音と言葉の草原

当分の間、お休みします。

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2010年、ホーム最終戦に行ってきました。
大分トリニータ vs 横浜FC」です。

J2に降格し、監督も選手もガラっと変わって、結局、順位は下のほう。
財政的にも建て直しの道は険しく、まだまだ苦難が続きます。

それでも、ユニフォームを着て、タオルマフラーを首に巻き、
スタジアムに出かけることができるのは、幸せなこと。

そういう街にたまたま住んでいる幸運は、忘れないでいようと思っています。


そして今日は、横浜FCの三浦知良選手が見られる日。
1年の最終戦で、ありがたい幸運でした。

内心、カズゴールが決まることも祈りながら、
「2−1でトリニータの勝利」と望んでいました。

2回に分けて、いくつかの写真をご紹介して、
今シーズンの締めくくりにします。

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後半始まってすぐに、カズゴールです!

私は、ラーメン食べてて見逃してしまいました(泣)。
焼きそばにすればよかった…。



 




 

15 別れについて−2

15 別れについて−2

 もし避けがたい病が訪れ、私に自分の死を受け入れるまでにいくらかの時間が与えられるとするなら、私はその時間をどのように過ごすだろう。長く続く嘆きや怒り、そして現世や来世との取引に明け暮れ、ひどく疲れきった後で、私は何を考え何を思うのだろうか。

 何もかもが消滅する。自分が消え、目の前の世界も消える。しかし、実は世界は残り、私だけが消えることに気づく。この世への名残惜しさ。私だけが死ななくてはならない理不尽さ。繰り返し襲う感傷。自己への憐憫。私は、自分の死を受け入れるまでに、いったいどれだけの時間を必要とするのだろうか。

 死は、私の生に意味を与え、私の生を完結させる。
 死ななければならない私は不幸だろうか?不運だろうか?死が私の生から輝きを奪い、私の生のすべてを闇で包み込むのだろうか?私は抵抗することもできず、闇へと歩みを進めるのだろうか。
 あるいは私は死を受け入れ、穏やかな場所にたどり着くことができるだろうか。私の生は、このようなものだったと、落ち着いて語ることができる時間にたどり着くだろうか。短かったかもしれないが十分に生きたと、愛する人に微笑むことができるだろうか。

 死は、私の生をほかならぬこの私から奪う。しかし私の死は実は私だけのものではなく、あなたにとってもまぎれもなく「死」なのだ。私はそのことに気づくだろうか。あなたの中にいる私の死に思いを馳せ、あなたを慰めることができるだろうか。あなたの涙を拭って、「また会えるから」と、あなたを最後まで励ますことができるだろうか。私は死のその瞬間に、あなたのための私でいられるだろうか。

 私はその生の最後まで、あなたを見つめ続けたい。あなたに触れつづけたい。そして後に残るあなたに最後まで私の生を与え続けたい。
あなたの手。あなたの指。私の生が最後までその温度を覚えておけるように、離さないで欲しい。私の死はもう、すぐそこまで来ているから。


 マーラー/交響曲第9番 第4楽章

 現世との別れをあなたとともに迎えるために、私にはこの音楽が必要だ。私が力を失い、絡ませたこの指を離さないように、この音楽が私を支えてほしい。あなたを最後まで愛しつづけるために、この音楽が私に、私たちに鳴りつづけてほしい。私にその時が来るまで。最後の一音が消えるまで。
 そして、その最後の一音から始まる次の生のために。
 あなたにもう一度出会うために。



[演奏]
イメージ 1レナード・バーンスタイン/ベルリン・フィル(79ライブ)は、生の燃焼を回顧する。愛の軌跡を振り返る。死への嘆きや怒りは時に再現され、生への渇望すら見え隠れする。しかしその過程は、やはり死の受容を目的としている。泣きながら微笑んでいる私は、最後の一音まであなたを愛し、あなたへの愛によって生かされている。私の生は完結した。そしてそれは、私が愛しつづけたあなたへの贈り物だった。あなたに受け取ってほしい。私の生のすべてを、私のいちばん大きな最後の贈り物として。

イメージ 2ヘルベルト・フォン・カラヤン/ベルリン・フィル(82ライブ)は、生の軌跡を天上から振り返る。私の生はすでに天上への旅を始め、私の生は、美しい一枚の絵画のように光りを放っている。生は必ず次の生へと受け継がれ、もう一度あなたに会いに行く。私の生は闇を眼下に、天上へと向かう。私があなたへ微笑むとすれば、その微笑みは来世で出会う約束。あなたは私のどんな微かな笑みも見逃さないでほしい。それが最後の、あなたへの私からの贈り物なのだから。

イメージ 3クルト・ザンデルリンク/BBCフィル(82)は、死への道程が実は孤独なものでないことを私たちに教える。たとえ私がたった独りで死んでいくとしても、その傍らには、あなたの魂が寄り添っている。私は自由のきかなくなった私の体を重荷に思うかも知れない。しかし、その体はあなたが支え、柔らかな手で擦り続けている。私は死ぬのだろう。それは避けることはできない。しかしその道程にはあなたがいる。私はあなたの魂に微笑みかける。あなたは私を愛で包み込む。死という別れは、私をこの世から引き離す。しかし、私をあなたの魂から引き離すことはできない。

イメージ 4レナード・バーンスタイン/アムステルダム・コンセルトヘボウ管(85)は、現世での別れが、それ自体の中にすでに再生を孕んでいることを私たちに教える。私たちは死という別れに絶望し、今生へ残さなければならない生きるはずだった時間を惜しみ、涙を落とす。死は私たちにとって、まちがいなく絶対のものであり、避けられはしない。しかし、注意深く見つめれば、あなたの別れの涙の中に、次の生の萌芽が見えないだろうか。あなたが今生に残していく愛が、あなたを次の生へと運ばないだろうか。あなたが今生と別れを告げるとき、あなたの愛は今生へと惜しみなく与えられ、世界へ染み渡り、あなたが次の生へ行くために必要な泉を作るのだ。

イメージ 5クラウディオ・アッバード/ウィーン・フィル(87)は、死こそが生の最大のドラマであることを私たちに示してくれる。フィナーレという言葉は、たとえそれが病との壮絶な戦いであったとしても、死に当てはまる言葉だと教えてくれる。私たちは多少の差はあれ、ある程度の長さの人生を生きた。確かにより長い人生もあり得ただろう。しかし、この人生こそが私の人生であり、それがこうして終わるのならば、それが私のフィナーレに他ならない。私は十分に生きた。思い残すことは多くあるが、やり残したことはない。なぜなら私の人生は今、フィナーレを迎えるのだから。そのことが、その事実が、私の人生が今、完結することを教えるのだ。フィナーレを迎える私の人生の最後の時間に、すでに一条の陽光が差し込んでいる。






 
 
後半の始まりだったでしょうか、リーダーシップを見せる本田選手。

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本田選手のフリー・キック。

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ワールドカップで大活躍した、ディ・マリア。

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攻め上がるイグアインと、それを防ごうとする長谷部選手、内田選手。

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勝利の凱旋。トリニータ出身の2選手も写っています。

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ヤタガラスにいじられる長友選手。

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勝利に湧くゴール裏。

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全部で300枚以上の写真を撮りましたが、その中から選んで載せました。

埼玉での試合観戦は、本当にいい経験でした。

今回は、幸運なことに機会に恵まれましたが、
今後たびたびあることではありません。

大分の「大分銀行ドーム」での代表戦を、心待ちにします。





 
 
今日は、久しぶりにゆっくり休みました。

私の休みのいちばんの過ごし方は、本屋をゆっくり見て、
購入した本を持って、ちょっと屋外になっているカフェで、
ゆっくりコーヒーを飲みながら、本を読むこと。

今日は少し寒く感じましたが、スタイルが大事なので、
そこは「やせ我慢」です(本人やせてはいませんが…)。

パンジーよりも小さな花の「ビオラ」をいくつか買ってきて、
前のがさすがに枯れてしまっていたプランターに植えました。

それと庭の芝生を少し草むしり。
これだけ寒くなっても、まだ蚊には刺されます。

今は夕食前。音楽を聴きながら、こうしてパソコンに向かっています。
音楽は、ボロディン/交響曲第2番ロ短調

ところどころ、「中央アジアの〜」のような響きが出てきますが、
主題の反復がしつこいのには、少し閉口します。


夕食後、久しぶりにテレビドラマを見ました。

99年の愛 JAPANESE Americans」の「第4話」です。






さて、アルゼンチン戦の記事の続きがまだでした。
もう時間が経ちすぎましたが、せめて写真だけでも紹介します。

写真の容量に制限があるので、記事を分けます。



世界一流のメンバーたちが並びました。

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岡崎選手のゴールは、森本選手の前のボールを「横取り」する貪欲さ。

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メッシの左足のシュート。なかなかうまく撮れたでしょう?

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ペナルティ・エリアの中で、ボールを保持する本田選手。

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笑顔の本田選手とは対照的なメッシ。

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(3)に続きます。







  

最後にシャコンヌを

 
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ヴァイオリンのレッスンを受け始めて、この秋で5年半くらいだったと思います。
今まで、愛想を尽かすことなく教えてくださっていた先生が転居されることになり、
今日(10月20日)が最後のレッスンでした。

9月にあった、小さな発表会では、私は結局、モーツァルトのホ短調のソナタ(K304)を
弾くことはできずに、ずいぶん昔にやった曲で、お茶を濁させてもらいました。

先生がいなくなってしまうことで、ヴァイオリンを習い続ける熱意が続くだろうか、
忙しさを理由に辞めてしまわないだろうか、自分が不安になりました。

先生が替わっても続けようと、ヴァイオリンをましなものに買い替え、
辞めることができぬよう、不退転の態勢に自分を追い込みました。

先生とのレッスンがあと数回になったとき、目標もない状態になり、
何の曲を取り上げようか、という話になりました。

「せっかくですから、復活さんの好きな曲を取り上げましょう」

バッハの無伴奏をいろいろ見てみますが、ソナタは難しいものが多く、
テンポの速いものは、よほど遅くなってしまうだけです。

探しあぐねた私が、「もっと長く習えれば、先生にいつか『シャコンヌ』をお願いしたんですが」
と申し上げると、「じゃあ、やりましょう!」とおっしゃいます。

確かに、以前、「小学生でも弾ける」とのことでしたが、しかし、いくらなんでもです。
事実、楽譜を見てみても、刻々と変化していく和音の連続など、とんでもなく難しそう。

「弾けるところだけを音にするだけでもいいじゃないですか。うれしいですよ、きっと」

そうおっしゃってくださり、パルティータ第2番「シャコンヌ」を、ろくに譜読みもしないまま、
初見でどんどん弾き進めていくことになりました。

ポジションの移動やフィンガリングで、私が自分でわからないところは、
先生にどんどん教えていただきながら、前へ前へとすすめました。

時々ゆったりと弾ける部分に行き当たると、自分の抱えている楽器から、
シャコンヌが鳴る喜びに震えます。

アルペジオなどの、私がまったく慣れない部分はけっこう苦痛でしたが、
それでも、「シャコンヌ」を弾かせてもらっているという有難さ、喜びが勝ります。

人生最後に弾ければいいと思っていたこの曲を、何度も立ち止まりながら、
それでも少しずつ弾き進めている…。

素人としてずっと遅れてヴァイオリンを始めた者にとって、これ以上幸せなことはない。
乗り越えられそうにない壁に当たるたびに、そう思うことで、乗り越えることができました。

がんばっていくうちに、譜読みも早くなり、指も音を言い当ててくれます。
先生にほめられて、さらにモチヴェーションも上がっていきました。

そして今日、シャコンヌを始めて四回目くらいだったでしょうか、とうとう末尾までたどり着きました。

そして、たどり着いた瞬間に、先生とのレッスンは終了しました。


当然のことですが、別にシャコンヌが弾けたわけではありません。
それどころか、たどたどしく、何度も止まりながら、一応最後までたどり着いた、というだけです。

でも、私には、こんなにうれしいことはありませんでした。

私のような素人が弾けるはずもないシャコンヌを、最後に熱心に教えてくださった。

先生から、ありがたいプレゼントもいただき、それも嬉しかったのですが、
こうしてシャコンヌを教えていただいたことが、
私には最後の何よりのプレゼントでした。



この夜、私が聴いたのは、豊嶋泰嗣。「MONOLOGUE」というCD(1992年の録音)。
誠実な演奏です。


◆写真は、9月下旬の空。日田市大山町にて。





 

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