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三島由紀夫の死への情熱、海底を行くような息苦しいものだったといわれる。三島の書いた「私の遍歴時代」には、「・・・・・私は生来、どうしても根治しがたいところの、ロマンチックの病ひを病んでゐるのかもしれない。」死へのロマンチシズムというものが、彼の書いた小説に描かれているのだろう。
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好きな・感銘した文章
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戦地へ行く兵隊さんを見送って、泣いては、いけないかしら。どうしても、涙が出て出て、だめなんだ、おゆるし下さい。
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日本浪漫派の保田與重郎も、アイロニカルに自分自身を見つめ、自己を宙吊状態に置きながら、民族的なものへと"回帰"し、戦争を肯定するよになった。と仲正昌樹氏はカール・シュミット講義で書いている。保田は、ドイツの初期ロマン派の理論家フリードリヒ、シュレーゲルの「イロニー」の理論を受容し、それを日本の古典の解釈に応用したことで知られているとも。
仲正氏は「イロニー」というのは、簡単にいうと、何かについて考えたり、コミットしている自分自身を少し離れたところから、メタな視点で見るということです。そういう態度がベースにあるので、なかなか一つの価値ににコミットしない。というよりコミットできない。つまり「価値の宙吊状態」を生み出すようなまなざしで、自己を覚めた目で見つめる。「ベタ」にならないわけです。としている。
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加地伸行先生の本を読んでいる。先生は論語を読んだ人の多くが、最も感動した場面として挙げるのは次の一節であると。孔子の弟子の伯牛(はくぎゅう)は、すぐれた人格者であり、弟子の中でもきわだっていた。ところが伯牛はハンセン病に罹(かか)る。彼は家にこもり、他人(ひと)に会おうとしなかった。その病が重くなったので、孔子は見舞に行くが、同じく会おうとしなかった。
そのとき、孔子は伯牛の気持ちに沿って会わなかったが、窓から手を差し入れ、伯牛の「其(そ)の手を執りて曰(いわ)く亡(ぼう)ぜん(お前は果てるのか)「運」命なるかな。斯(こ)の(りっぱな)人にして斯(こ)の疾(やまい)あり斯の人にして斯の疾あり」と。
死を迎えるハンセン病の弟子の手を握って泣く孔子―「論語」中、最高の劇的場面である。孔子とともに、多くの弟子もまたともに泣いただろう。と加地先生は書いている。大病をして、落伍した者として深く重く考えさせられた。人生とは理不尽なものであると。
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茸型の雲は、茸よりもクラゲに似た形であった。しかし、クラゲよりもまだ動物的な活力があるかのように脚を震わせて、赤、紫、藍、緑と、クラゲの頭の色を変えながら、東西に向けて蔓延って行く。ぐらぐらと煮えくり返る湯のように、中から中から湧き出しながら、猛り狂って今にも襲いかぶさって来るようである。蒙古高句麗の雲とはよく云い得たものだ。さながら地獄から来た使者ではないか。今までのこの宇宙のなかに、こんな怪しなものを湧き出させる権利を誰が持っているのだろうか。これでも自分は逃げのびられるのだろうか。これでも家族は助かるのだろうか。今、自分は家族を助けに帰っていることになるのだろうか。一人避難していることになるのだろうか。
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