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横光利一への弔辞で川端康成はいった。「國破れてこのかた一人木枯にさらされる僕の骨は、君といふ支へさへ奪はれて、寒天に砕けるやうである。」「横光君 僕は日本の山河を魂として君の後をゆく。」仏文学者 村松剛は、美しい弔辞である。ここには敗戦という事態を正面からうけとめようとしたひとりの作家の、孤独な姿があると書いた。
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好きな・感銘した文章
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「日来(ひごろ)は何と思はぬ薄金が、などやらんかく重く覚ゆる也」木曽義仲 ふだんは何とも思わない鎧が、今はどういうわけか重く感じられる。戦いに敗れて今井四郎と主従二人きりになってしまった義仲が、今井に向かっていう言葉。
これについて『日本語録』保田與重郎は、「古からの詩人文人が義仲の心持ちをかなしんだのは、その性格と生涯の悲劇のためであるが、この最後のことばのあはれさのためであらう。これは平家物語の中に数ある最後のことばの中で、最も悲しく美しいことばであった。彼が純粋の武人だつたから、かういふ千歳の後の詩人を愛しませるやうな、よいことばを云つたものである」保田與重郎は悲劇的な敗北のうちに仆れた武人が特別の偏愛があるといわれている。
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北一輝の「日本國家改造法案大綱」は、一部学生の間にひそかに讀まれてゐたが、勲はその本に何か悪魔的な傲りの匂ひを嗅ぎ取った。加屋霽堅のいわゆる「犬馬の戀、螻蟻の忠」から隔たることはなはだ遠いその本は、たしかに青年の血気をそそつたけれども、さういう青年を勲の求める同志ではなかった。
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三國は生来の自由人だった。わずかの束縛も許容できなかった。刺激的で破滅的な日々を愛し求め続けた。それこそが、人生だった。宇都宮直子
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