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かなしみにさそはれる小馬のたてがみは、おきなぐさの髪のやうにうかんでゐる。かるいかるい、枯草のそよぎにも似る小馬のすすみは、あの、ぱらぱらとうつTimbaleのふしのねにそぞろなみだぐむ。
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詩
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永遠の 果てしない野に 夢みる 睡蓮よ 現在に めざめるな 宝石の限りない 眠りのように(宝石の眠り
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母の日に誰か詩人の詩を、このブログに掲載したいと思った。そしたら、今読んでいる永瀬清子の詩に「母」という詩があるので掲載します。
(「母」) 永瀬清子
母つて云うものは不思議な強迫感にも似た、かなしいもので
私の意識の底ではいつも痛みを伴つてゐる。
母はほんとに貝殻みたいにもろく、こはれやすく
しかも母の影を負つて生まれたことが、私にはどうすることも出来ない。
つらい、なつかしい夢みたいなもので、
眼がさめてもいつまでも神経がおぼえてゐる。
どこへ自由に行くことも出来はしない。
一寸動くとすぐこはれて、とげのやうにさゝる気がする
實に痛い。どうすることも出来ない。
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いまひとたびは未練で眺め さりげなく手を拍きつつ 路の上(へ)を走りてくれば (暮れのこる空よ!)
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もっと楽しい一生ならよかったのに。
とうとうもう一生終わるから云いますがね、
おそろしい運命的な氷山の近づき
あれはただ「缺乏」というもののかたまりよ、
いくら銀色に立派にかがやいていても。
この詩は「恋は氷山」永瀬清子の結びである。永瀬清子は「物を書くとは、少なくても自分の考え方をきちんと彫りつけようとすることであり「我」を確立したいことであると」している。いつもの図書館で永瀬清子の詩と文章を読んで、自分の人生をみつめています。
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