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どこまでも澄み切った青空。
阿蘇の駅から撮影場所を探しながら歩いた。
秋も深まった頃なのに、心地よい涼風。
あの空気は、今でも変わらないんだろうか。
刈入れの終わった田んぼ、気軽に入れてくれた農家の方。
今も元気でいらっしゃるのだろうか。
今回の熊本、大分県を襲った一連の地震で被災された方々、謹んでお見舞いを申し上げます。
そして、お亡くなりになった方々のご冥福を、心よりお祈りいたします。
この言葉、5年前にも書きました。
そして、5年前と同じく何もできない無力さを感じています。
被災された方々には、まだ通常の生活に戻る為に多くの困難が待ち受けている事と思います。
微力ながら、出来る支援は何でもさせて頂きます。
何より、皆様の笑顔が、一日でも早く戻りますように・・・
豊肥本線 阿蘇〜いこいの村 1991年11月22日撮影
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ネガで撮ってた頃 〜蒸気機関車〜
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まだ初心者の頃、80年代から90年代始め。
国鉄からJRに移り変わったあたりの、ネガフィルムで撮った蒸気機関車の写真です。
国鉄からJRに移り変わったあたりの、ネガフィルムで撮った蒸気機関車の写真です。
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あそBOY三周年記念列車。
古いネガ見てたら、確かにこんなの撮りに行った。
旗とSLは大好きなんだけど、「あそBOY」のコンセプトはウエスタン調。
当時、馬に乗ったカウボーイが列車と並走したり、車掌さんがジーンズにウエスタンブーツとテンガロンハットだったり(残念なテリーファンクみたいだった)。
だから、三周年記念列車の旗も片方は星条旗・・・
旗がイヤってよりセンスの欠片もないヘッドマークがイヤだから、走行は全てサイドか遠目で撮った。
そして、唯一のアップが宮地の入換え。
夏の終わりの暑い日だったけど、煙は出た・・・
今思えばこれも貴重な記録。か?
このデザイン、今ではほとんどのJR九州のデザインを手がけるM岡先生なら、何て言うだろ・・・
豊肥本線 宮地駅構内 1992年8月23日撮影
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ブログ始めて二年ちょっと。
そういえば、九州のハチロクのカットは出していませんでした。
これで、復活蒸機と言われる機関車は全て出たかな?
秋も深まった11月下旬。
「あそボーイ」と呼ばれた58654を、山口の年内最終運転と絡めて行ったのでした。
このカット、実は追っかけ3カット目。
1カット目を立野駅に入って来る所を陸橋から撮って、スイッチバック線の脇まで歩いて後追いで撮った後に、また歩いてこのポイントに。
つまり徒歩で三回撮れたんです。立野の外輪山越え三段スイッチバックがあってこその荒業でした。
当時、ビデオカメラとスチールカメラ。機材も結構ありましたが、特に無理なく移動出来ました。
まぁ、その後のキハで追いかけると、阿蘇でふたたびハチロク抜くので片道四回でしたけど。
今では「SL人吉」として肥薩線でレギュラー運転のハチロクですが、当時は凄まじいドラフト音奏でて峠に挑んでいた頃です。しかもこの日は客車の発電装置が故障で、ハイパーサルーン水前寺乗り入れ(懐かしい・・・)用の電源車付き。
当然重量増してますから、まるでドラムを叩くようなドラフトと真っ直ぐ立ち昇る排煙。その迫力ったら凄かったです。
結果的に、この勾配における負担がハチロクの台枠を損傷させたって話も聞きますが・・・
出来れば、ハチロクの外輪越えはもう一度見たい光景ですね。
この当時の動画は結構あるから、今度Youtubeに上げようかな・・・
見たい人がいれば、ですけど。
豊肥本線 立野〜赤水 1991年11月22日撮影
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国鉄がJRと名前を変える10日前。
高校の(ひとり)卒業旅行と題して、山口線でC571を撮っていた。
この日、仁保〜篠目で見たキャブの中、結構な人数が載っていた。
「何だろう?」って思ったけど、聞いてみれば翌年から秩父のC58363運転開始の為の研修で、皆さん高崎から山口に来ていたみたい。
翌週には小樽からC623の機関士になる皆さんが研修していたらしいから、このシーンは「蒸気機関車復活元年」と言われた1988年の序章だったのかもしれない。
今思えば、そんな事も国鉄であったから出来た事。
今では高崎の研修に大挙して山口行くなんて、考えられないですよね。
そんな皆さん、津和野での折り返し時間に記念撮影。
たまたま居合わせた俺、ちゃっかりシャッター切らせてもらったりして・・・
だけど、当時だから当然現役の蒸気機関車を扱った事のある方々ばっかりでしょう、みなさん久々のナッパ服もサマになっててカッコ良かったです。
山口線 津和野駅構内(旧津和野機関区) 1987年3月21日撮影
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むかし、俺が高校生の頃。
大井川のC5644は、返しも頭向きで帰って来ていた。
確か、テンダ機関車がバック運転する時の速度制限で、必ず千頭で転向していたんだっけ・・・
もちろん新金谷に転車台なんて無いから、運転が終わった夕方、再び転向のために電気機関車に牽かれて千頭まで行っていた。
今考えると、最高にオイシイ時間の回送だったんだけど。
当時はそんな事思いもせず・・・
大井川に寒風が吹いていた日。
真っ白い白煙も河原に舞った・・・
近年、こんな風景は毎日見られるようになったけど、機関車が赤プレートだった事が今と違うかな。
そういえば、今は背景に存在感抜群に写る川根温泉も、当時は影も形も無い。
大井川鉄道 笹間渡〜抜里 1987年2月8日撮影
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