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15 別れについて−2
もし避けがたい病が訪れ、私に自分の死を受け入れるまでにいくらかの時間が与えられるとするなら、私はその時間をどのように過ごすだろう。長く続く嘆きや怒り、そして現世や来世との取引に明け暮れ、ひどく疲れきった後で、私は何を考え何を思うのだろうか。
何もかもが消滅する。自分が消え、目の前の世界も消える。しかし、実は世界は残り、私だけが消えることに気づく。この世への名残惜しさ。私だけが死ななくてはならない理不尽さ。繰り返し襲う感傷。自己への憐憫。私は、自分の死を受け入れるまでに、いったいどれだけの時間を必要とするのだろうか。
死は、私の生に意味を与え、私の生を完結させる。
死ななければならない私は不幸だろうか?不運だろうか?死が私の生から輝きを奪い、私の生のすべてを闇で包み込むのだろうか?私は抵抗することもできず、闇へと歩みを進めるのだろうか。
あるいは私は死を受け入れ、穏やかな場所にたどり着くことができるだろうか。私の生は、このようなものだったと、落ち着いて語ることができる時間にたどり着くだろうか。短かったかもしれないが十分に生きたと、愛する人に微笑むことができるだろうか。
死は、私の生をほかならぬこの私から奪う。しかし私の死は実は私だけのものではなく、あなたにとってもまぎれもなく「死」なのだ。私はそのことに気づくだろうか。あなたの中にいる私の死に思いを馳せ、あなたを慰めることができるだろうか。あなたの涙を拭って、「また会えるから」と、あなたを最後まで励ますことができるだろうか。私は死のその瞬間に、あなたのための私でいられるだろうか。
私はその生の最後まで、あなたを見つめ続けたい。あなたに触れつづけたい。そして後に残るあなたに最後まで私の生を与え続けたい。
あなたの手。あなたの指。私の生が最後までその温度を覚えておけるように、離さないで欲しい。私の死はもう、すぐそこまで来ているから。
マーラー/交響曲第9番 第4楽章。
現世との別れをあなたとともに迎えるために、私にはこの音楽が必要だ。私が力を失い、絡ませたこの指を離さないように、この音楽が私を支えてほしい。あなたを最後まで愛しつづけるために、この音楽が私に、私たちに鳴りつづけてほしい。私にその時が来るまで。最後の一音が消えるまで。
そして、その最後の一音から始まる次の生のために。
あなたにもう一度出会うために。
[演奏]
レナード・バーンスタイン/ベルリン・フィル(79ライブ)は、生の燃焼を回顧する。愛の軌跡を振り返る。死への嘆きや怒りは時に再現され、生への渇望すら見え隠れする。しかしその過程は、やはり死の受容を目的としている。泣きながら微笑んでいる私は、最後の一音まであなたを愛し、あなたへの愛によって生かされている。私の生は完結した。そしてそれは、私が愛しつづけたあなたへの贈り物だった。あなたに受け取ってほしい。私の生のすべてを、私のいちばん大きな最後の贈り物として。
ヘルベルト・フォン・カラヤン/ベルリン・フィル(82ライブ)は、生の軌跡を天上から振り返る。私の生はすでに天上への旅を始め、私の生は、美しい一枚の絵画のように光りを放っている。生は必ず次の生へと受け継がれ、もう一度あなたに会いに行く。私の生は闇を眼下に、天上へと向かう。私があなたへ微笑むとすれば、その微笑みは来世で出会う約束。あなたは私のどんな微かな笑みも見逃さないでほしい。それが最後の、あなたへの私からの贈り物なのだから。
クルト・ザンデルリンク/BBCフィル(82)は、死への道程が実は孤独なものでないことを私たちに教える。たとえ私がたった独りで死んでいくとしても、その傍らには、あなたの魂が寄り添っている。私は自由のきかなくなった私の体を重荷に思うかも知れない。しかし、その体はあなたが支え、柔らかな手で擦り続けている。私は死ぬのだろう。それは避けることはできない。しかしその道程にはあなたがいる。私はあなたの魂に微笑みかける。あなたは私を愛で包み込む。死という別れは、私をこの世から引き離す。しかし、私をあなたの魂から引き離すことはできない。
レナード・バーンスタイン/アムステルダム・コンセルトヘボウ管(85)は、現世での別れが、それ自体の中にすでに再生を孕んでいることを私たちに教える。私たちは死という別れに絶望し、今生へ残さなければならない生きるはずだった時間を惜しみ、涙を落とす。死は私たちにとって、まちがいなく絶対のものであり、避けられはしない。しかし、注意深く見つめれば、あなたの別れの涙の中に、次の生の萌芽が見えないだろうか。あなたが今生に残していく愛が、あなたを次の生へと運ばないだろうか。あなたが今生と別れを告げるとき、あなたの愛は今生へと惜しみなく与えられ、世界へ染み渡り、あなたが次の生へ行くために必要な泉を作るのだ。
クラウディオ・アッバード/ウィーン・フィル(87)は、死こそが生の最大のドラマであることを私たちに示してくれる。フィナーレという言葉は、たとえそれが病との壮絶な戦いであったとしても、死に当てはまる言葉だと教えてくれる。私たちは多少の差はあれ、ある程度の長さの人生を生きた。確かにより長い人生もあり得ただろう。しかし、この人生こそが私の人生であり、それがこうして終わるのならば、それが私のフィナーレに他ならない。私は十分に生きた。思い残すことは多くあるが、やり残したことはない。なぜなら私の人生は今、フィナーレを迎えるのだから。そのことが、その事実が、私の人生が今、完結することを教えるのだ。フィナーレを迎える私の人生の最後の時間に、すでに一条の陽光が差し込んでいる。
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こんばんは、復活さん♪マーラーの9番。今夜は手持ちのCDを聴くことにします。復活さんの様々な言葉を染み込ませるために。いつか必ず来る、別れの日に思いを馳せながら、毎日を大切に生きていきたいです♪
2010/11/15(月) 午後 9:02
ミルテンさん、こんばんは♪コメントをいただきありがとうございます。お手持ちのCDは、誰の演奏のものですか?この曲には名演が多く、紹介し切れません。人生のフィナーレは必ず来ますね。いつか来るその日のことを意識することが多くなりました。1日も以前より早く過ぎていきます。フィナーレにふさわしいこの音楽を想って、毎日をしっかり生きていきます♪
2010/11/16(火) 午前 2:10