|
新幹線で東京に着いてから、丸の内線で国会議事堂前までいく、そのあとも与謝野大臣にお会いするために大臣のおられる内閣府まであるく。国会周辺を胸をはってかっこよく歩く。といいたいところだが、自分の足で気力で動いた。与謝野大臣とお会いしたときは・・・・本当はへとへとだった。でも会津の選挙民の代表という誇りをもって・・・・・国際経済・金融問題。自立する国家として国益を重視してください。もちろんさいごに地方重視をお願いした。その後歩いて東京駅に向かった。脳卒中の後遺症なんかに負けないぞ・・・しかし、官庁街は坂が多いし・・・障害者に優しい道路ではないと実感した。でも満足なリハビリでした。 |
リハビリ奮闘中
[ リスト | 詳細 ]
|
今、考えると過労だったなと思う。政治活動をしながら、ボンヤリして・・・いつまで大丈夫かなと何回も考えた。民主党王国の会津で自民党としてできることは何でもした。マスコミが民主党の長老を黄門さまともてはやし・・テレビの露出度は最高と成り、会津の伊東正義先生以来の自民党地盤を守るために必死で頑張って倒れた。悔しいのは、政党をわたりあるき権力の中枢にはいり恩恵を受けた人達が派閥争いに負けて民主党にいるのではないのか。今も後遺症が残る体で歩く・・・・何とか会津の保守の良識を守りたいそれだけだ。「いのち燃え 彼岸獅子まつ 我が心」ということです。脳卒中で苦しんでいる皆さん・・・私は元気に政治活動をしているのです。是非・・・頑張ってください。 |
|
会津若松市から会津坂下町までは車で20分で行くことができるのに。政治活動と東京での国会活動と忙しく飛び回っていると母に会うことがなかなかできないものだ。今日の親戚の集まりで「篤と呼ぶ母の声は」「十億の子に十億の母あれど、わが母にまさる母あらめやも」という歌を思い出す。親戚の人一人一人にわが子を頼む姿に・・・・。「春来る 我が身の願い 母の声」昨日は57歳の誕生日であった。親戚の人・母の前で元気に国政活動を報告できて最良の日であった。リハビリしっかりしています・・・・。 |
|
手足をのばしゆっくり歩いている。完全ではないけれど・・・・春をかみしめながらゆっくり歩いている。「春が来て 日本の信じ われは行く」リハビリの影響で一歩でも一センチでもよくなりたいと思う日々である。 |
|
会津報部の歯科医師会の先生と懇談した。歯科医療の問題だけでなく、北朝鮮のミサイル、日本の核問題について過激な発言もした。自分の足で歩き、大きな声を腹から出して・・政治家としての思いを語った。「演説は生きてる証であり・・・心からの叫びである」体調は良好である。国政報告で読んでくださるところには、どこでも行って演説をしたいと思う。 |





