音と言葉の草原

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16 死について

16 死について

 「死にたい」。そう思うことは、私にとってあまりにたびたびで、もはや一つの記号のような意味しかない。死ぬこと。それがどういうことか知らないわけではない。そしてそれがどれだけ難しいことかを知らないわけではない。ならば、私は、死を現実のものとしてイメージできていないことは明らかだ。私にとって死へのイメージは、手軽な避難所であり、癒しの部屋に過ぎない。そこに入り、鍵をかけてしまえば、誰も入ってくることはできない。どんなに親しい人であっても、その部屋の鍵は持たない。私はその部屋の中でひとり、死のイメージの甘さを味わい、その部屋から決して出てこない。

 死の部屋に住むことで癒されようとする私は、自分では知らぬうちに、心の中に死の闇を染み込ませてしまう。そして、いつの間にかそれを拭い去ることが難しくなる。気づいたときには死はそれ自身、力を持ち始め、私の精神は、死への歩みを始める。私の中では、死ぬための理由と許可の確認が際限なく繰り返される。「死んだほうがいいんだ」「死のう」「死ぬことでしか幸せになれない」「死ぬことでしか人を幸せにできない」「いないほうがいいんだ」…。

 いつまでも繰り返される死のリハーサルは、それ自体が喜びと化す。死を近づければ近づけるほど、私の目は輝き、頬は高潮し、気持ちは昂ぶる。死を引き寄せれば引き寄せるほど、同じように生が引き寄せられる。そう私は生きている。こんなにも生き生きしている。しかしその私が死ぬのだ。なんという悲劇だろう。なんという甘美な死なのだ…。

 しかし、それは、いったん何かの拍子にその夢から覚めてみれば、あまりに陳腐な悲劇的想像に過ぎない。死ぬだって?本気でもないだろうに…!

 自分をそう嘲笑するものの、その笑いは乾いたように途切れ、私はその向こう側にしっかり住み着いた死の闇に怯える。私はいつか本当にそこへ引き込まれる。そこへ吸い寄せられる。私は頭を振る。いや、そんなことは妄想だ。ばかばかしい。誰がわざわざ本当に死ぬものか。

 そんな私を、今度は死の闇が嘲笑う。もうおまえには抵抗するちからは、残っていないよ、と。


シューベルト/即興曲作品90 第1番ハ短調
 この音楽は、確かにこのような死への妄想に寄り添うことはできる。この曲には、何よりもまず、死の悲劇性がある。だからこそ私は、私の葬送にこの曲を選ぶ。私の葬儀。嘆き悲しむ近しい人々。なぜこんなことを…。ばかな…。そのままで生きていて悪いことなどないのに…。人間など、生きているだけで、ただそれだけで価値があるのに。生きている、それだけでいいのに。それなのに、どうして…。

 しかし、また一方で、この曲には生への郷愁がある。かつてそこには決然たる生への意志があったことを私に教える。ただ死の闇に吸い寄せられ、抗えないままこの世から消え去るのではなく、死と生を拮抗させ、悲劇の中にあっても最後まで戦い抜いたことが、最後まで生き抜いたことが、はっきりと刻まれている。
 
 「私は生を全うした。これは悲劇ではない。私は安らかに死を迎える。私は、私の生きてきた生の場面を振り返り、今ここに命を終えようとしているだけだ。したがって私は、この曲を私の葬儀に選ぶ。私は幸せだった。誰も悲しむ必要はない。誰もいつかは命を終えるのだ。微笑んで見送ってほしい…」。

 私は、私の死の意味を、すなわち生の意味を、葬儀の日にこの曲に託す。その意味は、その日この曲を聴くあなたが、あなた自身で確かめてほしい。


[演奏]
イメージ 1内田光子は、この曲の姿を極限まで追い込む。この曲にある悲劇性も、天上の光も、すべてぎりぎりのところまで研き切る。しかしその結果現れたものは、意外なことにシューベルトの他の曲がもつのと同じ、彼特有の孤独や悲しみだった。最も悲劇的なこの曲の悲劇性を研くことが、最も純粋な孤独に到達する。音楽とはこのように、逆説的に存在することがあり得るものなのか。あるいは、むしろ悲劇とは、激しいドラマのその底に実は、一編の透明な詩を、そもそも内包しているものなのか。

イメージ 2ラドゥ・ルプーは、この曲を、シューベルトの一編の歌曲として弾く。ここでは、悲劇の闇も天上の声も、等しく表され、私は一人の等身大の人間として死を迎える。私は私の声で歌を歌う。それは、この曲が実は一編の詩、一編の歌曲と同じであることを教える。私は死ぬ。しかし私は、それをとりたてて悲劇とは思わない。他の生命の去り際と同じく、私もまた、私の生を物語る自分の歌を口ずさみながら、死を迎えるだけだ。

イメージ 3フリードリッヒ・グルダは、悲劇的な性格のこの曲から、シューベルトの弱さを取り出し、私たちに見せる。死を前にして、私はやはりこんなにも弱かった。一人の人間として、死を受け止めることなどできない。私は死を恐れ、死を嘆き、死に慄く。人間とはそのように弱い存在に過ぎない。しかし、その真実を糊塗してはならない。私たちが弱く、あるがままの存在である、その真実をこそ、音楽によって歌わなければならない。

イメージ 4ヴィルヘルム・ケンプは、この曲をことばで語る。確かに私はもうすぐ死ぬ。しかし、その前に私は、私の生きてきたその人生について話す。あんなにも幸せな時間があり、あんなにも辛い時期があった。私は私の歩んできたその人生を愛おしく抱く。自己憐憫だなどと言わないでほしい。私の人生を私が語り、私が抱きしめる。それが何の罪だろう。それが何の落度だろう。そもそも孤独に生まれ孤独に死にゆく私たちが、人生の去り際にかたる言葉を、いったい誰が責め得るだろう。見るがいい。私は泣いていない。今、雄々しくも自らの死に向かうのだ。思い出話に花を咲かせたそのあとは、向こう側へと力強く歩んで行くのだ。そんな最後の話を、私はあなたに聴いてほしいだけだ。

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山下早苗さま、コメントありがとうございます。
私の記事に共感してくださって、嬉しいです。このブログを熱心にはしなくなりましたが、また記事をアップしたいと思います。これからもよろしくお願いいたします。

2014/7/22(火) 午後 8:17 復活

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もしかして

今日、ハァ〜〜疲れたぁ〜
虚しいな…なにもかもがすごく虚しい…

と思う瞬間がありました。
なぜか「瞬間」という言葉を使いたくてこの文字を選択しましたが、
実際はもっと ずっと長い時間です。

もしかしたら この感覚に似てるのかなってふと思いました。


※書きたいと思った時に書いているので、
返事とかは気になさらないでください。
自分自身を自然に表現できるこういう場があって、楽しいです。ありがたいです。

2014/7/27(日) 午後 4:01 [ 山下早苗 ]

山下さん、いつもありがとうございます。この書庫は、音楽の内容を私なりに表現したものです。したがって、イメージとして書いています。文章の創作としての意味合いも強い、ということもご承知おきください。そして、ぜひ音楽も、併せて聴いてみてください。

2014/7/28(月) 午前 1:08 復活

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ご自身のことではないのですか

よくわからず頭が混乱しています。

2014/7/28(月) 午前 1:45 [ 山下早苗 ]

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それと

私、クラシック聴かないんですよ。

以前は一曲のみよく聴いていたこともありましたが、
結局 全曲は聴かず、
その中の一楽章だけをリピートして聴いていました。

今はCDも捨ててもっていません。

2014/7/28(月) 午前 5:59 [ 山下早苗 ]

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完全なフィクションだったら
「も」という言い方はしませんよね。

文章の創作としての意味合いが

強いということを

ってなりますよね。

慎重さを欠いた行動でした。

2014/7/29(火) 午後 0:37 [ 山下早苗 ]

「も」に気づいていただけてよかったです。現実と虚構を織り交ぜて作品が出来上がります。

2014/7/29(火) 午後 4:56 復活

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もしかして私また間違えたんでしょうか?

公の場にふさわしくない言動があったのではないかと考えています。
もしそうなら、申し訳ない…というかお恥ずかしいです。

でも、これはこの場で言うことではないのですが

後悔はしてないです。
失敗はこれからにいかします。

2014/8/3(日) 午前 7:35 [ 山下早苗 ]

山下早苗さん、コメントありがとうございます。ブログの上での、コメントの反応について、あまり気にされないよう、お願いします。忙しいとき、旅行中、体調が悪いとき、など、ブログ主にもそれぞれ、さまざまなケースがあるはずですよね。客観的に判断していただけるとありがたいです。
山下さんが、私はクラシック音楽は聴かない、CDは捨てた、と言われたのは、とても残念でした。このブログは、クラシック音楽へのオマージュとしての性格が、もっとも強いからです。私自身、クラシック音楽を大事にしています。また、改めて聴いてみてはいかがでしょうか。

2014/8/4(月) 午前 1:40 復活

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そんなこと言われなくてもわかります。
相手にも様々な都合がある。ブログにばかり関わっていられない。全くそのとおりだと思います。

私にだって様々な問題があり、生活があり、ブログのことばかり考えている時間はありません。

ただ5日も承認されていなければ、何か問題があったのではと考えるのは当然のこだと思います。
私の推測は間違っていたということでしょうか?

クラシック音楽は復活さんが愛してらっしゃるものとはわかりました。
ただ私は以前も申しましたとおり、聴く気はありません。

以前聴いていた一曲は改めて聴きなおす可能性はありますが。

2014/8/4(月) 午前 3:37 [ 山下早苗 ]

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冷静になって付け加え

復活さん、おはようございます

復活さんのおっしゃるように、主観におちいり過ぎないように気をつけます。

クラシックのことは、一度すでにお断りしたことを再度勧められて、正直、困惑しました

それでは、失礼します。

2014/8/4(月) 午前 8:46 [ 山下早苗 ]

山下さん、ともかくも、この場がクラシック音楽について書かれた記事のコメント欄であることをご配慮いただけるとありがたいです。

2014/8/4(月) 午前 10:01 復活

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ぶっちゃけ

それでは、クラシック音楽を聴かない私のような者にはあまりこのブログを読んで欲しくないってことですか?

私はクラシックは聴かなくても、十分楽しませていただいているのに(楽しませて頂いているという表現が一番私の気持ちと合ってるとは思えないのですが)

2014/8/4(月) 午後 0:17 [ 山下早苗 ]

そうではありません。記事を楽しんでいただけるのは、大変ありがたく思っています。私は、コメントの内容について申し上げているのです。この場は、ネット上の公開の場ですから(また、「そんなことはわかっています」と言われそうですが…)、そう申し上げたのです。なかなかご理解いただけず残念です。

2014/8/4(月) 午後 1:02 復活

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わかりました。

2014/8/4(月) 午後 1:09 [ 山下早苗 ]

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恥ずかしい思いをさせてしまっていたことに気がつきました。

申し訳ありません。

最初の4件のコメントはこちらで消しますね。

このコメントの公開は結構ですので。

2014/8/5(火) 午前 11:44 [ 山下早苗 ]

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私は自分に自信がないので、自分に全て問題があったと 一時思ってしまってました。

ですが 読み返してみると、たしかに私は自分の気持ちに正直でありたいと思うがあまりに、相手に恥ずかしい思いをさせていたことに気づけないでいました。
そのことは私が悪い。反省する点です。

ですが一方で、復活さんの返事も論点をすり替えていて 私のコメントに対する返事になってない点も見受けられました(私の思い違いだったらごめんなさい)

モヤモヤしてきたので思いきってコメントを書かせていただきました。
失礼しました。

2014/8/6(水) 午前 0:40 [ 山下早苗 ]

決して論点をすりかえたということではありません。お返事するのに困惑する内容に関しては、お返事を控えさせていただき、その他のことについて、お返事しただけです。
ともかく、このコメント欄で、このようなやりとり(どう受け取った、とか、どちらが悪い、とかいうような)をすることを、正直、好みません。誤解の上に、誤解は積み重なり、収拾がつかなくなってしまうものです。
どうか、これ以上、いろいろとお考えにならないよう、お願いします。

2014/8/6(水) 午前 1:50 復活

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よんどころない

人様のホームで相手の望まないことをする
のは、私も本位ではありません。

ただ、この場所でしか話せる場所がありませんでした。

2014/8/6(水) 午前 2:23 [ 山下早苗 ]

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しまった…

本位×
本意○

です。

何度もすみません。

2014/8/6(水) 午前 2:42 [ 山下早苗 ]


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