浅野晃、伊東静雄、等の文士が同人である。愛恋無限は中河與一の世界的な小説である「天の夕顔」と共に人間の尊厳ーとりわけ、愛の久遠性を昂揚する中河文學の、真髄であるといわれる。背信のない、それゆえに異常な克己要する。愛の久遠性。中河文學の主潮である。と小高根二郎は書いている。そして小高根二郎はこの小説は・・・柿本人麿の「今のみのわざにあらず古のひとぞまさりてねにさへ泣きし―と云う、人麿の慟吠による現代肯定と、それにいや増す古代憧憬にほかならぬからである。としている。私もそう考えている。
中河與一は坂出町(現在の坂出市)にて、代々の医家の長男として生まれる。家業を継ぐことを嫌って文学に傾倒し、丸亀中学校(現在の香川県立丸亀高等学校)在学中には『香川新報』(現在の『四国新聞』)の懸賞小説に一等入選。
1919年、早稲田大学予科文学部入学。1920年、同郷の紙問屋の娘で津田英学塾(現在の津田塾大学)の学生だった林幹子と結婚した。後年、幹子は歌人として立ち、歌誌「をだまき」を主宰して高瀬一誌や蒔田さくら子を育てたほか、共立女子大学教授も務めた。
早稲田大学英文科在学中、雑誌「新公論」に発表した『悩ましき妄想』(のちに『赤い復讐』と改題)で文壇デビュー(のち大学は中退)。1922(大正11)年、歌集『光る波』を刊行。菊池寛主宰の「文藝春秋」の編集同人、「文芸時代」の同人に加わり、『刺繍せられた野菜』『氷る舞踏場』など、新感覚派の作品群を残す。1936(昭和11)年に完結した『愛恋無限』で、透谷文学賞を受賞。
戦時下は民族主義に傾いた。
代表作に『天の夕顔』『失楽の庭』『探美の夜』『古都幻想』など。なかでも1938年(昭和13)に発表された『天の夕顔』はゲーテの『若きウェルテルの悩み』に比較される浪漫主義文学の名作として各国語訳され、西欧諸国でも高い評価を獲得。戦後、英語、フランス語、ドイツ語、中国語など6か国語に翻訳され、アルベール・カミュから激賞された。
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