音と言葉の草原

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柳原和子さんのこと

 
 私が柳原和子さんのことを知ったのは、確かNHKテレビの医療番組だった。

 それは、柳原さんと医師2人による鼎談で、西洋医学の代表者としての、京都大学の福島医師、相補代替医療を取り入れたホリスティック医学の草分けである帯津良一医師、そして、がんの当事者である彼女。しかし、3人の討論は、実際には、柳原さんと福島医師の熱を帯びたやりとりが見所だった。

 この番組で彼女を見た第一印象は、ずいぶんわがままな人だなあ、といったものだった。
 テレビ番組の中でありながら、福島医師に自分の想いをそのままぶつけるその姿には、その率直さに好感を持つ一方、私よりも年上の人であるにもかかわらず、正直、子どもっぽくも映った。

 しかし、そういう彼女の不器用にも思える真剣さは、冷静さを保つ福島医師の感情も表に引き出して、この鼎談を、見ている者にとって、建前に終わらない、嘘のない番組にしていた。(ちなみに、私は、この番組を録画したビデオテープを、自分でも繰り返し見、また、医療を志す何人かの若い人に見せた)


 彼女の大著、『がん患者学』(2000年)は、そんな彼女の人物像が、そのまま書物になったような、率直な想いが溢れ出すような本だった。苦しみ、怒り、悩み、悲しむ――。彼女のそういう感情のすべてが、この600ページにも及ぶ著作の中に詰まっていた。
 
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 おそらくは、読み手の中には、彼女の感情が満ちているこの本を、まるで湯気に当たってむせ返るように思い、厭う人もあるだろう。決して、理性的・客観的とは言えないどころか、「ノンフィクション」と呼ぶにはあまりにも主観的で、しばしば詠嘆的、時に文学的でさえあろうとすることを辞さないこの本を、例えば、彼女の闘い続けた相手であり、同時に頼りすがり、そして赦そうをしてきた医師たちの中には、堪え難く思う人もおそらくはあるかもしれない。

 彼女は、がん患者である前から、そもそも書く人だった。だから、書いた。しかし、一般の患者たちは、書くことを生業とはしておらず、したがって、基本的に、彼らの苦しみを彼ら自身の手によって書き残し、それを公にすることはない。だからこそ、彼女は「患者学」なるものを立ち上げ、その先頭に立ったのだ。全ての病が統計学的に語られ続ける中で、それぞれの苦しみ、それぞれの痛みを語り、残し、それを伝えていくことの大事さを、自らを実例として言葉にしたのだ。

 彼女の「主観」を厭う人は、「患者学」を学ぶ前から、その本質を拒んでいる。「患者学」の本質とは、「主観」そのものを指すのではない。「個」が「個」によって語られる、という、そのことだ。

 
 彼女が、がんを再発してからの日記である、『百万回の永訣』を、しかし、私は読まなかった。書店の本棚の位置を忘れられずにいたのに、買っては帰らなかった。「再発」という言葉を恐怖し、それと闘う彼女を見る勇気がなかった。彼女の「主観」に触れるのが嫌だったのではなく、むしろ自分の主観をコントロールする自信がなかった(もっと正直に言えば、際限なく泣くだろうと思った)。

 今朝(5日)の朝刊で、彼女の訃報を知った。

 午前中のうちに書店に向かって、彼女の『百万回の永訣』のある棚へ行った。買って帰った。

 たくさんの言葉が、すぐに飛び込んできた。
 苦しみの言葉。後悔。怒りと赦し。絶望。そして、希望――。

 確かに彼女は亡くなった。
 しかし、私が言うのもおこがましいが、人が生きるとは、
 やはり「希望」のことなのだと、「希望」のことでしかないのだと、
 彼女はそう言い遺したのではないだろうか。
 彼女は、最期まで「希望」を生きたのではないだろうか。

 それは、治るはずだ、という希望のことだけでなく、
 明日も生きよう、いまを生きよう、という希望のことでもある――。
 そう思う。


 たくさんの言葉を、ノートに抜き出して引用を試みたが、
 その中から一つだけ、ここに記しておく。


   がん=不可能=個別の底知れなさ、
   深さはここにある。
   (中略)
   しかし、ちょっと待ってほしい。
   不可能とは、裏返せば、希望ではないか?
   解読しえないなにかが残っている、という事実こそが、
   最後の、わたしを支える希望ではないのか?
                          (『百万回の永訣』「2004年4月15日」より)

 
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柳原さん、たくさんありがとう。
そして、さようなら。

  



 


 

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