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 参議院議員選挙も中盤戦だと思う。会津に候補者がまだ来ないのでのんびりムードもあるが、私は一人で支援者を訪ねている。マスコミのステレオタイプな報道をそのまま言って満足している人には、真正面から反論している。民主党は年金をかけなくても年金がもらえるという政策を宣伝している。これには有権者も驚いている。また、所得によって年金を考えると言う思考には反対がほとんどである。でもなかには民主党はすごいぞと言う人がいるので、具体的な政策と財源を提示して説得している。

 市内を歩いて疲れたので、歩きながらぼんやりしていたら、会津戊辰戦争の西軍墓地の前についた。
138年前の戊辰戦争について、会津では官軍・賊軍という薩長土肥史観ではなく、東軍・西軍としている。会津若松市大町の東明寺で西軍の戦死者は慰霊されている。戦争が終れば勇敢な戦死者はきちんと顕彰されるべきと思う。

成井英夫逝く

 突然の訃報で動揺している。いつも県議時代には本会議では隣の席にいた。理論家であり信念の人でもある。納得できないことは賛成しない。県議会時代、自民党が分裂したり派閥激突のときも「理論で説得して」それでいて派閥的行動は好きではなかつたと思う。県議から、白河市民の強い要請で県議から市長に転進したけれど、それだけ市民の期待は大きかったと思う。市長は激務であり壮絶な戦死であると考える。

本日は、元会津若松市長猪俣良記先生の告別式に葬儀委員長としてあいさつすることは痛恨の極みであります。故人の奥様である華子さん、息子さんである喪主猪俣勝意さんはじめご家族皆さんにはお慰めの言葉もありません。そして政治家猪俣良記先生を支えてくださった多くの会津若松市民の皆さんにも心から感謝したいと思います。

猪俣先生にはもう35年間ご指導をいただいておりました。政治の道を生きるきっかけも猪俣先生との出会いでありました。今衆議院議員として演説をしていると誰かと似ているなと思うときがあります。それは猪俣先生の姿が思い浮かぶのであります。まさに私にとつては政治の師でありました。猪俣先生は門田村村議員、会津若松市議会議員二期、福島県議会議員五期、会津若松市長に当選して、地方政治一筋で会津の政界の最高峰までのぼりつめた政治家でもありました。

その政治姿勢は初当選して昭和42年12月の二回目の定例県会での質問では「人間実存の背景には苦しい戦いから生まれた巨大な文明がある、その歴史の中で人間生活はたゆまざる変化を繰り返しながら常に前進しているが、それを変えるのが政治であり、その使命は重大であります」とのべています。

 猪俣先生の演説で好きだったのは。宇都宮の陸軍飛行兵のときに覚えたという「吉田松陰」の死生観であります。いのちを燃やしていきるということでしたし、三島通庸の栃木・新潟・山形への会津三方道路についての演説も感銘しました。また、県議時代も市長時代も自分の思想と政策を大切にしておられました。

また、政治家として業績は会津大学の路線転換であります。二番目は門田にある総合運動公園の整備であり、三番目は雇用創出のための基盤整備あります。四番目には道路網の整備でありました。中山峠、土湯峠、大峠などの整備についても尽力されました。その業績は後の世にも高く評価されると思います。故人の思いで偲びつつ会葬の皆様に心から御礼を申し上げ葬儀委員長としてのご挨拶といたします。

別れ

今から三十年前に代議士の秘書をしていた。厳しい毎日だったけど若かった。大きな夢があった。猛烈に楽しい日々だった。そんなときに山都町にタクシー会社の皆さんと出会うことができた。今でもお付き合いをしている。その奥さんは上品で快活な人だった。その奥さんが亡くなったことを地元新聞で知り帰省した。国会の真っ最中だけれどもどうしてもお別れをしたくなった。人生はいろいろあるけれども別れることほどつらい寂しいことはないのだ。

武廣和夫先生逝く

弔辞
武廣和夫先生、渡部篤です。訃報に接して人生の無常を感じます。石山校長先生にいつも武廣先生は元気ですかとお聞きして心配でたまりませんでした。最近、竹田病院に家族が入院したときに、近くの病室に先生の「武廣」という苗字がありたちどまりました。もしかしたらと思ったのですが、本当に残念でなりません。

先生とはもう34年という長いお付き合いでありました。駒澤大学の後輩として、いろいろご迷惑をかけました。生意気だった会津若松市議会議員時代、自分だけが正しいと鼻っぱしが強かった県議会議員の頃、ときには冷静な眼差しで先輩として「もつと謙虚にしなければダメだとか」「政治で生きるかぎり、会津若松の東栄町から、福島の杉妻町、そして東京の永田町をめざせと何度も言われました。」その暖かい励ましの言葉は一生忘れることはできません。何年か前、武広先生は母校駒澤大学の卒業生で戦後の混乱期国政で活躍した広川弘禅先生の思いで話をされ「篤さんも」人間味のあるスケールの大きな政治家になるべきだとも言われました。その事は肝にめいじてまいります。

先生は、私に「日本の教育改革・それも私学こそ教育改革の主役であるという」述べておられました。私学教育に一生を捧げられた功績は多くの人の知るところであります。忘れられないのは、私が県議二期に、福島県私学審議会会長として私学問題に取り組んだときに、委員として私立高等学校を代表して審議会で正論を主張しておられました。公立、私立の定数問題、少子化のなかでの私学教育のありかたに、独自の考えをもっておられました。武広先生は「生徒の個性を重視して」何とか社会に役立つ人をつくりたいという使命感で学校経営をされました。先生に若松一高等学校の卒業式に出させてくださいと懇願して、県議の三期、四期目には卒業記念文集を見て若松第一高等学校には大切な「教師と生徒の師弟愛が」あると涙の祝辞をしたことがあります。若松第一高等学校の野球部に入って本当に幸福だったという文章は私学の人間教育の現われだと思います。

武廣先生の教育の考えは・・イズムは大げさな、大きなものではないのです。カッコいいものではないのです。生徒とともに、生徒と苦しみそして教育を完成させてきたのです。だからこそ、若松第一高等学校の生徒は高等学校生活で「人間としてのたくましい生きる力」を学ぶことができるのであります。作家の唐木順三は、「教師は心を貧しくして生徒児童の前に出たらどうかと私は思う。教え与えるという意識よりも、ともに苦しみ考えるというが大切だと」しています。武廣先生はそのことを実践されたのです。

もう、武廣先生と親しく話することもできませんね。哀しいですね。先生に私が母校駒澤大学の評議委員となったこと、代議士として「明日の私学を考える会」の一員として思っていることいろんな話をしたいのですが、もうお別れとします。謹んで武広和夫先生のご冥福を祈念して弔辞といたします。
平成19年1月24日
                       衆議院議員    渡部 あつし

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