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(1)♪岩にもたれたものすごい人は、鉄砲片手にしかと抱いて、歩む額は帽子に見えねど、服はビロードひらと靡く、「怖や」、嵐吹くも轟く其の名は、ディアボロ、ディアボロ、ディアボロ、「怖や」、嵐吹くも轟く其の名は、ディアボロ、ディアボロ、ディアボロ、ディアボロ、ディアボロ、ディアボロ♪
(2)♪仇と戦い血潮に染もうと、きれいな女子(おなご)にゃ御親切に、娘が路で迷うものなら、明日は涙で家に帰る、「怖や」、娘は逃げてもいとしい其の名はディアボロ、ディアボロ、ディアボロ、「怖や」、娘は逃げてもいとしい其の名は、ディアボロ、ディアボロ、ディアボロ、ディアボロ、ディアボロ、ディアボロ♪ 1919年(大正8年)に浅草オペラで大ヒットのフランス喜歌劇「Fra Diavolo フラ・ディアボロ」、『海賊ディアボロの唄=岩にもたれた』主人公・海賊ディアボロの活躍が描かれたアリア。子どもの頃にTVを観ていると田谷さんが登場、この歌も歌われました。その迫力は大正時代の大スターそのもの、全盛期から半世紀以上の歳月を経たと思えない歌声にも驚きました。大正期の浅草オペラは当時全国的な人気、庶民と西洋クラシック音楽が最も親しいところにあったと言えるでしょう。また「庶民の演劇」としても支持されたのでした。堀内敬三氏の名訳詩『海賊ディアボロの唄(岩にもたれた)』についてですが、この1919年当時の歌詩表現がのちに異なっています(♪嵐吹くも♪→♪嵐が吹こうと♪、♪きれいな女子にゃ御親切に♪→♪きれいな娘にゃひれ伏しょうよ♪、など)。 |
歌謡曲 作詞
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恋とゆう奴あ どえらい奴だ/俺を手玉にとりやがる/惚れてなるかと 力んじゃみたが/泣かぬつもり 泣かされて/たまらなくなる 俺なのさ
ひとつ張られりゃ みっつ張りかえす これが男の 意気地だぜ/おっとどけどけ この横車あほう承知で おしおとす/やぼなご意見 無用だぜ 殺したいほど 惚れてはいたが/指もふれずにわかれたぜ/なにわ節だと笑っておくれ/ケチな情けに 生きるより/俺は仁義を だいて死ぬ |

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「『自分の代わりはいない』という自信と誇りを持ち続けているからです」
「元気の源」について尋ねると開口一番、明るいイメージそのままの声が返ってきた。
「私は子供のころから言いたいことは言う性格で、グレーゾーンがないんです。だから怒りもつらさもたまりません。負けん気が強いんでしょうね」と笑顔を見せる。「ウオーキングとかジョギングとか、健康のための特別なことは一切やっていない」と言うけれど、この気持ち良いほどの真っすぐさで、演歌界の第一線を走り続けてきた。
「人生の応援歌」を歌うこと――。これが一貫して変わらないテーマだ。誰もが耳にしたことがある「三百六十五歩のマーチ」がヒットしたのは44年前。恩師で一昨年秋に亡くなった作詞家・星野哲郎が詞をつけた代表曲だが、東日本大震災の余波や不況が続く昨今、特別な思いを込めて歌うのだという。
「本当は元気な時代に歌いたい曲。でも、『お前は人生の応援歌を歌え』と言ってくれた星野先生は、『幸せなときは応援歌はいらない』とも話していたんです。『三歩進んで二歩下がる……』の歌詞は、こういう時代だからこそ元気づけられると信じています」
つらくても前を向いて歩み続ける。そんな「チータ節」に励まされる人は多いことだろう。
(文・ジャーナリスト 菊地正憲 写真・麻生健) 朝日新聞
ここ数年演歌を聴きたくなくなった。人生本当の試練の時は「恋もなくなり、カネもなくなり、あるのは生きる希望だけである。水前寺清子さんの人生の応援歌を歌っていること。多くの国民を励ましていることに感謝である。水前寺清子さんの活躍を祈りたい。年齢など気にせず国民の幸福のために歌い続けてほしい。
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捨てたつもりの影法師
崩れ落ちそなカ−サの道を
歩く背中に風が吹く
誰も知らない旅人の
誰も知らない物語
聞いてくれるかド−モの鐘よ
知らん、知らんと鳴るばかり
消えた月日は数えない 顔を背けたシャトルの街は
はぐれた落ち葉のふきだまり
涙見せない可愛さを
思いやれないばかやろう
泣いてくれるなバ−の灯り
石の路地裏迷い道
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義理と 人情を 秤にかけりゃ
義理が重たい 男の世界/幼なじみみの 観音様にゃ
俺の心はお見通し 背中で吠えてる 唐獅子牡丹 親の意見を 承知ですねて 曲がりくねった 不幸のかずを
なんと詫びよか おふくろに
背中で泣いてる 唐獅子牡丹
おぼろ月でも墨田の水に ながらの 濁らぬ光
やがて夜明けの 来るそれまでは
意地でささえる 夢ひとつ
背中で呼んでる 唐獅子牡丹
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