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今日は、西行についての本を読みたくてしょうがない。詩人の長田弘さんの本を読めたい。月刊世界の進歩的な考えの本を読みたい。中央公論の吉本隆明のことを橋爪大三郎東工大教授の「吉本隆明VSマルクス」というところを読みたいのだ。今日は、今まで本を読んだ。大いに満足である。
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雑文
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散らであれかし桜花 散れかし口と花心
いたづらものや、面影は 身に添ひながら独り寝 春の夜のともしび消してねむるときひとりの名をば母に告げたり 『日本の恋歌』から、のものです。今日は図書館に一日いました。平日なので図書館を利用する人がいないのでゆっくしてました。『日本の恋歌』竹西寛子・岩波書店、『言葉の向こうから』・吉田加南子みすず書房、『人生を深く味わう読書』 小浜逸郎、春秋社 『黄昏れに歌え』 なかにし礼 朝日新聞社、を読んでます。また、詩人長田弘さんの ゲ−テは読書には二つの目的があるとしています。『読書の目的には、二種類ある。一つは、楽しんで気分を再び生き生きとさせるための読書。そしてもう一つは、知識と教養を得るための読書。この二種類は、意味が全く違う。前者は、読書しているその時に喜びがあり、後者は、読書が終わった後に喜びがある。と語っています。 私の現在の心境は蕪村のこの二句です。 橋なくて日暮んとする春の水 遅き日のつもりて遠きむかしかな 二句とも春です。春のゆっくりと暮れてゆく日、そしてゆったりと憂いを含んだように流れてゆく水。それをしかし、ゆったりと流れてゆくとか、そこをめぐっている時間がある、という言いかたはしていない。そうではなく、橋がない、と言う。ない橋、あるいは、ない昔というものを持ってくることによって、春の描写ではありません、現実の春以上のもの、わたしたちがそこにいるとしても、ただそこにいるだけだったら見えないような何か大きなものを、ポエジ−によって漉し出しています。自然を通過し、そして人間を超えた大きなものを、失われていて、なくて、けれどないことによって人間を包みこんでいる時間、また空間をこちらに引き寄せている。匂い立たせています。これから、ブログを書きます。 『桜花散るまで凛と美しく』 『歩くのに桜吹ぶきは嬉しいけり』 若草篤人。 |
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この
シュトルムの『別れ』です。
「何なりと来るものは来るがいい/お前が生きている限りは明るい/たとえ異国にあっても/お前がいれば我が家だ/お前の愛しい顔をみていると/未来の影など見えない。」というものです。 会津は寒いのかな?歌人折口信夫がこんな歌を詠んでます。「朝風に、粉雪けぶれるひとたひら。会津の桜 固くふゝめり」「屋の上は、霜ふかゝらむ。会津の山 思ひたへ居り。夜はの湯槽に」この歌は、教えごの男子学生を同性愛で愛して、その学生を鹿児島まで追うのだけれど、その前に会津に東山温泉に来たのです。歌では、慕った学生を、若い蒜の葉としています。「雪間にかゞふ蒜の葉 若ければ、 我にそむきて行く心はも」と詠んでいます。折口信夫の哀しい歌ですぬ。後はヴ−ジニァ・ウルフの「夜と昼」読んでます。「本読みて一日過ごす春の日よ」「夜桜に愛しき人の影をみる」「古本屋とぼとぼと行く春陽射し」若草篤人
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東京は桜がさいてます。今日も図書館に一日いました。須賀敦子「ユルスナ−ルの靴」、ヴァ−ジニアウルフ「ジェイコブの部屋」澁澤龍彦「西欧芸術論上・下」私はヨ−ロッパに行った時。澁澤龍彦の本を読みながらプラド美術館、ル−ブル美術館を見て感激したよ。だから、それから、澁澤龍彦の本を読んでいるのです。
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今図書館から戻っ来たので。「思ふ事只一筋に乙鳥かな」 夏目漱石 の俳句です。乙鳥(つばめ)は春の季語です。青春という匂いがするな。私も一句「日は永し本を読みつつ楽しいけり」あつ坊
毎日、生きて、祖国・故郷のために少しでも貢献したい。 英国の詩人ア−サ−ヒュ−・クラフの「苦闘を無駄と呼んでならぬ」の一説 夜明けの時にしても、東側の窓からだけ、光が射してくるのではない。
東の空に太陽が昇るのが、どんなに遅々としていても、 西の方を見るがいい、天地はもう明るくなっているのだ。
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