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「新潮45」の2013年5月号で、「名門と国家」で徳川家広氏が松平恒雄のことを書いている。松平恒雄が駐米大使に任命された。徳川氏は、当時の日米関係を次のように書いている。日本と米国の関係は対等の大国同士という間柄だった。いや、米国は国際連盟に加盟しておらず、日本は国際連盟の常任理事国、そして日本はソ連と国交を結んだが、米国は依然としてソ連を承認していなかった。米国は孤立主義であり日本のほうが普通の国だった。
松平恒雄初代参議院議長に関する本を読んでいます。松平恒雄は松平容保公の四男である。恒雄は日米関係が微妙な時期に駐米大使に任命された。火中の栗を拾わされたという見方も出来る。徳川家広はそう書いている。恒雄が渡米すべく乗り込んだ客船春洋丸に、大陸浪人の天鬼将軍こと薄益三の短刀一振りとともに、右翼団体の大行社の決議文が送りつけられるという一件もあった。
松平恒雄の用語解説 - 1877−1949 明治-昭和 時代の外交官,政治家。 明治10年4月17日生まれ。もと会津(あいづ)藩主松平容保(か たもり)の4男。外務省欧米局長,外務次官,駐米大使,駐英大使を歴任。ロンドン軍縮会議、初代参議院議長。
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本の感想・・
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「東大教師青春の一冊」(東京大学新聞社・編信山社)を読んでいたら、林文代東大名誉教授は、ヴァ―ジニア・ウルフの「灯台」について、小説観変えたさわやかな衝撃と書いている。林さんは「この小説が、私が読んだ最初のモダニズムの小説だったからだろうと。20世紀初頭、それまで主流だったリアリズムの小説に反旗を翻し、それまでの文学的慣習の束縛から自由になり、新しい時間の感覚、新しい意識のあり方、新しい人と人との関係の表現などを提示したとも。ヴァ―ジニア・ウルフの「灯台」も読んだことがあるが、ウルフのことは、神谷美恵子さんの本で知ってから図書館にあるウルフの本はほとんど読んだけれど難解なものだったが、林さんのヴァ―ジニア・ウルフの「灯台」について書かれたものを読みながら、もう一度ウルフの本を読みたいと思う。
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今日も古本屋に行って、澁澤龍彦の「快楽主義の哲学」を購入した。かって、欧羅巴に行った時に、飛行機の中で暇潰しに澁澤龍彦の難解な本を持って行き満足したことがある。三島由紀夫は「澁澤龍彦のこと」でという文章で澁澤のことを次のように書いている。サド裁判で勇名をはせた渋澤というと、どんな怪物かと思うだろうが、これが見た目には優型の小柄の白皙の青年で、どこかに美少年の面影をとどめる楚々たる風情。
しかし、見かけにだまされてはいけない。胆、かめのごとく、パイプを吹かして裁判所に悠々と遅刻してあらわれるのみか、一度などは、無断欠席でその日の裁判を流してしまった。 酒量は無尽蔵、酔えば、支那服の裾をからげて踊り、お座敷小唄からイッツァ・ロングウェイまで、昭和維新の歌から革命家まで、日本語、英語、フランス語、ドイツ語、どんな歌詞でもみな諳(そら)で覚えているという怖れべき頭脳。珍書奇書に埋もれた書...斎で、殺人を論じ、頽廃美術を論じ、その博識には手がつけられないが、友情に厚いことでも、愛妻家であることでも有名。この人がいなかったら、日本はどんなに淋しい国になるだろう。と・・・。 三島も澁澤も鬼籍に入った。三島の澁澤についての文も素晴らしい。美しい文章であり感服した。同時に澁澤龍彦の生き方に惚れ惚れとする。 澁澤は「快楽主義の哲学」の冒頭で「最初に身も蓋もないことをいってしまえば、人間の生活に目的なんかはないのです。人間は動物の一種ですから、食って、寝て、性交して、寿命がくれば死ぬだけの話です」と。 こんなことも書いている。「人生に目的がなければ、自分でつくりだせばよいのです。つまり、わたしたちがすべてを求めているのは、欲望の満ちたりた状態です。欲望を満たそうとする努力こそ、人間が生きている以上避けて通ることのできない、人生の目標だともいえましょう」としている。 |
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外山繁比古氏の本にはまってる。還らぬ旅という短文がある。芭蕉の「奥の細道」の冒頭に「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらへて老をむかふるものは、日々旅にして旅を栖とすという泣かせる名文がある。調子はいいが、すこし考えが雑なような気がする」と外山氏は書いている。
そして次のように「芭蕉もさきほどの引用のすぐあと、「古人も多く旅に死せるあり」と続けています。帰路のない旅が頭になかったわけではないでしょう」としている。外山氏は「多く旅に死せるありどころではなくて、すべて旅に死せるなり、というべきだろう。片道切符の人生の旅はすべて死です」ということだ。外山氏は人生は幸福や希望とともに、厄介や疑問・思わぬ死角に満ちているとしながら辛口の文章に魅力ありだ。 |
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大病して、生きている。でも自分なりに自分の思想を実践している。奇跡の復活を夢見て。そんな時に亀井勝一郎のエッセイに「病気論」と題する、いかにも亀井らしい馥郁(ふくいく)たる文章を読んだ。亀井が敬愛した倉田百三の「病気と文学」についての一文である。亀井は次のようにいう。
「倉田の全著作を通して、私のいつも興味深く思ふ点は、病気のときに傑作をかき、健康なときはには却て創作力と思索力が衰へたといふ一事である。こゝで謂ふ健康とは肉体的な意味であるが、それは氏にとって、求道心の内面化を、或いは芸術的表現における繊細な感覚を、無意識裡に妨げる危険な徴候であつたらしい。古典人ならば、むろんこれを正常でないと言ふであろう」。としているのだ。
病気という運命を逆用して自主的な内面の苦悩、漠々たる不安の情、知性の発する際限のない疑惑、人は何かをもとむることによつて精神生活というものが充実するのだろうか、そんなことを考えてしまった。
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