真正保守を訴える

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谷崎潤一郎「細雪」

「細雪」は昭和10(1935)年に結婚した松子夫人とその姉妹をモデルに、上方の上流階級の優美なる日常を書きつづった谷崎最大の長編だ。
 松子の実家は大阪で名の知れた一族で、美人4姉妹として有名だった。松子は次女。長女は婿をとって実家を継ぎ、松子の下にまだ未婚の妹、重子、信子がいた。実家は家が傾き、長女一家は家をたたんで東京に出ることになるが、妹たちは松子のところに身を寄せていたため、谷崎と松子が結婚した後もそのまま谷崎家に住むことになる。
 谷崎はその姉妹の生活を細やかにスケッチし、物語を編んだ。とりたてて、大きな事件が起きるわけではない。やや行き遅れた感のある重子(作中では雪子)の結婚話を中心に、昭和11年の春から昭和16年の春まで、足かけ6年が書き込まれる。音楽会にでかけるため帯を選ぶ姉妹を描く冒頭から、5度の見合いをへてやっと結婚が決まるまで。春は花見、初夏はホタル狩り、季節の行事を、着物の文様ひとつひとつ描き込むようにていねいに描写していく。

はかなさを美しく描いた花見の場面谷崎潤一郎の人生に多大な影響を与えた根津松子と谷崎が初めて出会ったのは、昭和2(1927)年のことだ。関東大震災にあい、関西に移住してきて4年後の出来事になる。谷崎41歳、松子24歳の春。
 2人は8年後に正式に結婚することになるが、松子にはそのとき大阪・船場でも1、2を争う大店の1人息子である夫があり、子供もいた。谷崎には横浜から呼び寄せた妻、千代と1人娘がいる。お互い家庭を持った身の上、その2人がどう出会い、愛をはぐくんでいったかは、谷崎晩年の随筆「雪後庵夜話」や、松子が書いた「倚松庵の夢」に詳しい。
 むろん事実そのものが素直に語られているかどうかはわからない。谷崎はそのわずか数年の間に、最初の妻だった千代と別れ(有名な佐藤春夫への譲渡事件)、2人目の古川丁未子と結婚・離婚するというややこしい生活を送っている。その間に船場のご寮人である松子に思いを募らせるわけだが、谷崎が丁未子と正式に離婚し、松子と同棲(どうせい)生活を始める昭和7年ごろまで、2人が純愛だったかのように書いた松子夫人の記述には、疑問を呈する声も強い。
 しかし、歴史はいつも長生きし、言ったもの勝ち。実際、松子夫人が書いた「倚松庵の夢」(1967年中央公論社)を今回初めて読んだが、実に見事。そして、自身の演出もうまい。

 

気品ある御寮人様を“文で殺す”ラブレターできれば一度、図書館からでも借り出してきて読んでみてほしい。根津松子は「細雪」の次女・幸子のモデルであり、その暮らしぶりは作品の随所に生かされてはいるが、「倚松庵の夢」には「細雪」より生々しい当時の暮らしぶりや思いなどが描かれて興味深い。
 この本の中では、松子へあてた谷崎の私信も紹介されている。その内容がすごい。
 「はじめてお目にかかりました日から一生御寮人様にお仕え申すことができましたら、たとえそのために身を亡ぼしてもそれが私には無上の幸福でございます。この4、5年来は御寮人様のお蔭にて自分の芸術の行き詰まりが開けてきたように思います
 「私には崇拝する高貴の女性がなければ思うように創作できないのでございます。しかし、誤解遊ばしては困ります。私に取りましては芸術のための御寮人様でなく、御寮人様のための芸術でございます
 どうです。すごい殺し文句。しかも、それが人気絶大の文学者から毛筆書きで届けられるのだから。
 貞淑なる妻でも膝が抜けるような陶酔感に襲われそうだが、むろん松子はそんなやわな婦人ではないし、若いころからアンモラルな人生を賛美してきた谷崎が単純な女に傾倒するわけがない。

  そもそも、2人の出会い方からして、当時のご寮人さんが決して深窓に引きこもった生活をしていたわけではないことが伺い知れる。

 松子が嫁いだ根津家は大阪屈指の綿布問屋で、夫の清太郎は船場最後の“ぼんぼん”と言われる道楽者、「細雪」のぼんぼんのモデルにもなっている。色街の名妓との付き合いも多く、そのご寮人さんとしての暮らしは、こちらも大阪で名の知れた永田造船所の一族出身のお嬢様だった松子には、息の詰まるような生活だったらしい。
 手持ちぶさたに読書に励む女性だった。とりわけ好んだのが芥川龍之介で、機会があれば会ってみたいと思っていた。それが実現するのが、また根津家の実力でもある。夫の行きつけの南地(大阪ミナミの色街)のお茶屋の女将が芥川を知っていると聞き、来阪の折には会いたいと頼み、早速その機会が訪れる。招かれた座敷にいたのが谷崎だ。谷崎と芥川は当時、文学論争を盛んにしかけていたときで交流があった。
 翌日には南地のダンスホールで芥川ともども遊んでいる。「タキシード姿の谷崎の礼儀正しさに驚いた」と書くが、馴れるうち、チークダンス、タンゴ、ワルツと楽しむ。芥川は相手にならず、半年後に自殺している。
手持ちぶさたに読書する才女一方、谷崎とは家族ぐるみで付き合いが始まり、根津家の別荘の横に谷崎一家が住んだり、また別の場所に隣通しで暮らしたり、同棲、そして結婚まで、もつれるような関係が築き上げられていく。
 「夏の夜の鞆の泊まりの浪まくら 夜すがら人を夢に見し哉」
 旅先から歌を寄越す谷崎に松子はこう返す。
 「夜もすがら枕に通う清滝の 音をこそ我のささめきときけ」
 2人の秘めたる愛が燃え上がる光景が目に見えるようではないか。
 松子の夫は放蕩(ほうとう)がすぎてさすがの根津家も破産。松子の離婚が成立、2人は晴れて夫婦に。そして79歳で谷崎が亡くなるまでの40年間、2人は添い遂げることになる。
 松子の何がそこまで谷崎を引きつけたのか。
 
 「夏の夜の鞆の泊まりの浪まくら 夜すがら人を夢に見し哉」
 「夜もすがら枕に通う清滝の 音をこそ我のささめきときけ」
男女の愛は深くて淡いもんですね。二人の燃えあがる恋ですね。
一度会ったら忘れられない人があり、吉本はその最たる人である。前にも一度、父としての吉本を見かけたことがある。本郷の通りを子供さんを抱いて歩いていた。私はその抱き方に目をみはった。インテリが子を抱く抱き方ではない。ああ、あの子供さんはしあわせだな、と私は思った。その人の一挙措で、その人の全思想を実感させることがあるのではないだろうか。人間とその表現文を分離するのは、丸山真男で結構である。
「哲学は真理だけを相手にしているようにみえて、もしかしたら空想ばっかり告げているのかもしれなくて、文学は空想にかまけてばかりいるようにみえて、もしかしたら真理を告げているかもしれない」
 
出し抜けに前の日に効かれた質問に答えることもあれば、まだ起きてもいない出来事を覚えていたり、おなじ幻滅を二度あじわってつらい思いをすることもよくあった。《イタリア広場》
 
時間というのは目の前に解けていくリボンみたいなもので、はじめての道を車で走っているとき気になるのが唯一、次の曲がり道のむこうに何が現れるかということなのと同じだ。
(・・・・・・・)世界が内側に反転して、記憶でしかなかったものが現在に、ほんとうの、あるいはそうであるべき私の、思い上がったいまは仮想のいまとなって、私はそれを遠くから、まるで逆さ望遠鏡をのぞくみたいにしてながめている。(河・いつも手遅れ)
 
わたしはまだよくわからない。つまり、人間が通り抜けて時間が不動であるのか、時間が通り抜けて時間が不動であるのか、時間が通り抜けるのであって不動なのは人間のほうなのか。いずれにしても、この本の登場人物たちは、手遅れという感覚をどこかで抱いている。自分自身に対してさえもだ。あるいは、先回りしてしまったと思ったり、手遅れだと思ったりする。(・・・)この本のなかでは、特に愛が時間からはみだしていると思う。
(ネット上で・いつも手遅れ)
 
人は物語を書くようになると、その物語の世界を模索するようになり、物語をひとつ書き終えたあとも、そうし続けるのです。(・・・・)本は、膨張を続ける小さな宇宙なのです。
(人は見かけによらぬもの・いつも手遅れ)


 図書館で今日は、どんな本を読むのか考えたら、埴谷雄高の「ドストエフスキィ・その生涯と作品」を見つけ読むことにした。埴谷雄高自身がアナーキズムであるから、ピータークロポトキンのドストエフスキイについて語らせている。「ロシア文学の理想と現実」のなかに、ドストエフスキィについてこういう記述があります。「彼は非常に迅速に書いたからして、ドブリューボフの指摘したとおり文学形式は多くの点で批評以下である。主人公は凡長な話し方をし、絶えず独言を繰り返し、主人公が小説で話している場合にも、作者が話ししていると感じる。(殊に虐げられし人々はそうだ).。のみならず、これらの重大な欠点に加えて、極端に浪漫的で陳腐な形式のブロット、無秩序な構成、事件の不自然な連続―後年の作品に瀰漫した癲狂院の雰囲気について触れないにしろ―を数えなければならない。それにもかかわらず、ドストエフスキィの作品には非常に深い現実観が浸透していて、もっとも非現実な性格とならんで、われわれが熟知している現実的な性格を感じ、以上のあらゆる欠点を救っているのである。」
 
 ウォインスキィは「そうドストエフスキィは−彼が現代最大の作家だ。トルストイでもなく、ドストエフスキィだ。トルストイはヤスナヤ・ポリヤ−ナのような広い平原だが、ドストエフスキィは、この自然のような山岳ふうな魂をもっている。それは高く、そして、深い。」と。埴谷雄高は「ドストエフスキィの何か奥底の見渡せない謎、神秘性、矛盾したもの、隠れた暗さのなかの新しい偉大さを発見したのでした。しかも、こうした評価は、クロポトキンのいう「曖昧な観念」も「神経質な昂奮」もともに人間の本質にかかわり、現代社会に直面した個人に特有なものであることをはじめて明らかにし、そして、まさに20世紀の複合的な人間の道ならしをしたとさえいえます。そして、このような新しいドストエフスキィ評価の流れは、他方、表と裏、明と暗、白昼と夜ともに深く見ようとする根強い文学観となって現在までつづいているのです。この本でも書いてありますが《異常な体験のなかに発見した生々しい思想というプラスXが、ドストエフスキィを時代を超え、場所を超えて成長する作家にしたのだと。いうのが埴谷雄高の結論です。私も納得です。
 
 
 フロイドは言う観念内容と感情とが、また、自責の激しさと自責のきっかけとが釣り合っていないとき、素人は言うだろう。その感情はそのきっかけにくらべて激し過ぎる。度外れである。したがって、自責にもとづいた、自分は罪人であるとの結論は誤っていると。しかし、医者は反対のことを言う。いや、その感情はもっともである。罪の意識は、どうのこうの文句をつける筋合いのものでなく、まだ知られていない(無意識な)別の内容についてのものだって、まずこの内容を探し出さなければならない。すでに知られている観念内容は、偽りの結びつきによって、まだ知られていない観念内容とすり変えられているに過ぎないと。
 
 フロイドは「強迫神経症の一例のに関する考察」のなかで「病歴を分析的に追跡してゆけば、われわれは、相次いで生じてくるが内容は異なるししばしば数多くの強迫観念は根本において同一のものであると確信するようになる」と言っている。
 
 彼(強迫神経症者)が主張した彼の思考、感情、善意および悪意の全能のことを考えて見よう。この観念を強迫神経症の範囲を逸脱した妄想として説明する試みはたしかにつまらぬものではない。ただ、わたしはずっと以前に冶って現在は正常な生活を送っている。別の強迫神経症者において同じ確信(自分が全能であるという確信―訳者)
を見出したことがある。本来、すべての強迫神経症はあたかもこの確信を持っているかのようにふるまうのである。

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