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先輩がいない。

 中野竹子顕彰祭でいつも供養のしていた知り合いの僧侶がいなかった。駒沢大学の先輩なのである・。
主催者に聞いたら亡くなったと言われ呆然とした。私が病魔と闘っている・・・そのときに逝かれたのだろうか。人生ははかないものである。無常なものである。

渡部新五郎さん逝く

 八田貞義先生の親戚で元河東町長の渡部新五郎さんの告別式にでた。人生とはあっというまであると思う。いろんな思い出がある。本当に絶句してしまう。会津中学で柔道をしたことは有名である。地方を代表する政治家がまた一人逝ってしまったと想う。残念である。「夏の日に 親しき人と 別れ行く」。
凛として告別式にでることができた。

恩師 横山俊雄先生

弔辞
故横山俊雄先生、渡部篤です。突然の訃報に接し呆然としてしまいました。昨年の11月私が体調を崩して今年の五月まで故郷会津からはなれていましたので、先生は元気でいるとばかり思っていました。まったく信じられません。私が政治の道を邁進することが出来たのは恩師横山先生のおかげであります。この場をおかりして御礼申し上げます。
「あつし君、頑張れ、」という先生の激励の声が聴こえそうです。若松商業高校のときの担任であり、母子家庭で、双子なので、大学進学をあきらめていたときに、「あつし君進学してみたらどうだ」。励ましてくれましたて。政治について早熟だった私に、政治家への道を進めてくれました。会津若松市議・福島県議会議員、衆議院議員・・・いつも恩師としていろいろ相談にのってくれました。こうやって、先生の遺影の前でお別れの言葉を述べるのは痛恨の極みであります。
神谷美恵子の「こころの旅」にこんな文章があります。「生命の流れの上に「うたかた」にすぎなくても、ちょうど大海原を航海する船と船とがすれちがうとき、お互い挨拶のしらべを交わすように人間が生きているあいだ、さまざまな人と出会い、お互いにこころのよろこびをわかち合い、しかもあとから来る者にこれを伝えて行くように出来ているのではなかろうか、じつはこのことは真の「愛」というものでそれがこころのたびのゆたかさにとっていちばん大切な要素だと思う。
横山俊雄先生との出会いもまたそうであったと思います。私は若松商業高校で横山先生に人生の生き方、不撓不屈の精神を学びました。勉強は忍耐だ、負けるなと言うことです。今の私は病魔と闘い、生かされています。生きています。でもご指導いただいた相恩師である横山先生ともつともっと話がしたかった。先生に話しかけてもこたえてくれない。むなしさとさびしさでいっぱいであります。
先生、私は先生との思い出・そして教えをまもつて政治家として国家・国民のために頑張ってまいります。私の大切な恩師である横山俊雄先生のご冥福をお祈りして弔辞といたします。

平成20年8月4日
         衆議院議員 渡部 篤

 故小野信正さん、衆議院議員の渡部篤です。訃報に接し、人生の無常を感じます。
 
 私は昨年十一月に体調を崩して入院しておりましたが、信正さんのことについてはずっと気がかりでなりませんでした。信正さんが元気になることを信じ、願っておりましたので、大変残念でなりません。今、幽明境を異にして黄泉に旅立たれる信正さんに、お別れの言葉を述べることは痛恨極まりないものがあります。

 私と信正さんとの付き合いは、もう三十五年になります。私が自民党都連の学生部に所属していたころ、日本中の各都市では保革対決の時代でした。喜多方市も革新市政から保守市政への奪還が当時の自民党県連で大きく望まれる、そのような時、喜多方の市長選挙でお会いしたのであります。当時の会津の政界は中選挙区であり、保守が分裂して、革新が漁夫の利を得るような時代でしたが、信正さんは伊東正義先生を尊敬し、保守本流の道を一筋に歩んで来られました。
 
 私は八田貞義先生の秘書でしたので派閥は異なりましたが、信正さんの一貫した信念にはいつも心を打たれていました。前知事の佐藤栄佐久さんを支持し、現在の白井市長を全力で応援していました。毀誉褒貶、権力闘争が政治だという人達が多い中で、信正さんは会津における保守の良識である伊東正義先生を限りなく敬愛し、政治活動のすべてにその知性と誠実な生き方が表れていたと思います。 
 
 私が「衆議院選挙に立候補したい」と信正さんに相談したとき、「篤くん、国のために会津のために、きちんとした理念を持って頑張って」と言われ、大変励みになったことを今でも思い出します。私は三十数年間の政治活動の中で、信正さんのようにインテリジェンスがあって、人間的で温かみのある人とお付き合いできたことを、心から誇りにしています。

 今、日本の政治は強いものが一人勝ちし、弱い人や地方が厳しい時代を迎えています。政治にもっとも必要なのは、その弱い人達のための思いやりのある温かみのある政治だと思います。私も体調が回復した今、これからの自分の政治家としての人生を、信正さんから教えていただいた「理念と使命感をもつ政治」を心に刻みながら生きていきたいと思います。

 人生とは辛いものですね…悲しいものですね。作家の井伏鱒二は人生について「花に嵐のたとえもあるさ、さよならだけが人生さ」と言っています。

 心から小野信正さんのご冥福をお祈りいたしまして、私のお別れのことばといたします。


平成二十年六月二十二日

                                                   衆議院議員  渡 部  篤

 故小熊優さん、衆議院議員の渡部篤であります。突然の訃報に接し人生の無常を感じます。新聞で訃報を知ったときに呆然となりました。今から33年前に当時の八田貞義代議士の秘書となったときからのおつきあいであります。会津若松市市議、県議、衆議院議員となり政治一筋に生きてきましたが、いつも小熊さんは私を心から指導して応援してくださいました。この場をお借りしまして心から感謝申し上げます。ありがとうございました。私と小熊優の関係は、お父上の小熊熊吉さんが、軍人恩給連盟の全会津の役員として戦後の混乱期に、自民党恩給制度調査会長であった八田貞義代議士とともに恩給運動に挺身されたことに始まります。ここ何年か病魔と闘っていたことは知っていましたが本当に残念でなりません。昨日、通夜で家族・身内の皆さんにお会いしたときに言う言葉も無く涙がでました。

 また、小熊優さんは、地域の人望あつく塩川町の町議、そして町議会議長にもなられました。豪放磊落であり人懐こいところがある人で、町への思いは人一倍あり地域発展ために尽くされたことは皆さんの知るところであります。

忘れることができないのは、豪快な笑顔で・・また若かった私に「八田先生はいい人だよ・・あつし君最後まで頑張ってくれよな」といつも言われておりました。あれから、今日まで会津の政界は大きな激動期にありましたが、八田貞義先生の政治理念を私は守り続けてきたと思います。



今、こうして小熊優さんとこのようにお別れすることは痛恨の極みであります。作家の井伏鱒二は「花に嵐のたとえもあるさ・・さよならだけが人生さ」と言っています。人生とは辛い・悲しいものですね。小熊優さんのご冥福を心からお祈りして弔辞といたします。



    平成19年9月9日

                   衆議院議員 渡部 篤

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