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先日パーカッションの方とご一緒したのは、ある施設の中での音楽会でした。
特殊な音楽会、、と言えると思います。
大阪の通天閣のそばの、その施設ーーーー
ホームレスさんではないけれど、その施設を出たら行くところが無い、(つまりホームレス予備軍)
という方々が、何百名と、いらっしゃいます。
働きたいけど、年齢や身体事情で働けない、住む家などもちろん無い、
とか、
仮出所したけど、働き口が見つからない、
とか
ダルクを出たけど、次の行き場が無い、
そういう方々が、暮らす、厳しく鍵のかかる施設です。
女子は居なくて、、年齢はさまざま。(たまに、若い人がいるのがせつない)
近隣には、夜だけ寝る場所を提供する施設もあるんだそう。
周辺のあちこちで、薬を売ってますよ、という、そういう環境・・・・
ただ、迎えてくださった人たちは、ことさら朗らかで、、
私自身も、そのようにふるまうべしなんだと、言外に悟ります。
リハ後、お食事も、施設の食堂でみなさんと同じものを、いただきました。
こんなとき比較的、豪華な折詰など頂くことに慣れてる自分を恥ずかしく思いました。
温かいものを温かく、冷たいものを冷たくという、ご馳走でした。(ほんとに。)
常にそれとなく、スタッフが付いていてくださるので、
(それらは、安全のためだと思われます)
いろんな御話を伺うことができました。
ただただ、ただただ、、世の中に、私の知らない世界がこんなにもあるんだ、と、
驚きも恐れも通り越して、うなだれるしかない思いでした。
お手洗いにも鍵があり。。施設の天井も、扉も、ヤニだらけ、煤(すす)と違って、茶色い、世界です。
ともかく、いろんなことが、違いました。
たとえばーーーそう、「仮出所」←この言葉、使ってなかったですね、「仮解錠」と言ってました。
あえて、、私たちは、ピンクのドレスを着ました。
私は、、、、、当初、ソロもあるけど、共演だし、黒ドレスを・・と思ったのですが、
考えを改めて、日常の衣類と著しく隔たった”衣装”で、かなりラブリーに装って行きました。
肌を出すのがなんとなく・・・なので、袖付きドレスを着たことだけ、ここで懺悔します・・・
活動をされてるスタッフの方が、おっしゃるには、
「こういう施設や寮で暮らすと、どうしてもルールが厳しくて、
刑務所となんら変わらないことになってしまうわけです。喧嘩も日常茶飯です。
人との優しい関わりも、あたりまえの交流も、生まれにくいです。
そこで、音楽の力を借りて、音楽会を聴きに来てもらうことで、
我々はそれらを、施設で暮らす方々にーーいつかこの周辺の方々にーー提供したいんです」と
音楽会に慣れていない方も多いので、演奏中に失礼があったらごめんなさい、と仰るのですが
そんなこともなく、聴きにいらしてくださった方々は、席を立つこともなく
とても静かに聴いてくださいました。
もしも、またお話しを頂けたなら、喜んで、演奏をしに行こうと思います。
いま大阪は橋下政権のやり方で、
ターニングポイントはここだと定め進みつつあるわけですが
だいじょうぶでしょうか、全員が良い方向へ向かえる政策なのでしょうか。
普通に(ふつうってなに、という定義はおいといて、)
普通に、目を覚まし、働き、食べ、語らい、夜には屋根のある場所で家族と眠りにつく、という、
しあわせな暮らしが、出来る世の中になってほしいです。
そして(わたしは音楽家ですから)願わくば、
その幸せな暮らしが、いま自分に在ると知るアイテムのひとつに、
音楽が、成れたらいいのかなぁと、そんなこと・・たよりなく、考えました。
演奏をして、ドレス着て、花束もらって・・・普段は先生と呼ばれて、という日常ですから、
今回、こういう機会を得て、見聞できてーーーーもとい、
頭を殴られるような衝撃を目の当たりにして、たぶん自分はよかったのだと思いました。
「ここは(ここにこそ)音楽は無力でしょう!!」
と見なされて、あたりまえな場所でした、
でも、そのような場所で、
音楽の力を借りたい、音楽の力を頼む、という動きがあること、
人物が居て、活動してくださること、が、
わたしの、静かな驚きであり、大きな力になりました。
これは、とてもうれしいことです。
音楽ってほんと、おなかいっぱいにならないし 毛布のほうが温いし
でも・・・・(;_;)
見たこと、聞いたこと、触れたこと、逢えた人、
すべて自分の糧にしていかなくてはと思います。忘れないようにここに書きました。
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