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. 舞台で弾く直前に あるいは弾きながら 自分が信じているものを思い浮かべられたなら それはシアワセなことだ。 信じるということにはちゃんと質量がある。 ーーーーわたしはいま、そうおもう。あたりまえすぎて忘れているだけだと。 信じられるということは その質量が確かなものって知っているということだ。 信じる行為で繋がるものが 自分の背に添えられたときの 心強さを知っているということだ。 完全に孤独だったら弾けない気がする、というより 孤独でも弾けたとして、それはーーーハピネスの使者ではない。 信じていなくちゃほんとうの意味で弾けないと思うのだ その曲のチカラとか(どんなに駄作に思えても) ただ連続する和音の意味とか(どんなに徒労に思えても) 客席、舞台裏に居てくださるすべての人のことも。 誰もわたしの失敗を望んだりするわけがないことも。 違和感が先に立つ鍵盤や椅子、楽器のことすらも。 もちろん弱い弱い自分自身も。 信じるという質量に孵すことが出来たならシアワセだ。 そのコンサートを支えてくださる人のこと。 わたしが生きるのを支えてくださる人のこと。 その瞬間わたしを見守っていてくださる人のこと。 目に映る世界のこと。 極端な話かもしれないけれど、 たとえ大地震が起きても、ここだけは生き残るだろう、地球はそんなイジワルしない、と。 意味もなく楽観できるくらい。 信じるという質量に変えて弾けたらシアワセだ。 演奏しているあいだ わたしを助けるのは「弾くテクニック」じゃない。 信じるチカラだ。信じるという質量に孵すことができる信念だ。 それをちゃんと知っている人になりたい。 信じるという行為には ちゃんと質量がある。 ウソみたいだけどちゃんとある。 だから。 それを失くしてしまったら。 質量的な空白ができてしまって どんなテクニックや名曲をもってしても ーーーもう埋められないのだ。きっと。 らぷそでぃ
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本番のステージには、コンマスですので最後に登場して
お客様にご挨拶をした後は自分が練習してきた
これまでの事を信じて演奏を始めます。
それが結構精神的に落ち着けるコツでもあったりします。
この歳になってようやくそう思えるようになりました。
2008/12/4(木) 午後 9:43
信ずる気持ち・・なんにでも通用することだよね。。
お互いのこと、自分の練習してきたこと、
そして・・香ばしいであろう・・タコヤキ君。。
薫り高きソース、中に包み込まれた肉厚のタコ君、そして彩りをそえる青海苔の面々・・信ずるから納得してお腹に収まっていくのでありまする。。
・・ありり・・どこからか話を間違えたようで・・
はぁ。。 ^m^
2008/12/4(木) 午後 10:05
質量がある・・・
だから反抗期の頃親やら先生やら周りやらの存在が鬱陶しかったのか・・・?いや、ちょい違うな。
話ずれるけど、信じるっていう言葉って的確じゃないと思うことがたまにあります。本当にある対象のことを信じているなら、僕はその対象を信じてるとか思わないし、言いもしないと思うんです。
それはきっと、当たり前に100%に近い割合でその対象を受け入れられるからじゃないかと思います。まぁ単語の捉え方次第かもしれませんが。
例えば、らぷさんも旦那さんに対してそうじゃないですか?
・・・なんか記事に沿ってないけど、そこはご愛嬌ってことで、^^;
2008/12/5(金) 午前 1:17
らぷさん、おはよう・・
らぷさんの明るく素直に語れるブログに出会えたのはラッキーでした。
久々に、遠退いていたポエム(?)をアップしました。
2008/12/6(土) 午前 10:14
素敵な記事ですね。
うまく言えないですが、分るところあります。
自分の中の信じる気持ちが人を繋げ、
そうして色んな経験をしてきた時間の大切さ。
それは独りで長く長くテクニックを積むだけでは得られない。
聴く人のココロに響かないし、じぶんも楽しめない。
経験し感じた想いが演奏に出る、辛い事も嬉しい事も
その中で、信じて 信じられないことがあって また信じて…
そうしながら、信じることを重ねていってると
思って演奏で来たら いいな。
私、信じることが足りないからココロに響きました。。
2008/12/6(土) 午後 8:46
信じるという質量って らぶさんの ハートに、
頭に、腕に、指先に、いや 人を思いやる心の中に、日頃の積み重ねの中から 重さとなって
でてくるのかな〜 難しいな^
2008/12/7(日) 午前 0:20
私、ピアノのコンサートを聴く時、たまに見えるものがあるんです。
ピアノの真上付近に漂うふわんとした透明だけど、少し色のついたモノ。椅子の背もたれに頭をのせてぼーっと音に集中してると、あれ?!なんだろうとか思いながら見てると、舞台の上にすーっと広がることもあります。
今までに数えるほどのその体験ですが、その「質量」が現れたのかもしれませんね。
ピアニストが放つ音はホールの空間で球や矢やしずくになって私に届きますが、やはりそこには最低限テクニックは欠かせない条件でしょうけど、その上に、その人がどういう信念や情熱でそこにいるかが、その質量というモノだって気がします。
聴く側からの感想でした。
2008/12/7(日) 午前 10:11
人前で弾く時は、ついついマイナス思考になってしまいがちです。
自分を信じて本番の演奏ができれば、こんなにいいことはなんですけどね。でも、なかなか難しいです。
2008/12/7(日) 午前 10:39 [ ぎんぞうたろう ]
ピー太ぁ・・!!来てくれてありがとう。
そっちにちょっと書いた、楓の樹がね、いよいよすごいんです。真赤になってほんとにきれいなんです。
わたし、いつも思うんですけど、、、
樹から葉がだいぶ落ちた頃が、一番美しいんです!光を透かすから。
2008/12/7(日) 午後 11:35
アンジェラさん・・その、言葉をそっと置いて行った方・・素敵な型ですね。。なかなか、人の心にそんなに残るように、そんな内容を、書きおけるものではないように思うから。。
信じること・・・ってやはりすごい力なんですよね。もうどしーんとそびえたっているというかね。。。お伺いを立ててるようではまだまだなのね、−−−−頭で考えてどうこうというよりも、足元からとうっぜんのごとくそうであるようなーーーー(うまく書けずにごめんなさい)
信じる質量、アンジェラさんも感じたりされることおありでしょうか。ピアノを弾きながら・・・人に対しながら・・・。
2008/12/7(日) 午後 11:40
ファンタジアさま、
そうでいらっしゃるのですか・・。。。コンマス、何年くらい努めていらっしゃるのでしたっけ、わたしもいつか、「これまでの自分」をもっとどっしり信じられるようになりたいです。実際はちょっとしたことですぐグラつくので・・・・。
この曲ダイスキ!って思えているときは無敵なんですけれどもねぇ。。。このあたりコントロールできたなら、いよいよ本物の成熟したオトナ、ということなんでしょうか。。。まだ遠い。。。ああ。
2008/12/7(日) 午後 11:43
きてれっちゃん!!!
いますぐありとあらゆる文学賞に応募すべき!!そのタコヤキへと牽引する能力には脱帽!食いしん坊では負けないらぷ子も兜を脱ぎます、はい!
そう・・あの香ばしいタコヤキ、また食べたいのよねー、銀ダコ、だったっけ??和風じゃなくてお出汁じゃなくて、やっぱりオーソドックスなソースに青のり、関西人だからちょこっとマヨネーズ、そして鰹節、、なぜか食べにくいのに爪楊枝にこだわって、−−なぜか何度やけどしても学習せずまたヤケドして・・・くまさんと、「何個食べた?」って、簡単な引き算なのに訪ねて・・うーん、やっぱり今日お買い物に出かけたかったわん、じゃなくて、でかけたかったこやき!
あんまり長いコメかくと(アホが)目立つから、これくらいにしとこう、そうしよう。。。
2008/12/7(日) 午後 11:47
テラちゃん、お仕事がんばっていますか〜〜
・・っていきなり冒頭から気に障ったらごめんなさい^^;
信じるって言葉、たしかに、違うような。。。というか信じる(もしくはそれに充当する説明)って、動詞じゃなくて行為じゃなくて、状態なんだよねぇ。状態ってすごく不自然なことなんだよねぇ、人間って移ろって代わって変わっていくことこそが自然だから・・・。
うまく書けないけれど、まぁ、それもご愛敬ってことで。。・・・え?言葉の模倣罪で逮捕?キャー、信じてたのに!(爆。これぞ大きな間違いの最たる例ナリ)
2008/12/7(日) 午後 11:51
ピー太ぁ。
読みに行く!というか、触れに行く。まっててね。
らぷ子は明るくないんだよ。見た目明るいひとは潜在的に暗いそうで、当たってると思うんだよ。でも、ということはつまり、見た目暗い人は潜在的に明るいってことなんだよ。なんだか性善説っぽく思えて、好きなんだ、このアナリーゼ。
2008/12/7(日) 午後 11:53
ゆかりん・・・。
たくさん言葉をありがとう。ゆかりんの言葉は優しいな・・。。
信じて、信じられなくて、信じたつもりがそうじゃなくて、信じてもらいたくて・・・それはすべて、信じるという世界への憧れなんだろうな・・・わたし、まだまだ遠いです。
信じるって、お天気みたいに(信じた、信じられない、晴れた、雨ふった)みたいなカテゴライズが出来ないものだと思うのです。
それっくらい、もう、どぉぉーんとそびえ立ってるものだと・・・絶対揺るがないものだと・・思うのです。。
信じたいっていう思いはグラつくけどね、信じてしまったらもうグラつかない・・・。むずかしいね。ただただ言えることは、wあたしもまだまだだってことなんです。
2008/12/7(日) 午後 11:56
Kenさん、
いつもわかりにくい記事でごめんなさい〜。
質量があるとね。。
なくなったときにわかるでしょ。軽くなるでしょ。隙間あくでしょ。なにか無くした気がする不安、じゃなくてアレを失くしてしまったという具体的な喪失や実感があって、悲しくて泣くでしょ・・・どちらかというとそういうところに視点をあてて書きました。。
でも、kenさんの書いてくださったように。。質量が。あふれてきたらいいな。わたしの手や腕や、髪や言葉や、足跡やこれからに。・・・・。(難しそうだな^^;)
2008/12/7(日) 午後 11:59
みうさま、
へぇぇ・・・!!すごいな、そういうものが見えるって、すごいと思います。でも、なんだか、わかるような気がします、その場所、その色、その姿。
私は、どちらかというと、糸ですね。音楽が、奏者と私との間で糸になります。見えないんですがだから絶対に切れないんです、もう、太さとか張り方とか超えた絶対的な「つながり」なんです・・・。。
だから、本当に孤独な人とか、「伝わらなくても己がマンゾクできればヨイ」っていう演奏家はあり得ないっていう信念(思い込み)めいたものがあります。あはは・・・・。
信じる質量、・・「質量」と表現しましたが、つまり、具体的に姿かたち重さがあるものだって、感じるのです。その、みうママさまが見た物体・・・重さを測ったら、あらっ!っていうくらい、重いかも知れませんね!
2008/12/8(月) 午前 0:02
ginzoutarouさま、
ほんとうに。難しいです・・・!わたしもまだまだです。
かと思えば、、わけもなくそれができてしまう時も、また、あるのですけれど・・・。一番の予防ワクチンは、その曲に対する愛、でしょうね。その曲への「恋」じゃなくて「愛」・・・なんか言葉にかくときざですけれども、本当にそう思ってます。
ああーーー、、自分を思いっきり信じて本番・・・してみたいな。。。
2008/12/8(月) 午前 0:04
信じるの質量
それは両の手にさえ感じられないほど軽くて
重いのかもしれないですね。
いつもらぷこさんの言葉に密度の高い熱情を感じます。
2008/12/9(火) 午前 0:39
Tolicotさま
そうですね、きっと、、、両の手の広さじゃとっても載せられなくて、、確かめようと立ち止まるともう、その質量は見えないのかもしれないですね。感じることもできないのかもしれない・・・
言葉の密度、、、いやぁ(汗)ありがとうございます、、、ケーキもどっしり目が詰まったものが好きです、が、そうじゃなくってーーーーー信じる質量は、またその密度でもあるかもしれません。
信じてたら、隙間や疑いなど、もとより寄せ付けないはずなのです・・・。わたしはまだまだ足りません。
2008/12/14(日) 午前 1:08