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最近パン屋さんが近隣にオープンして、小さなお店だけどお気に入りになりました。
バゲットが、パリで食べたものに似ているのです。くま氏もそう言います。(一晩で固くなるところも。。)
お値段も、お手頃で♪ただ菓子パン、お惣菜パンはあまり買っていないけれど。
そのお店を、知人Aは、嫌いなんだと言います。
オープン直前、店舗を覗き込んだら、店員さんに好ましくない対応をされたからだそうです。
それと、菓子パンもお惣菜パンも、小さいと愚痴ります。
知人Aは、わたしを常日頃、立てようとしてくれている方なので
今回、意見が違うことにオロオロしていました。
なんとか取り繕おうとしてくれるその様子をみて、私はあれまあと思い、考えてから、いいました。
「Aさん、べつに、いいじゃない。わたしもあなたもどちらもアリよ。」
そうです。あたしもAさんも、感情の動きや判断は、別に何も間違ってない。
なにをよしとするか、ひとそれぞれ、ちがいます。
小学校の運動会たけなわのシーズンです。
ジャニーズの「嵐」の音楽で、ダンスを披露した学校、学年さんも多いのではないでしょうか。
我が家の近隣も、そうでした。練習のころから漏れ聞こえてきてニッコリ。
ノリノリでいいじゃない、楽しく踊ってる、子どもが嵐のこと好きだしなどという意見もあり、
ですが、学校教育で(無条件にそれで踊らせるのは)どうなんだろうと、
意を異にしている親御さんもけっこういらっしゃいます。
私個人の意見ですか?・・・・。まぁ、いいんじゃないでしょうか。
嵐の楽曲はどれも完成度が高いと一目置いていますし。ただ、
音楽は、聴かされる(踊らされる)よりも、選んで聴きに(踊りに)行くことが出来ればなおすばらしい。
6年生のダンスではさすがに使う学校がいないようであること、(それはナゼか)
ピアノ教室の6年生が、「妹が嵐で踊るの、一瞬うらやましかったけど、いまはなんか、そうでもない」と、組み体操の話しの途中にぼしょっと告げてくれたことだけを挙げておきましょう。
少なくとも全員が無条件に喜ぶだろうと考えるのは年長者の奢りかもしれないということです。
子どもといえどもおとなといっしょ。嗜好も感性もそれぞれ。そんなに汲み易くありません。
価値観というもの、
ひとそれぞれちがいます。
自分の主張することが、、、どんなに自信があっても、
相手にとって正しいとは限らない。
だからこそ謙虚さを忘れてはならないのだけれど、
だけど、(ここがむずかしいところで)
誰かの手をひいて、なにかの先頭に立って歩もうとする時、そういうシチュエーションのとき、
謙虚さばかりだと、牽引力が足りなくなってしまう。ついてきてくれる人に不安を抱かせてしまう。
どこかで、、「わたしはこれと決めたんだから、選んだんだから、」と腹をくくらなければならない。
そうして邁進する姿が、説得力があるものになるように、
普段からそういう姿勢で暮らしていなくてはならない。
価値観という門は、
失くせないものであるなら、もうその門は広く多くあるほうがいい、
その門番を務める自分自身もまた、
広く大きくおおらかなこころがまえであるほうがよい。
自分の思う正しさが、相手の思う正しさとは限らない。
それを忘れずに、だけど嘆かずに、
相手が是とし、自分が否とするもの、またその逆の物事を、
しずかな目で眺めていたいと思う。
話がループするのが私の記事の常だが。
知人Aが言うように、
お気に入りのパンやさんの、菓子パン、惣菜パンは、ちいさいと思う。
うん。安いけどちいさい。
だからあたしは買ったことがあまりないのだ。
ハッハッハ。
でもね、フランスパンやそれのアレンジは本当に美味しいよ。
知人Aが、、いやな思いをしちゃったあのお店に近づかないのは仕方ない。
それでも、あたしは食いしん坊だから、
知人Aが、本格的なあのお店のバゲッドやパリジャンの美味しさを、
知ることが無い(機会がない)のだったら、残念だな、もったいないなとは、思う。
門戸が広い方が得をする。
損もするかもしれないけれど総じて得をする。
あたしの価値観の門は、じつは、狭くってちいちゃな門だから、気をつけている。
あたしという価値観の門番は、言葉にするばかりでアカンタレなので、気をつけている。
なんでこんな記事を書いたかというと
きたる発表会での、生徒ちゃんのステージドレスコードである。
まさかホットパンツでステージに上がるご息女は居ないと思うがーーーーー
でもなぁ・・・・最近ほんとうに、目を疑うお洋服の子(スタイリングするママ?)いらっしゃるからなぁ。
いちからひゃくまで言うべきか。
それとも、それもありかもと飲み込んでみるべきか。
いや、あたしという門番は、そこは譲れない。
そもそもピアノが黒いのは、フォーマルな盛装に似合うからであり、
なによりもあたしは、ピアノに関する門だけは、どこよりも硬くカンヌキをかける門番なのだ。
だってこの門番の宝物はピアノだから。
つまりそういうことである。
らぷそでぃ
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生徒のレッスンが終ってから
合唱組曲の伴奏を一冊 練習していたのです。
日本の歌ばかり、18曲。まだ手つかず。。・・・けっこう覚悟してピアノ部屋に籠りました。
前から攻めるとあとどれくらい?って思っちゃうので、後ろから練習はじめました。ときどきそうしてます。
編曲者によって、いろんな伴奏があり、、
凝ってるアレンジのわりにイマイチだなぁと思うものもあれば(爆)
作曲者(メロディーつくった方)によるオリジナル伴奏のものもあります。やっぱりそっちが好きです。
18曲の中で、今日のわたしの琴線にいちばん触れてきた、のは。
「さびしいカシの木」でした。
やなせたかしさんの作詞に、木下牧子さんのオリジナル伴奏です。
「 さびしいカシの木 」
山の上の いっぽんの
さびしいさびしい カシの木が
とおくの国へいきたいと 空ゆく雲にたのんだが
雲は流れて きえてしまった
山の上の いっぽんの
さびしいさびしいカシの木が
私といっしょにくらしてと やさしい風にたのんだが
風はどこかへ きえてしまった
山の上の いっぽんの
さびしいさびしいカシの木は
今ではとても年を取り
ほほえみながらたっている
さびしいことに なれてしまった
さらりとした前奏、後奏、、、私の主観ですが何か糸状のものが手のひらをすり抜けていくかのような、、
でも、諦観とも違うんですけどお、、、
なによりも、詞が、ほら、せつないじゃないですか。やなせさーん(涙)あんぱんまーん飛ばしてよぉ。
わたし、何度か、弾けるようになるまで、さらっていたんですが、
後奏の最後のメロディーのひとひらが、1オクターブ高くなっていて。
ああー!!!うわ〜!その1オクターブで!!!
どうしてか、このさびしい曲がーーー
こんなにも 簡素な優しさに満ちて終ってる!!、って。
気づいてびっくりしたんです。
1オクターブ、あがること。さがること。
ちょっとしたことであり、でも大きな違いです。
頭でわかってはいても、ビリビリくるほど実感することは難しいです。
「さびしいカシの木」。
歌のあと、ピアノがほんのひとひら、冒頭よりも1オクターブ高く弾いて過ぎて終止へ向かいます。
さびしくてやさしくて、としおいたカシの木のおはなし、
さびしくてやさしくて、なぜだか一片のあたたかさ、
あどけない静謐さ・・いやいや、これは、涙が乾くときの描かもよ、とか・・・・
ほんとうはカシの木はさびしくないのじゃないか、とか・・いろいろ。。。。(妄想族なんで、つい)
なんだか鼻の奥がキューンとして、何度もこの1オクターブをなぞりました。
活かしたい、この感覚、感じたことを、自分のピアノソロの演奏に・・・。
さびしい年老いたカシの木が、いっぽん、立っているおやまを、みなさん想像してみてください。
一度、過ぎゆくメロディーになって通り過ぎてみてください。(←え?
・・そして、もう一度、1オクターブ高くなったメロディーになって
はらりと通り過ぎて終ってみてください(←え??
ほら、、、年月が赦してゆくときの、、いいあらわせない感情に、似ていませんか。
あんまり、コレ!という音源がなかったのですが ↓とりあえずこちらをご紹介。
最後の一瞬、ピアノがひとひら奏でたオクターブ、聴こえますように♪
らぷそでぃ
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