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これは、今後記すにあたって私が感じているかけねなしの実感でもありますそして同時に、ここ二十年あまり続いた新自由主義と新保守主義アマルガムとしてのグロ−バル主義の覇権システムが明瞭に行きづまりを見せている現在、グロ−バル資本主義の産物である非人間的な棄民社会の現実によって深く傷つけられた「ロスジェネ」と呼ばれる若い世代の人たちこそ本書を手に取ってもらいたい。
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これは、今後記すにあたって私が感じているかけねなしの実感でもありますそして同時に、ここ二十年あまり続いた新自由主義と新保守主義アマルガムとしてのグロ−バル主義の覇権システムが明瞭に行きづまりを見せている現在、グロ−バル資本主義の産物である非人間的な棄民社会の現実によって深く傷つけられた「ロスジェネ」と呼ばれる若い世代の人たちこそ本書を手に取ってもらいたい。
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小坂さんが、プロローグで「数年前だったか、あるテレビドラマのテーマ曲にショパンのエチュードのなかのひとつ、通称(別れの曲)使われた。この曲の雰囲気がドラマの内容にぴったりだったためか、出版社の在庫がなくなるほどその楽譜は売れた。情熱的で繊細、どのように形容すればいいかと言葉の無力さを感じるほどショパンの音楽は心に沁み入る。ショパンの作品とその人物が、いまもなおいかに愛されているかを知りたければ、多くの芸術家たちが眠っていることで、有名な、パリのペール・ラシュ―ズにある墓を訪れてみるといい。緑濃いこの美しい広大な墓地のなかにあって、ショパンの墓だけは遠くからみるとすぐに分かる。音楽の天使を感じさせられる像を上に、ショパンの横顔のレリーフを正面にしたこの墓には、なんと多くの花が供えられていることだろうか。ショパンは求めてパリを訪れ、ここに花を飾ってしばし佇む人がいかに多いかを、美しいたくさんの花束が物語っている」と先ず書いている。
それほどの芸術家を魅了してしまったひとりの女性、それがジョルジュ・サンドだ。貴族的気品のある横顔のこの作曲家と生活をともにし、出版されることのなかった数々の美しい即興曲に身を包み、出版された数々の傑作の創作過程を耳にできた、ただひとりの女性、多くの恋と書く内容の過激さでパリをもっとも騒がせていた六歳年上の作家ジョルジュ・サンド。そのサンドが、当時最高の作曲家と評判の社交界の寵児ショパンと八年間も生活をともにした。なぜ、ふたりはそれほどの強い絆で結ばれて、そして、突然別れてしまったのか。それを問うてもサンドの答えはしごくあっさりしたものであった。「ムッシュ・ショパン、ほんとうにすてきな音楽を聞かせてくれました。でも、彼とのこと、もう忘れてしまいました。思いだしたところで、人生のひとこまですわ」としている。
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フォースターはこの本で「老年について」というエッセイを書いている・「私は自分の死に脅える権利も、自分が愛した人はおろか知らない相手のばあいでも、その死を悲しむ権利を棄てるつもりはない・・・・・・・・・19世紀が死を大袈娑に扱いすぎたとすれば、今世紀は逆にそっけなさすぎるのではないだろうか・・・・・・・・では正しい悲しみ方をした者がいるかと言えば、ギリシア人がそうだった。ギリシア人は泣き、立ちなおり、追走した」(「老年について」)
私は大病して死を論ずると親しい人が離れて行った。そんな怖ろしいこと話題にしないでと。でも、あの東日本大震災の犠牲者は、どう思うのか。半年・一年立つと鎮魂も何もしないで、フォスターの言う「正しい悲しみ方を考えるべきではないのか。また、還暦前の同級生は相当の数の人が他界した。その人たちとどう向き合うのか深刻に考えてしまう。死とは怖いことでも嫌なことでもない。人類が宿命として十字架として背負って歩いている事実なんだ。私は何回も書いているが、大病をして厳しい病状の時に「三途の川で霊界から呼ばれたような」事態になった。それで、現生と来世があうると核心したのだ。
フォースターについて小野寺健さんは、フォースターの主張の核心は「この世には、絶対に正しいとして個執することを許される主義主張は一つもなく、われわれは互いに意見や好みの異なる他者の存在を許し合わねばならないというきわめて実践的なもので、それ以外に争いを避ける道はないというなのだから。懐柔主義と読んで呼んでいい彼のこういう立場は、若い頃から一貫して変わらなかった。
この本でヴオールテールとフリードリッヒ大王について書いている。フォースターはヴォルテールが大好きだとしている・彼は人格者でもなく矛盾する性格の魂だった。真実を愛したのによく嘘をつきました。人類を愛したのに、よく意地悪をしました。寛容なのに金儲けしました。でも、フリードリッヒ大王の専制君主制について、ヴルーテールは不満をもっていました。ヴオールテールは「自由と多様性と寛容と同情に信を置く人間は、全体主義国家のむ空気を吸ってはいらないと、ベルリンが教えてくれました。表面は素敵かもしれません。―しかし、専制君主は魅力と知性の持ち主かもしれません−しかし?機械は申し分なく動いてくれるかもしれません―しかし―何かが欠けているのです。人間の心が欠けているのです。ヴォルーテールは人間の心が欠けているのです。ヴォル―テールは人間の心に信を置き続けました。ヴォル―テールについて彼の思想と私の思想は同じだからといわせているのです。つまり二人とも全体主義かん大嫌いなんだ。そういうことですよね。
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ヴ−ジニア・ウルフの「病むことについて」の
ウルフは詩について書いてます。「詩人はつねに同時代人なのです。私たちの全身はしばしのあいだ、個人的感情のなにか激しいショックのときのように、ぎゅっと収縮するのです。そのあと、たしかに感情はしだいに大きな輪を描い、て心の中に広がっていきます。かけ離れた感覚が身近に迫り、音を響かせ、コメントしはじめるのです。すると私たちは、いくつもの反響とさまざまな反映に気づかされるでしょう。詩の強烈さは広範囲の感情を満たすのです。次の詩行「 われ樹木のごとくうち倒れ、朽ち果てん、歎きしことを心に留めるのみ」(乙女の悲劇)ボ-モントとフレッチャ-の合作「若かろうと老いていようと、われらの存在の核心と本拠は、そこで無限とてもにあり、そこでのみ。それは希望、滅びることなき希望。努力、期待、願望、常にいまや存在せんとする何ものかと、ともにあり。
(ウイリアム・ワ-ズワ-ス「序曲」 私はヴァ-ジニア・ウルフのこの難解な本を読む忍耐と精神的感動に喜びをもてた。読書とは生きるためです。 と思っている。ウルフは最終的には神経衰弱で自殺したが、あまりにも人間的感覚・感性が繊細であったのであろう。天才の悲劇である。 |
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世界経済が直面している危機の本質を浜先生は「財政恐慌」という言い方をしている。財政が引き金を引く形で恐慌が起きるということだ。浜先生は財政の役割とは、本来民間経済が恐慌状態―経済活動のショック死現象―に陥ったときにレスキュー隊として出てくるべきものであるとしている。また「市場の失敗」によって民間経済が不況に陥ったりした際に、財政出動して景気を支える。財政恐慌が恐ろしいのは、欧州の状況からわかるとおり、ギリシアやイタリアの国債を多く保有している民間の金融機関の破綻の危機を避けるためには公的資金の注入や国有化といった財政出動が必要となり、再び財政が痛む。としている。欧州発の危機は、いかにして債権大国日本に飛び火するのか。それは国債の暴落から始まる。民間部門の黒字がそのまま続いたとしても、機関投資家が日本国債もう持ちつづけられないという状態に追い込まれれば、日本国債の大暴落はありうるとしている。
浜先生はTPP交渉には反対であるとしている。理由は「例外なき囲いこみ貿易」と「鎖国化」であってTPPは保護主義の一形態である。ブロック形態経済圏に他ならず、おおぴらなWTO協定であると。
ただ、浜先生は市民の力だ。市民主義・市民感覚が政治が向かう恐れのある地球的国粋主義の政策に否とする、知恵と良識を示すことができるか。グローバル市民のあり方が問われているとしている。私は自国の国益を考えない貿易交渉もない。
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