晴耕雨読「原発の”世界最高基準”。驚きの現実・・・日本は遅れていた」
知らないのか、そうあって欲しいという妄想かいずれか。
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本澤二郎の「日本の風景」(1698)
ちょうど3カ月前の4月26日、戦争遺児・影山友子は直前までの元気さのまま、娘との“口争”で激痛が走り、受話器を持ったまま床に倒れてしまった。溺愛した娘(I・Y子)に思いやりがあれば、2つとない命を激痛で奪われることはなかった。2日後に心臓が止まった。他方、政府に思いやりさえあれば、彼の父親も戦場で死ななくて済んだ。7月は父親が亡くなって69年。彼女も69年の短い人生に終止符を打たれてしまった。戦争遺児の悲劇は、内面的な分野になると、とても第3者にはわからない。
<戦争未亡人は産婆さん>
筆者の母親を含めて旧馬来田村の妊婦のほとんどが、遺児の母親で戦争未亡人の影山よしの世話になった。同村の子供らは、彼女の手に抱かれて、この世に生まれてくることが出来た。東京・お茶の水の有名病院で資格を取ったよしの腕前は、この辺りで評判だった。
未亡人の活躍の陰で、一人娘の幼子は毎夜、さびしい日々を否応なしに送ってきた。風の音にも敏感に反応する鋭い神経は、そうした環境の下で生まれつきのものとなった。これ一つとっても戦争遺児の厳しすぎる人生体験を、思い起こさせてくれる。
影山友子しか知らない世界である。なぜか夜に陣痛が起きるようだ。
敗戦直後の貧しい農村でも、戦争帰りの家庭は、次から次へと子供を生んだ。今日とは逆である。計画出産の智恵のない時代だから、出産費用を払えない家庭も多かった。それでも戦争未亡人の産婆さんは、思いやりで乗り切ってきた。
だから彼女の評判は、いまでもすこぶる高い。「産婆さん」というと、影山友子の母親のことを指す。ふと、彼女が選挙に出れば必ずトップ当選したろう、と思ってしまう。
<広島では奇形児を絞殺した!>
どうして戦争未亡人のことに触れるか、というと、最近のネット新聞に、原爆投下後の広島での産婆さんの秘話である。
「生まれてくる子供に多くの奇形児がいた。それを産婆さんは絞め殺した」という恐ろしい話だ。被爆した妊婦から生まれる奇形児は、少なくなかったのだ。目を覆いたくなるような産婆風景である。当事者にとって、口が裂けても語れない秘事である。
戦後69年に表面化している。今日7月26日は、ポツダム宣言が発せられた歴史的な日である。8月15日まで引きずらなければ、被爆児童も奇形児もなかった。
<福島でも奇形児が相当数?>
いま福島でも放射能を浴びた妊婦から奇形児が、次々と生まれているという。デマではないだろう。東電福島3号機は、広島と同じ核爆発である。被爆した女性の健康はSOSといわれてきたが、それがとうとう表面化してきたのだろう。昔は隠せたが、今は病院での出産である。100%隠せるものではない。
その点、影山よし助産婦は被爆地でなかった。それでも悲劇は、母親の思いやりを、遺児の友子は娘に遺伝させることが出来なかった。無念であったろう。







