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東京滞在の2日目、研修先は埼玉の大宮。 それが終わった後、そのまま浦和に向かい、 「キリン・チャレンジカップ 日本 vs アルゼンチン」を観戦してきました。 埼玉スタジアム2002へは、初めての訪問。 浦和駅から、タクシーで向かいました。 乗り込んだタクシーの運転手さんが、熱烈どころではない浦和レッズのサポーター。 道中のレッズにまつわるお話は、名人芸の域に達する名調子でした。 埼玉スタジアム2002は、観客席が翼のように突き出た、威圧感のある姿です。 Jリーグのチームも、対レッズの試合で、ここでアウェイで試合をするのは大変だろうなと、 中に入る前から圧倒されました。 そして、中も広く、とても迫力があります。 陸上トラックがない分、ピッチが近いかと思いましたが、 傾斜がなだらかなせいか、それほど近くは感じません。 しかし、とにかく広くて見晴しのいいスタジアムです。 試合が始まる前に、社員の2人がカレーを買ってきてくれました。 本格的な味でおいしかったのですが、これが、とにかく辛い! 日本の選手たちは、早くから出てきて練習していましたが、 アルゼンチンの選手たちは、後で知りましたが、渋滞で到着が遅れて、 結構ギリギリになっての練習でした。 これは、登場してきたばかりのテベスとメッシ。 選手紹介でも思いましたが、アルゼンチンのメンバーの、 有名な選手の多いこと! メッシ(バルセロナ)はもちろんですが、テベス(マンC)、イグアイン(Rマドリード)、 D・ミリート(インテル)、マスチェラーノ(バルセロナ)など、真のトップランクの選手たちがたくさんいます。 W杯での活躍が記憶に新しいディ・マリア(Rマドリード)や、 昨年、8月に大分で行われた、トリニータ vs インテルナシオナウのときには、 来日してくれなかった、ドリブルの名手、ダレッサンドロ、 それから、私が好きな、ラヴェッシ(ナポリ)も来ています。 DF陣も、カンビアッソ(インテル)や、エインセ(マルセイユ)など、 超有名な選手がいます。 でも、W杯でも活躍した、私の好きなホナス・グティエレス(ニューカッスル)が来なかったのは、とても残念でした。 それから、マキシ・ロドリゲス(リヴァプール)も観たかったな。 ちなみに、私の目の前の席に座っていた女性は、アルゼンチンのユニフォームで、 背番号は2、デミチェリス(バイエルン・ミュンヘン)でした。渋いです。 選手紹介は、全部写真に撮りましたが、1つだけ紹介します。 ヨーロッパ・チャンピオンズリーグ優勝のゴールに敬意を表して、ディエゴ・ミリート(インテル)を。 どことなし、ロバート・デ・ニーロみたいな…。 日本代表も、もちろん全部撮影しましたが、 諸事情により、ご紹介するのは、長谷部誠選手に限られます。 関係各位のご理解をお願いいたします。 それにしても、ワールドカップのすぐ後に、日本 vs アルゼンチン などという、 贅沢な試合が行われるなんて。 たまたま出張と同じ期間にあって、観られる幸運を思いました。 キックオフ以降は、また次回です。 |
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10月7日から、職場の社員2人を連れて、研修が目的で東京に出張していました。 2日目の10月8日、午前中から昼にかけての時間が空いたので、 2人と相談して、折しも「ゴッホ展 こうして私はゴッホになった」を やっていたこともあって、乃木坂の「国立新美術館」を訪ねました。 私たちが入ったのは、地下鉄「乃木坂」駅から直通の入り口。 帰るときに知ったのですが、こちらはいわば裏口だったようです。 出張に出発する2日前に、研修の予定が大きく変更になり、 東京で時間が空くことが間違いなかったため、 出発前日に、東京のアート巡りのガイドブックを購入していて、 その中で紹介されていた、この美術館の内部の威容にも関心がありました。 ゴッホだけの企画展だと思っていましたが、同時代の周辺の画家たちと 関連付けられた展示は、ゴッホが何者かを理解するには大いに役立ちました。 サブタイトルの通り、ゴッホは、いきなりゴッホだったわけではなく、 変化する時代と暮らした土地の風土、そして、学んだ師やライバルたちから、 貪欲に吸収していった結果、「ゴッホになった」のです。 私は今まで、ゴッホは特別で、最初から一貫してゴッホだと、なぜか思い込んでいました。 しかし、この展覧会を見て、ゴッホはあくまで、次第にゴッホになっていったのだということが、 とてもよく理解できました。 たとえば、言われてみれば誰でも気が付くことですが、彼の絵が、 農作業に従事する農民をひたすら描き、その崇高さがルオーのようだったり、 点描を用いていた風景画や自我像では、スーラに近づいていたり、 あるいは薄塗りで描く筆遣いは、親友のゴーギャンのようだったりしながら、 しかし、いつかあの、うねる様な筆致が独特の「ゴッホ」になっていく。 私は、若いころは、美術展に行くと、自分の運命の一枚に出会えればそれでいい、 などと、主情的な判断だけを優先させ、一枚の絵の前に長く佇んだりしました。 それでも、あのころはそれでよかったとは思っています。 なぜなら、そうでなければ、その後もこうして美術と向き合い続ける そのための素地のようなものもできなかったはずだからです。 しかし、今、若くない年齢になって、美術を感動の対象としてだけ見るのではなく、 その中にどんな要素が含まれ、何が変わり、何が持続し、そして、結局は、 何が本質なのかについて、考えをめぐらすようになりました。 私にとって、今回の「ゴッホ展」は、今後ゴッホという画家に向き合っていくために必要な 手引きのようなものを、授かった展覧会だと感じています。 図録は、宅急便で送った荷物の中で明日にならないと届きません。 ゴッホがゴッホになったその流れを、あらためて確かめるが楽しみです。 帰りは、正面玄関から出ました。 「ゴッホ展 こうして私はゴッホになった」は、12月20日までです。 |
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今日は、何の行動予定もない休日。 来週には大きな出張も控えているため、夏バテと過労を癒そうと、 できるだけおとなしくしていました。 そうは言っても、ただ寝転がっているだけでは、体が固いまま。 温泉でほぐそうと、市内のちょっと高級なところに出かけたら、 まだ開いたばかりの時間で、私ひとりの貸切。ぜいたくな時間でした。 帰宅してからは、大分トリニータ対ギラヴァンツ北九州の試合をTVで観戦。 逃げ切るにしては、ロスタイムに入ってからボールをキープできないな、と心配していたら、 95分に失点…。追いつくのはいいけれど、追いつかれるのは痛いです。 イングランド・プレミアリーグのアーセナルも、先日は、格下のWBAに敗戦…。 自分のストレス解消を、ひいきチームに依存してはいけないと、 何度も自分に言い聞かせますが、それでもやはり負ければ虚脱感を味わいます。 夜は、久しぶりにじっくり音楽を聴きます。 昨夜、NHKで、ナタリー・デッセイの歌劇「夢遊病の女」をじっくり視聴して、 その質の高い歌唱に感激し、上質な音楽を聴きたくなったのです。 それにしても、「夢遊病の女」の、ストーリー展開の遅さには参りましたが…。 写真は、同オペラのものがなくて、「ルチア」のもの。似た感じです。 今夜、まず聴いたのは、 ■シューベルト/ピアノ・ソナタ第21番 変ロ長調 D960 演奏は、石田多紀乃さん。芸大出身の、深い音楽をやる人。 切々と語りかけるような演奏。 併録は、リストの「ダンテを読んで」。フランクの「前奏曲、コラールとフーガ」。 選曲の妙。一つの統一された世界を聴く思いのする1枚。 次に聴くのは、 ■バッハ/ゴルトベルク変奏曲 BWV988 演奏は、グレン・グールド。1981年の方。 バッハの音楽は、一般的には、非常に知的なものだと思われていて、 もちろんそれはその通りだと思うものの、知的だと言っただけでは、 本質的なものが抜け落ちてしまう思いがしていた。 グールドの演奏も、ほかの演奏よりももっと知的だけれども、 彼の演奏を聴いて初めて気付かされるのは、バッハの音楽が強く持っている生命感だ。 このことをもっと探究して考えてみたいけれど、中学生の次男と約束していた 「ウイニングイレブン」の試合が挟まってしまった。 試合結果は以下の通り(「ウイニングイレブン2010」PS3)。左が次男。 第1試合 ローマ 1−3 ナポリ 第2試合 リヴァプール 1−0 エヴァートン 第3試合 イングランド 3−2 ロシア 第4試合 マンU 4−4 アーセナル 第5試合 バルセロナ 1−2 レアル・マドリード 第6試合 バルセロナ 2−2 レアル・マドリード 引き分けの試合は、PK戦をすべて次男が制したので、戦績は、次男の4勝2敗。 ナポリは、司令塔ハムシクと暴れん坊ラヴェッシの活躍で、うれしい勝利。 ロシア代表は、アルシャービンが、1ゴール、1アシストの活躍でしたが、 2−0から逆転されました(泣)。 ルーニー、ジェラード、ランパードにやられました。 写真は、エンジ色のユニフォーム、10番アルシャービン。 アーセナルでも常にリードしながら、追いつかれる展開。 ウォルコットが、右サイドで躍動。ゴール前で、ロシツキーやセスクが仕上げます。 マンUは、ルーニーはハットトリックでした。 クラシコは、敗戦した次男の要望を聞き入れて再戦。 延長でイニエスタにやられて追い付かれ、PK戦で敗れました。 写真はナポリのハムシクとラヴェッシの「デュオ」。 ゆっくり休んだ日の最後がゲームの嵐で疲れましたが、 それも、今後いつまでもできることではありません。 子供が一緒に遊びたがるうちのありがたさです。 今夜、これから友人にメールを書くのに、最後に聴くのは、バッハのカンタータ。 演奏は、フィリップ・ヘレヴェッヘとコレギウム・ヴォカーレ。 ■バッハ/カンタータ第8番、第125番、第138番 少しずつ、夏バテから抜け出していきたいものです。 |

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歌の歌詞がどれほどの意味を持っているのかと疑問に思うことがある。 なぜなら、それは時に定型的であり、記号的であり、そのために陳腐だからだ。 「君だけを愛している」という言葉の内容自体には、時と場所を越えた普遍があるにせよ、 その言葉にリアリィティを持たせているのは、曲のあり様の方ではないか。 あるいは、歌い手の側が持つさまざまな要素(歌唱力、表現力、顔の表情など)に、 むしろ多くを負っているのではないか。 私自身、それまで夢中になっていた、80年代前半の「ニューミュージック」と言われる音楽と、 それ以前の「フォーク」に、ある日突然、気持ちが向かなくなったのも、いま思えば、 歌詞の陳腐さ、あるいはその逆に、あまりにも恣意的な言葉に、関心が持てなくなったからだった。 しかし、後にカラオケが登場し、それに親しむたびに、歌の歌詞が持つ力に改めて感心させられた。 それは、もちろんまずは作詞家の力量に対してだ。 何という絶妙で印象的な言葉の選択。 韻の法則を尊重しながらも確保された自然な表現。 古典的な和歌の修辞技法に優に匹敵するような見事な換喩。 そのような作詞家の力量を確認するのに、すべての歌詞をじっくり読むことができる カラオケのモニター画面は、実に大きな役割を果たす。 歌詞の力は、しかし、それ自体が持つものとしてだけでなく、 歌い手の世界と重なることによって、よりはっきりと明らかになる。 歌い手とは、もちろん、カラオケの、である。 自分自身も含め、カラオケに参加するメンバーたちは、それぞれ歌いたい曲を選び歌う。 聴き手は、メロディーを知らない曲であっても、モニターのおかげで、歌詞は確認できる。 何気なく目で追いながら聴いていることがほとんどであるその時間に、 ある時、私はこう気づいた。 「それぞれみんな、自分の世界、自分に近い世界を歌っているんだ」と。 失われた愛を惜しむ歌、いまの愛の永きことを願う歌、困難を乗り越えて高みを目指す歌…。 それぞれに、その曲を選んだ歌い手の人生観が、その選択におのずと表れ出ている。 それが本人の価値観や感性に寄り添うものであれ、あるいは自分にはないものへの 憧れであれ、その歌い手本人の想いを表す歌を、みな自然に選んでいる。 ある程度、ではあるだろうが、そう言えるのではないか。 * * * 『源氏物語』「玉鬘」の帖に、「心細い上洛」と言われる一節がある。 九州に身を寄せていた玉鬘が、地元の豪族に言い寄られて、 それから逃れて、舟で上京する場面である。 かく逃げぬるよし、おのづから言ひ出で伝へば、負けじ魂にて追ひ来なむ、と思ふに、 心もまどひて、早舟といひて、さまことになむ構へたりければ、思ふ方の風さへ進みて、 危きまで走り上りぬ。 ひびきの灘もなだらかに過ぎぬ。 「海賊の舟にやあらん、小さき舟の、飛ぶやうにて来る」など言ふ者あり。 海賊のひたぶるならむよりも、かの恐ろしき人の追ひ来るにや、と思ふにせむ方なし。 うきことに胸のみ騒ぐひびきにはひびきの灘もさはらざりけり 川尻といふ所近づきぬ、と言ふにぞ、すこし生き出づる心地する。 例の、舟子ども、「唐泊より川尻おすほどは」と、うたふ声の情なきもあはれに聞こゆ。 豊後介、あはれになつかしううたひすさびて、「いとかなしき妻子も忘れぬ」とて、 思へば、「げにぞ、みなうち棄ててける。いかがなりぬらん。はかばかしく身のたすけと思ふ郎等どもは、 みな率て来にけり。我をあしと思ひて追ひまどはして、いかがしなすらん」と思ふに、心幼くもかへりみせで 出でにけるかなと、すこし心のどまりてぞ、あさましきことを思ひつづくるに、心弱くうち泣かれぬ。 豊後の介は、舟子の歌の続きに、自分も合わせて軽い調子で口ずさんだのではないだろうか。 そして、何気なく歌った「いとかなしき妻子も忘れぬ」という歌詞を自ら聞いて、 「ああ、まったくその通りだ」と気づいたのではないか。 「歌ひすさみて」も「すさむ(すさぶ)」は、補助動詞で「興に乗って〜する」「〜して興じる」といった意味で、現代の「口ずさむ」につながる言葉。 つまり、豊後の介は、たとえば、「とってもいとしい妻や子も、ぜ〜んぶ忘れてしまったよ〜、ってか〜」といった調子で、歌詞の意味も思うことなく歌い、そして、ハッと気づいたのだ。「ああ、何てこった!この歌の通りじゃないか、自分のやったことは」と。 この箇所の、与謝野晶子訳は、端役である豊後の介の、このような心情にはさほど目を向けず、「げに」や「ぞ〜ける」といった、強調表現もさほど気にしていない。 豊後介はしみじみする声で、愛する妻子も忘れてきたと歌われているとき、その歌のとおりに自分も みな捨ててきた、…… しかも、「いとかなしき…」を歌っているのが、豊後の介ではなく、まるで船子であるような訳になっている。 しかし、「豊後の介、あはれになつかしう歌ひすさびて」を文の通りに素直に読めば、「うたひすさびて」の主語はむしろ豊後の介であるはずだ。舟子の歌に合わせてにしろ、軽い気持ちで自分でも歌って、そのセリフの内容がまさに今の自分の境遇に他ならないことにハッと気づくからこそ、「げにぞ、みな打ち捨ててける」という、強調された表現になっているのではないか。それにそもそも、職業人である舟子が、舟歌を「うたひすさぶ」ことも考えにくいはずだ。 寂聴訳では、この箇所は豊後の介が歌ったように訳されている。 豊後の介も、しみじみと胸にひびくような調子で歌いつぎ、「ほんにいとしい妻子も忘れた」と 口ずさみながら、「考えてみれば、この歌のように何とすべてを……」 ともあれ、このあたりのくだりは、紫式部が、端役の豊後の介にもこのような心情が一瞬で反転するような見事な記述をしていることに、読者としては感嘆すべき箇所だと、私は考えている。 そして、豊後の介だけではなく、妹の兵部の君に関しても同様である。 「胡の地の妻児をば虚しく棄て捐てつ」と誦ずるを、兵部の君聞きて、 「げに、あやしのわざや。年ごろ従ひ来つる人の心にも、にはかに違ひて逃げ出でにしを、 いかに思ふらむ」と、さまざま思ひ続けらるる。 兄が、「妻子を虚しく捨ててしまった」と歌うのを聞いて、 「ああ、私もまったくその通りだ。何と呆れることをしたことか。長年連れ添った夫の心を思えば、何も言わずに急に逃げ出してきたことを、今ごろどう思っていることだろうか」と悔やむ。 ここにも、慌てて出発したものの、都近くなってはじめて、自分のその浅はかさ、無分別さへの気づきがある。 そして、それを気づかせてくれたのは、ほかならぬ、自分が(あるいは兄が)口ずさんだ歌なのだ。 玉鬘は、このように周辺の人物たちの運命も翻弄しながら、源氏のいる京都へ逃げ延びる。 一人の美しい女性を救うために、妻子や夫をひとまずも捨てた者がいたのである。 私たちが、脇役たちの人生の感慨を受け取ることができるのは、紫式部が、この長大な物語の大きな流れを、あるいは細かく分かれるその各場面を、それぞれの人物像をしっかりと思い浮かべて描いているからではないか。 そして、この場面では、歌が、しかもメロディーはなくその歌詞だけで、脇役たちの心情を描き出しているのではないか。 * * * カラオケで、友人や同僚の歌を聴くとき、私は時に豊後の介になる。 |
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九州・大分の地では、昨夜、暑さを洗い流すように蕭然と雨が降り、 そのせいか気温が少しだけ下がって、間違いなく季節が一歩進んだようです。 そして私自身も、忙しい夏の毎日が、ようやく一段落して、 部屋の中の片づけや掃除に向き合えるようになりました。 そうすると、自然と頭の中も掃除されていくように思えて、 過去のことを振り返ったり、先のことを考えたりして、 次第に自分自身を取り戻していくように思います。 8年間愛用した3代目のパソコンにもお別れする日がきました。 私のパソコンも今度で四代目。 いつの間にか、ずいぶん年月が経っているものです。 まして今回は8年も粘ったので、その進歩に驚くばかり。 それは、実際には技術の進歩なのでしょうが、私には感性の進歩に思えます。 キーボードを打つ感触、画面の発色、アイコンやウィンドウの印象などが、 8年の間に、ものを作る人たちがどう感じ、何を変えたかのかを、 伝えてくるように感じるのです。 一つの製品を大事に長く使うことは、もちろん殊勝な心がけだと思います。 時代を考えれば、そうでなければならないとさえ言えるのかもしれません。 ただ、何かを新しく買い換え、いまの時代に触れることは、その自分自身が、 自分の仕事でまた新しいものを作り出していくことにつながっていくはずです。 職場のパソコンも多くをリニューアルし、私の周りは一気に新しくなりました。 確実に古びていく自分を、時代に繋留させておくことは、 さて、できるでしょうか。 |

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