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「ただ時の過ぎゆかぬように 阿久 悠 岩波書店」を読んでいます。土曜日は面白いテレビがないから、露あけの夜空を眺めながら、阿久 悠の本を読んでいる。彼は作詞家だから「ことば」を大切にしている。彼の作詞の「ことば」には人間の力があるような気がする。この本で阿久氏は政治家は「なぜ演説が下手なのか」ということを書いている。今の政治家にとって大事なのは選挙区の有権者だけで、国民全体を相手にしているんじゃない、ということをよくあらわしているのが彼らの演説ですと。
だいたい、彼らは不特定多数に対して説得しょうという、ほんとうの意味での演説をしたことがないんじゃないか。中略・・・。阿久氏は「政治というのは本来、金でも腕力でもない。ことばの力なんですよね。「なるほど」と思わせることを言って、聴衆を酔わせたり興奮させたりということこそ政治家の能力なのに、肝心の政治家自身にその気持ちがまったくない。政治の世界でことばが失われているということは不幸ですよね。ということだ。阿久 悠氏の作詞家の持つ洞察力である。
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本の感想・・
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「ビルマからの手紙 アウンサンスーチー 毎日新聞」を読んだ。そこで、「賛辞」という文章がある。アウンサンスーチーの勇敢な支援者への言葉である。「名前も知られておらず、その犠牲も見過ごされてしまう普通の人々の勇気に匹敵するものはない。世に認められることも、メディアの注目という保護もなしに示される勇気こそ、われわれを元気づけ、人間制に対する信頼を再確認させてくれる。そうした勇気を、私は16カ月前の自宅軟禁からの解放以来、毎週毎週見てきた」と。
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坂口安吾の新日本文学アルバムを読んでいる。荏原尋常高等小学校で、安吾が代用教員として、下北沢の下宿に部屋を狩り、「怒らぬこと、悲しまぬこと「、憎まぬこと、喜ばぬこと、つまり行雲流水の如く生きよう」と(「風と光と二十の私と」)安吾とは筆名は「安居(あんご)のことで、心安らかに暮らすことを意味する。
この代用教員の時に決めたという。ここ、半年ぐらい坂口安吾ファンである。戦後の書かれた「堕ちる切るまで堕ちよ」という堕落論に引かれるのである。坂口文学の魅力は戦後の動乱期に歴史の虚妄と偽善を告発したからだと思う。
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今日は、硬い本というか、社会科学の本を読んだので、山本周五郎の「泣ける話、崇高な自己犠牲、善良な庶民が運命に翻弄され、とてつもなく心根の優しい人物が現れる。」そんな本を読みたい。
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司馬遼太郎の「かたち」文藝春秋の中で、関川夏央は書いている。「鎌倉武士のモラルであり心意気であった。「名こそ惜しいけれ」は・・・・司馬遼太郎がしばしば口にした、こうありたい、こうあるべき、人の心のみちようを端的に示した言葉であった。またその言葉を軸とした人生は、司馬遼太郎がもっとも愛着する形容「すがすがしさ」を人にもたらすのである」あるいは、またこうも書いた。
「歴史的著名人であれ、市井の人であれ、人間とその行動に深甚な興味を抱きつづけた司馬遼太郎の好んだ言葉、人の「おかしみ」、人の「ただずまい」、人の「風韻」、といったものをさりげなく、しかるに万全に表現した静かな傑作であった」関川夏央は「ただずまい」という言葉が好きなようである。私は「風韻」という言葉が好きである。すぐれた趣。みやびやかな風情。雅致。風趣。また、すぐれた品格や風采という現代人が忘れたものを司馬遼太郎がこの「風韻」と言葉で著しているように思うのだ。
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