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今日の天候は、どうなのかな空をもみ上げたら、曇りだった。雨が降ると大病して、後遺症と生きている僕にとってきついことになる。でも、今日こそ、図書館に行きたい。文字中毒みたいなこともあるが、文字を眺めていたいということもある。ここ、一週間は、山崎方代の「石ころの歌」。尾崎放哉、種田山頭火、そして、山崎方代という歌人の歌に溺れていた。平日だから、図書館も人はまばらだった。
泥臭い無用の放蕩の歌人。大東亜戦争で負傷した傷痍軍人であり、結婚もしない。就職しない。家も財産のない・・・・そんな人なので、僕も溺れてしまったので。文字ということでなく、思想性のある本を読みたくて、図書館をうろついていたら、ボイスの平成24年5月号に橋爪大三郎氏の巻頭言が書いてあったものでゆっくり読んで考えることが出来た。
週刊読書人と、中央公論についても吉本隆明さんのことが書いてあったので、このブログに想いを書いたけれども。この橋爪さんの書いていることが吉本さんの僕たちの残したものだと考えるので紹介したいと思う。橋爪大三郎さんは、・・
「吉本隆明氏は、大衆の欲望を肯定したが、大衆に迎合するポピリズムではなかった。大衆を統治や操作の対象とみる、官僚や専門人に対して本能的な敵意を燃やした。「知識人が大衆を指導する」という古典的なマルクス主義の図式を吉本氏が壊したおかげで、知識人も大衆も頭の中身は同じ、というフラットな状況が実現した。インターネットが実現したデジタル情報社会がこれである。この状況と格闘せよ。それが、吉本隆明氏の残した宿題ではないか」としているのである。
大東亜戦争中は、軍国少年であり、日本浪漫派の保田輿重郎の滅びの思想に共鳴し、戦後は、マルクス主義に近い場所にいたが、そこには、単純な左翼ではなかった。複雑な知の巨人であった。共産党、新左翼の特定の一派としてではなく、本物の反権力の人だと思う。僕は「反帝国主義・反スターリズム」という思想に批判的なものですから、かって、新民族派の運動があり、新左翼の運動にかかわった人も吉本さんの思想に共鳴している。それに、反核異論・原発問題にしても・・・深い洞察力である。
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本の感想・・
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ウルフの評論集で、ロシア人のものの見方について面白く書いている。ロシア文学を創り出しているのは八ッバーク・ライト博士がロシア人民を象徴すると考えた「深い悲しみ」である。としている。そうして、ドストエフスキーの人間の魂が浮かび上がるのである。ウルフはドストエフスキーについて「彼にとって身分の高い人であろうと低い人であろうと、浮浪者であろうと偉いご婦人であろうと皆同じなのだ。誰であろうと、この複雑な液体、このもやもやした発酵性の貴重な物質、つまり魂をいれる器なのである。魂は障害物に拘束されない。それは溢れ出、洪水となり、他人の魂とまじり合う。ぶとう酒一本の代金が払えない銀行員の単純な物語が、どうなっているのか分からないうちに、彼の義父とその義父がひどい扱いをした五人の妾の話にと発展し、それから同じアパートに住んでいる郵便配達人や雑役婦や王女たちの生活に広がってゆく。ドストエフスキーの領域には何一つ入らないものはないからである。しかも彼は疲れて止まらずに前進する。自分を抑えることができないのだ。熱く、やけどさせるように、まじり合い、驚くべき恐ろしい状態で、おおいかぶさるように、私たちの上にころがり出して来るのである―人間の魂が」と。
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いつも行ってる図書館で、見つけた・・ついに。「風天渥美清のうた」森英介さんが著したものである。一気呵成に読んでしまった。気がついたこと、感動するところを書いてみたい。この本では、渥美さんの俳句も掲載されているので、考えてみたい。森さんは、渥美さんのこんな俳句を紹介している。
△映画
さくら幸せにナッテオクレヨ寅次郎
小春日や柴又までの私舟
△旅
村の子がくれた林檎ひとつ旅いそぐ
そば食らう歯のない婆や夜の駅
はるかぜ口笛よくにあう
残暑の辻行商の人立止り
いまの雨落としたもみじ踏んで行く
名月に雨戸とざして凶作の村
ずいぶん待ってバスと落葉いっしょに
夜光虫夜釣の客の軍歌かな
雪渓砲音ひとつあと風ばかり
案山子ふるえて風吹きぬける
雲のゆく萩のこぼれて道祖神
がばがばと音おそろしき鯉のぼり
お遍路が一列に行く虹の中
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「地球の年齢は三十億年であること、人間の一生はわずか一秒しか続かないこと、それなのに人間の心の可能性ははてしないこと、人生は無限に美しいが一方ぞっとするほど汚いこと、私たち人間の仲間はすばらしいが、また胸が悪くなるほどいやらしくもあること、科学と宗教が両者の間で信仰を破壊してしまったこと、団結のきずなはすべて打ち砕かれたように見えるが、しかしある統制は存在しているにちがいないこと−作家たちが今創作しなければならないのはこういった疑いと争いの雰囲気の中であり、抒情詩という織細な織物は、バラの花びらがごつごつした大きな岩を包むには適していないように、こういった見解を述べるにはふさわしいものではないのである。」
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ローレンス・スターン(Laurence Sterne, 1713年11月24日 - 1768年3月18日)は18世紀イギリスの小説家、牧師。未完の長編小説『紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見』(以下、『トリストラム・シャンディ』と呼ぶ)の作者として知られる
「時はあまりにも早く移ろいゆく、私がたどる一字一字はなんと駆足で生命が私のペンを追いかけてくるかを告げる。残された日数、時間数は、いとしいジェニ−よ、お前の首にかけているルビ−よりもっと大切なものなのだが、風の日のちぎれ雲のように私たちの頭上を飛んでゆく、そして二度ともう帰ることはないのだ、あらゆることが先を急いでいる−お前がその巻毛をいじくっている間も−ほらごらん、お前の髪も白くなっているだろう。私がさようならを言うためにお前の手に接吻するその一回ごとが、そしてその後につづく不在の一回ごとが、私たちが間もなく直面しなければならないあの永遠の別れの前奏曲なのだ。天が私たち二人にお恵みを下さらんことを?」、『トリストラム・シャンディ』の一節。
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