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恋は遊びでもなく楽しみでもない、生命の止みがたき要求であり、燃焼である。生命は宇宙の絶対の存在であり、恋愛は生命の最高の顕彰である。哲学と芸術と宗教とを打して一団となせる焔の迸発である。生命(霊と肉)と生命とが抱擁して絶対なる、原始なる。常住なる。自然なる実在の中に没入せんとする心である。神とならんとする意志である。
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学者・知識人
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花の咲くのは幸福な笑ひであり、人間が笑ふのも幸福に口を開くことであり、波がくだけるのも祝福して「さく」と言った。すべて、幸福な将来を「ほ」として見せてゐる状態であり、「さち」「さき」と同じ語根に出てゐる。(折口信夫『国語学』)すると、「また咲き出こぬ」は、そのやうな幸福な状態をもう取り返すことができないといふ、かけがへなさの深い悔恨の気持ちを示してゐるのだ。
瞿麥が花見るごとに、孃子らが笑まひのにほひ 思ほゆるかも これは大伴家持が越しの任地で、庭中の花を見ながら遠い妻を偲んだ歌だが、「笑まひのにほひ」といふ美しい措辭の持つイメージは、滿の歌にすでに含まれてゐると言ってよい。 |
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「一枝の筆を執りて、国民の気質、風俗、志向を寫し、国家の大勢を描き、又は人間の活況を形容して、学者も道徳家も眼の届かぬ所の於いて、眞理を探り出し、以て自ら安心を求め、兼ねて衆人の世渡りの助けともならば豈に可ならずや」とは田山花袋が「浮き雲」製作當時の日記に誌した近代小説の理想である。
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【パリ時事】ノーベル文学賞作家の大江健三郎氏が18日、パリの見本市会場で開催中のフランス最大の書籍展「サロン・デュ・リーブル」で講演し、東京電力福島第1原発事故後に停止された原子炉を「二度と稼働させないようあらゆる手段を尽くすことが、私たちが破滅を免れ、生きていくための唯一の手段だ」と訴えた。
大江氏は「次の原発が破裂すれば日本人は生きていけない」と指摘。次世代が生存できるかという観点から「日本について、アジアについて、世界について考えるという、普遍的な考え方を私たちがやり始めた最初が今だ」と述べ、福島原発事故が日本人の思想に大きな影響を与えたと強調した。(2012/03/19-06:26) 大江さんのような無責任な作家に怒りを感じる。最近亡くなった吉本隆明さんのように、原発をどのように安全なものにするのか。国民生活をどうするかという視線が大切ではないのか。絵空事は国家・国民を不幸にする。
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2012.3.18 03:02 [産経抄]
吉本隆明さんが、文春文庫『ぼくのしょうらいのゆめ』で、自らの生い立ちや夢について語っている。小学生のときは、将来「技術工になりたい」と書いた。しかしやがて戦争が始まり、20歳で徴兵検査を受けた先は「生きるか死ぬかもわからない」感じだった。
▼だからなのか、自分の意思で「こうなろう」って思って「なった」ことはないような気がすると達観する。だが読者の夢は別である。「全部駄目だった」ってことは人間にはめったにないと語る。どこに自分の夢の重点を置くかなのだという。
▼その先に吉本さんの『共同幻想論』の考えが出てくる。「共同幻想」「対幻想」「自己幻想」をそれぞれ「社会的に貢献したい夢」「いい家庭を作りたい夢」「個人の夢」に置き換える。どれを選び、重点を置くか考えた方がいいというのである。
▼まことに平明だ。あれほど苦しんで読んだ記憶のある『共同幻想論』もストンと胸に落ちてくる気がする。まるで近所の若者たちにやさしく人生をさとす「好々爺(や)」のようである。「思想の巨人」といわれ、全共闘世代の「教祖」に祭り上げられた重苦しい雰囲気はさらさらない。
▼いやこれが本当の姿だったのだろう。かつての既成左翼攻撃にしても最近の「脱原発」批判にしても、当たり前のことを当たり前に語った。それをあえて難しく、自らの都合で読む人たちがバイブル化したり、逆に「転向」と批判したりしてきたのだ。
▼約14年前「本当の遺書は書かないと思うから」と『遺書』なる本を著した。その中で高村光太郎の詩から「死ねば死にきり」がいいと述べる。それだけに、亡くなった後まで「カリスマ」扱いされるのは迷惑な話かもしれない。 |



