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故長谷川熊寿さん、渡部篤です。訃報に接し人生の無常を感じます。はじめてお会いしたのは、私が会津若松市市議30歳で当選したときでありました。あれから幾星霜と長い間お世話になりました。今、市議、県議、そして衆議院議員として歩んできたなかにはいろんなことでお世話になりました。もう24年間になりますね、心から感謝申し上げます。いつも笑顔で大きな声で「あつちゃん頑張れと」いう声が聞こえるようであります。あつちゃん、くまちゃんと言ったこと懐かしいですね。江花継男さん、川島君夫さん、本田忠敬さん、もう逝ってしまった。人生はドラマですね。こよなく湊地区を愛してその振興のためには身を捧げてまいりました。国道294号線整備、黒森バイバスあるいは湊地区の公共施設整備はすべて長谷川熊寿先輩のお力であります。リゾート問題についても大きな夢かけたわけことは皆さんご存知のことであります。今幽明境を異にして黄泉に旅経たれる長谷川熊寿さんのことを思うと涙がでてきます。これからも長谷川熊寿さん、湊町のこと、長谷川家の皆さんのことを見守ってください。心からお願いします。人生とは悲しいことですね、辛いものですね。作家の井伏鱒二は「花に嵐のたとえもあるさ、さよならだけが人生さ」といってます。長谷川熊寿さんのご冥福を祈って弔辞といたします。 |
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故小島一男さんのところに線香をたてたいと思って訪ねた。奥さんになんで・・もっと長生きしてほしかつたと愚痴なことを言う。私に会津図書館の貴重な資料を教えてくれたのは小島さんだった。図書館の職員には嫌われたけど書庫に真っ黒になって戊辰戦争関係の本をさがしたこと懐かしい思い出である。市の職員は悪いのではないのだ。この私が狂気のように会津図書館の本さがしをしたのである。何度かアクシデントもあったけれど。 |
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いつも遊びに行っているので、本当に寂しい思いがする。演歌が好きで大酒を飲んで日々暮しておられた。三人の子どもさんと、四人のお孫さんたち・・そして最愛の奥さんという幸福な一族だったと思う。晩年楽しく過ごす時間大切なのに黄泉に旅ただれたのである。井伏鱒二の「花に嵐のたとえもあるさ・さよならだけが人生さと」述べた・人生とは辛い悲しいものである。弔辞をしながら涙した。 |
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毎年行われている福島県遺族会主催の小田山忠霊堂慰霊祭に出席して、地元国会議員として追悼の言葉を述べた。福島県内の日清、日露、満州・シナ事変、大東亜戦争でご英霊となった人々を慰霊しているのが小田山忠霊堂である。今年も二百人の戦争遺族、来賓が集まった。 |
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追悼の言葉 |





