|
昨日は補正予算の審議が大詰めになり、衆議院通貨は夜遅くなったけれど、親しい知人の告別式に出るために急遽会津に帰り、今日は告別式で弔辞を述べた。政治生活37年多くの人と出会い別れがあった。八田先生の秘書になり落選中の八田先生を事務職員として支えた、二十歳の、頃菅野さんとであった。大海原を航海する船ののように出会うと汽笛をならすように、人生で出会った大切な友人であった。人生とは別れのことだと思う。いろんな愉しい思い出・励ましの笑顔ありがとう。でも、私も病気と闘ってリハビリ中である。菅野さんも病気に勝ってほしかった。また、私ゆっくり話をしたかった。残念菅野久夫さんさようなら。 |
追悼する
[ リスト | 詳細 ]
|
今から、26年前に鈴木先生とであった。身障福祉会の顧問的存在であり、県鍼灸・按・マッサージ会の役員もされた。長い間お世話になったので、自分から喪主にお願いして弔辞を述べた。もちろんノー |
|
弔 辞 |
|
丸山真男と論争した人であり、教科書問題でも教育は国のものかというテーマで正論に書いていた。保守の文化人は、孤高の人が多いように思える。そこには独りでも生き抜く勇気というものがあったと思うのだ。学生運動・労働運動の華やかな頃・・・・言説を曲げず左右の全体主義とくに共産主義・進歩的文化人と活発な議論を展開した西先生の働きは、今日の日本の民主主義に大きな貢献をしたと思う。 |
|
早乙女貢さんに、会津士魂のいろんな資料はと質問したことがある。そして、徳富蘇峰の近世日本国民史」について、私か質したら、近世日本国民史を丹念に読んだとのべられた。そこで、我が意を得たりという感じがした。歴史小説・時代小説家としての早乙女さんは、会津にかかわる多くの資料を集めたと思う。そんなときに会津史談会等の市井の歴史研究家との交流も多くあったと思う。司馬遼太郎・山岡宗八 |






