|
3 別れについて 別れは突然に訪れるなどと誰が言ったのか。 別れはその到来があらかじめ準備されており、突然に訪れるわけではない。愛を求めた憧憬のときの内にも、愛に満ちた至福のときの間にも、別れは密かにその予感を沁み込ませていた。永遠を願う恋人たちを陰で嘲笑うように、別れは愛の始まりのときから、その始まりの一つの細胞を拍動させていた。必ず併せ持つその闇を、ほんの一つの沁みのような一点から広げ始めていた。 私自身もまた、別れの予感の中にいたのか。いつか別れが来ると、実はわかっていたのか――。 チャイコフスキー/交響曲第六番ロ短調作品74「悲愴」。 私はある人を愛するようになった。そしてその愛の始まりにはこの曲があった。たくさんの音楽に愛を育まれ、強まる絆を確かめてきたけれど、私たちの愛の始まりはこの曲だった。愛はその始まりにおいてすでに別れを含んでいた。その始まりにおいて別れが来ることを私に知らせていた。別れへと導く負の力に、私は抵抗した。私はこの必然に抗い、愛の強さを信じた。愛の力を信じた。愛の力と運命の力が私の中で常に引き合っていた。別れという運命の力は、愛の力を嘲笑い私を苦しめた。私はこんなにも愛している。それでも愛は、それでも私は、運命に屈するのか。 別れは確かに、死と同様に甘美であり、私はそこへ引き寄せられる。悲劇は私には住み慣れた故郷であり、私はそこで孤独を確かめる。ほら、やはり一人なのだ。誰も私のそばにはいないのだ。かなわぬ愛に絶望し、私は、親に放っておかれた子どものように、私自身の孤独だけを住処とする。 別れはその闇の中へ、私を飲み込むのだろうか? 私は別れに抗えず、愛を手放すのだろうか――? 別れは、別名としてそれを諦念と呼ぶこともできるだろう。そしてこの音楽は、すべての希望が失われた後の諦念に満ちている。たとえ安らぎに感じられる瞬間も、世界が明日で終わりを迎えるその前日の、僅かながらの陽光に過ぎない。それはよもや希望の光などではなく、死へ旅発つ者がわずかに浮かべた末期の微笑なのだ。私はすべてに別れを告げる。この世界すべてに。私は希望という言葉を、絶望という言葉と交換する。生きている間に手にしていたいくつもの「希望」という言葉が、たった一つの「絶望」という言葉に替えられて、私の手のひらにのせられる。そしてその「絶望」は、時間をかけて「諦め」へと熟成していく――。 愛するとは、そのように諦めだけに通ずる道なのか。愛することは、必ず別れへ向かうことなのか。すべての愛の喜びは、いずれ別れることへの予めの報いなのか。 私は愛している。別れへ通ずる闇を背に、後のないぎりぎりの崖に立ち、あなたを愛している。 しかし私は強いのではない。私はただ、私のすぐ後ろが、闇であることを知っているにすぎない。いったん紛れてしまえば二度と戻れぬ闇であることを、ただ知っているにすぎない。 [演奏] |

- >
- エンターテインメント
- >
- 音楽
- >
- クラシック




