□■ピアニスト ラプソディー■□

たくさんのやさしさ、おなじくらいたくさんのしなやかさ、そのまえにたしかなつよさ。

Wish upon Music

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先日パーカッションの方とご一緒したのは、ある施設の中での音楽会でした。
 
特殊な音楽会、、と言えると思います。
 
 
 
大阪の通天閣のそばの、その施設ーーーー
 
ホームレスさんではないけれど、その施設を出たら行くところが無い、(つまりホームレス予備軍)
 
という方々が、何百名と、いらっしゃいます。
 
 
 
 
働きたいけど、年齢や身体事情で働けない、住む家などもちろん無い、
 
とか、
 
仮出所したけど、働き口が見つからない、
 
とか
 
ダルクを出たけど、次の行き場が無い、
 
 
 
そういう方々が、暮らす、厳しく鍵のかかる施設です。
 
 
 
 
女子は居なくて、、年齢はさまざま。(たまに、若い人がいるのがせつない)
 
近隣には、夜だけ寝る場所を提供する施設もあるんだそう。
 
周辺のあちこちで、薬を売ってますよ、という、そういう環境・・・・
 
 
ただ、迎えてくださった人たちは、ことさら朗らかで、、
 
私自身も、そのようにふるまうべしなんだと、言外に悟ります。
 


 
 
 
リハ後、お食事も、施設の食堂でみなさんと同じものを、いただきました。
 
こんなとき比較的、豪華な折詰など頂くことに慣れてる自分を恥ずかしく思いました。
 
温かいものを温かく、冷たいものを冷たくという、ご馳走でした。(ほんとに。)
 
 
 
常にそれとなく、スタッフが付いていてくださるので、
 
 (それらは、安全のためだと思われます)
 
いろんな御話を伺うことができました。
 
ただただ、ただただ、、世の中に、私の知らない世界がこんなにもあるんだ、と、
 
驚きも恐れも通り越して、うなだれるしかない思いでした。
 
 
 
お手洗いにも鍵があり。。施設の天井も、扉も、ヤニだらけ、煤(すす)と違って、茶色い、世界です。
 
ともかく、いろんなことが、違いました。
 
たとえばーーーそう、「仮出所」←この言葉、使ってなかったですね、「仮解錠」と言ってました。
 
 
 
 
 
 
 
あえて、、私たちは、ピンクのドレスを着ました。
 
私は、、、、、当初、ソロもあるけど、共演だし、黒ドレスを・・と思ったのですが、
 
考えを改めて、日常の衣類と著しく隔たった”衣装”で、かなりラブリーに装って行きました。
 
 
  肌を出すのがなんとなく・・・なので、袖付きドレスを着たことだけ、ここで懺悔します・・・
 
 
 
 
 
 
活動をされてるスタッフの方が、おっしゃるには、
 
「こういう施設や寮で暮らすと、どうしてもルールが厳しくて、
 
刑務所となんら変わらないことになってしまうわけです。喧嘩も日常茶飯です。
 
人との優しい関わりも、あたりまえの交流も、生まれにくいです。
 
そこで、音楽の力を借りて、音楽会を聴きに来てもらうことで、
 
我々はそれらを、施設で暮らす方々にーーいつかこの周辺の方々にーー提供したいんです」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
音楽会に慣れていない方も多いので、演奏中に失礼があったらごめんなさい、と仰るのですが
 
そんなこともなく、聴きにいらしてくださった方々は、席を立つこともなく
 
とても静かに聴いてくださいました。
 
 
 
 
もしも、またお話しを頂けたなら、喜んで、演奏をしに行こうと思います。
 
 
 
いま大阪は橋下政権のやり方で、
 
ターニングポイントはここだと定め進みつつあるわけですが
 
だいじょうぶでしょうか、全員が良い方向へ向かえる政策なのでしょうか。
 
 
普通に(ふつうってなに、という定義はおいといて、)
 
普通に、目を覚まし、働き、食べ、語らい、夜には屋根のある場所で家族と眠りにつく、という、
 
しあわせな暮らしが、出来る世の中になってほしいです。
 
 
 そして(わたしは音楽家ですから)願わくば、
 
 その幸せな暮らしが、いま自分に在ると知るアイテムのひとつに、
 
 音楽が、成れたらいいのかなぁと、そんなこと・・たよりなく、考えました。
 
 
 
 
 
演奏をして、ドレス着て、花束もらって・・・普段は先生と呼ばれて、という日常ですから、
 
今回、こういう機会を得て、見聞できてーーーーもとい、
 
頭を殴られるような衝撃を目の当たりにして、たぶん自分はよかったのだと思いました。
 
 
 

 
 
「ここは(ここにこそ)音楽は無力でしょう!!」
 
見なされて、あたりまえな場所でした、
 
でも、そのような場所で、
 
音楽の力を借りたい、音楽の力を頼む、という動きがあること、
 
人物が居て、活動してくださること、が、
 
わたしの、静かな驚きであり、大きな力になりました。
 
 
 
これは、とてもうれしいことです。
 
音楽ってほんと、おなかいっぱいにならないし 毛布のほうが温いし
 
でも・・・・(;_;)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
見たこと、聞いたこと、触れたこと、逢えた人、
 
すべて自分の糧にしていかなくてはと思います。忘れないようにここに書きました。
 
 
  
 
練習してると、スポーツ後みたいな汗をかく季節になってしまった。
 
そろそろエアコン必須。やれやれ。 
 
 
 
本格的に練習すると汗もかく。息も切れる、ときがある。
 
それで、ちょっと、息を整えるための、エチュードをパラパラ
 
 
・・パラパラ、弾いてるうちに、、なぜだか急によみがえってきた。
 
こどものころ。
 
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こどものころ、この曲ばかり聴いたなぁ・・・って。
 
数分しかないなかで、さらに数秒で駆け抜ちゃう、あの、あのあの部分が大好きで、
 
何度も何度もレコードの針を戻してはそこばかり聴いたんだった。
 
 
とにかく好きだった。ソコが。
 
なんでこんなに素敵なんだろう。
 
楽譜、どうなってるんだろう、
 
なにがどうなってあんなにハッピーできらめいて気持ちいいんだろう
 
知りたくて知りたくて 
 
いざ、楽譜を手に入れて弾いちゃったときに、
 
そう、弾いちゃったそのときに。
 
竜宮城の玉手箱、を喩えにしたくなるくらい、
 
 
ちいさなあたし、なにかから醒めちゃったんだった。
 
 
目の前の夢色風船がポヨン、と割れたんだった。
 
え?音、これだけ?
 
え?たったの数小節??えええ?????
 
 
そして しょんぼりして その曲から すこし 離れた。 皆に不思議がられたけど。
 
 
その曲とは 黒鍵のエチュード
 
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今にして思えばあれはターニングポイントだったと思う
 
 
 
 
 
 
レコードの針を強引に戻して戻して戻して何十回も聴いたあの世界
 
あれを生みだすには
 
 
指の運動だけじゃ無理
 
おたまじゃくしの数でもない
 
 
どうやら自分には手が届かないなにかがある
 
それって楽譜を手に入れて叶うものではないらしい
 
 
そういうことを漠然と知った日だったんだろうと思う 
 
 
 
ほほえましいよなあぁ、と いま 笑いたくなる
 
あのころの自分は あこがれを聴いてたんだろうな
 
 
 
あのころ おんがく といえば それは いま私が語る「音楽。」ではなく
 
おんがくの教科書の表紙とか 
 
時間割の ひとマスを連想するような そんな幼さで。
 
 
 
ただただ あこがれ きらめき わくわく 
 
そちらに魅せられて
 
あこがれを聴いてたんだろうな
 
それは ある意味・・・いや、ある部分に限定して 
 
・・・正しい。
 
 
 
 
 
 
そうだなぁ、と、考える。
 
うん。そういう演奏を こんどは
 
できるひとになりたい
 
そう 思う
 
 
おんがくでなくていい なにかわかんなくていい
 
だれかが わたしの演奏の中に みつけてくれたらいい
 
 
 
 
説明のつかない 何か
 
理由もいらない 何か
 
紙になど印刷できないもの 
 
楽譜になど綴じれないもの
 
あこがれ わくわく きらめき そしてしあわせ
 
 
メソッドよりも テクニックよりも ずっとずっと先に知ってたはずのこと
 
 
あのころの自分が 何度もレコードの針を戻しては
 
かじりついたあの世界
 
あれが すこしでも 一瞬でも あるような  
 
そんな演奏を 
 
 
目指したい 
 
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練習中に ものおもいに耽るのは 案外たのしい
 
今日は ランドセルしょってた頃のアタシがやってきた
 
明日は 誰の いつ頃が やってくるんだろう
 
 
 
おっと ランドセルしょってた頃のアタシさん
 
帰らなくていいよ
 
いまのわたしのなかに
 
ちゃんと 居て欲しいよ
 
 
 
 
                                          
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らぷそでぃ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
先日、ブブラと綴りましたが、ブブラ、が正解ですね、訂正いたします。
 
自分のコメントがえしを読んでみて、きゃっ
 
あたしったら「ブルセラ」ってミスタイプしてる!!!
 
似てるなぁと思ってると勝手に指が。 あ、白状してもた(- -;)
 
sさん、不穏な言葉を使ってお返事しちゃってすみませんでした〜〜〜
 
 


 
さて、この動画。。
 
お時間の無い方は2分20秒くらいから視聴してみてください、
 
すごいでしょ、テクニシャンでしょ!!!
 
 
 
 
 
何度トライしてもドイツ語が聴き取れないのですが、、、、
 
(たぶん、これめっちゃきれいなドイツ語なんですけど。ブラームスとか云ってる?)
 
 
彼らはプロオケマンだろうな、吹く直前の身体の動き、唇の動き!!!
 
本来はどんな楽器(リード)を吹かれる御方かなーと、
 
想像をたくましくしております。 
 
bubuzelaの楽器は、もとは角笛なんだそうですね。
 
その由来にいろいろ文献はあるけれど、
 
「原野に散った仲間を呼ぶ声(音)」、が正しいのかな。
  
  呼んだり追い払ったり・・つまりオオカミでいう遠吠えよね
 
   いいなぁあたしもそういう遠吠えができるようになりたーい。
 
 
 
 
 
いま、bubuzelaを聴くことは、
 
強のチームの行方、見届けることになりました。
 
楽しみですね。 
 
小声でボショ
 
あたし、ブラジルのサッカーが昔からあまり好みじゃありません^^;叱られますかねぇ。。。
 
すごすぎて。夢見心地になれるけど、
 
自分たちにはない翼で飛んでる感がしてきてショボーンとなるんです
 
スーパーマンのそれよりも、地上を歩く人のスペクタクルをこそ見たい、といえばいいでしょうか。
 
バレーボールとか見てても思うことなんですけどね。。。。はぁ、なんでしょうかねこの感覚。
 
 
ニッポンは、あれを目指さなくていいです。って思うほどなんです。目指せないよってツッコミなしね
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
 
 
日本代表、ベスト16、おめでとうございます。
 
私たちに届いたとてつもないポジティブなナニカの正体は、
 
まだわからないけれど、とにかく健闘を讃えたいです!
 
ありがとうございました、お疲れさまでした。
 
お怪我に気をつけて、これからもまたプレーを見せてくださいね。
 
アバターに、もうすこしだけ、日本国旗を掲げていたい、そんな気分。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ごめんなさい、長いのですがもうちょっとだけ。
 
わたし、昨夜、くま氏が居なくて、ひとりで観戦してたんですけど、
 
終了後、「通過点」というか「着く前に閉まった門」というか
 
「鍵みたいなもの」がイメージとして浮かんできちゃって、
 
テレビからその大きな鍵?がお部屋に出てきて、
 
ひどくシーンとしてそれ見てたんです。独りだから余計に。
 
 
 ずーっと、いまもまだそこにあります(ってイメージですが)
 
 
 
 
 
 
 
勝つ方法はひとつだけ、ゴールを決めること。
 
 
それいっこだけ。
 
なんてシンプル。ああー。。
 
 
 
 
負けなかったことの意味はとてつもなく大きいのだろうし、
 
観戦する立場からは、勝つことだけがすべてではないんだけれど。
                        
 
 
チームワーク、運、もちろん実力、
 
なんだかんだいってもやっても最終的にはそこっていう矛盾。
 
どうも頭がぐるぐるしちゃって、
 
ああこれに手が届かなかったんだなぁっていう。※対戦相手も一緒ですけどね
 
 
 
 
 
 
 
  
思うんですよねぇ。
 
思うんですよねぇぇぇ。。。。。 
 
ブブゼラでボレロが吹けるなら、いや、吹けたみたいに、
 
きのう、この鍵?に、手が届いてもよかったのに。カミサマノイジワル
 
 
 
 
開きそうで開かなかった鍵穴ほど、ほんとは小さいのに大きく見えるのはなぜでしょう
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                                                             らぷそでぃ
 
なんだか・・ブログの調子が良くないのかな。
 
もどかしいけれど、、、大事なリコメントは明日にするとしよう。
 
 
 
懐かしいな(妙だけど)、、自分のブログに入れない真っ白の画面。
 
ヤフーブログの初期のころみたいだ。
 
 
 
そんなふうに、回想した、のは、
 
たぶん、これを聴いたせい。⇒久保田利伸 「LOVE RAIN 〜恋の雨〜」
 
 
いまYAHOOのトップ画面に案内がありますね、
 
彼の新曲、そこから視聴しました。
 
 
 
 
 
 
 
なんだか・・・とても、優しく、響きました。
 
言葉がーーリズムがーーーといった要素ひとつひとつが、というよりも、
 
この音楽を通じて私にやってくる、総じた何かが、
 
ひどく優しくて。ここちよくて。
 
赦されているような、不思議な広さ。
 
 
 
良質なわらびもちの口触りのような、脱力感と、安心感。
 
 
 
 
 
 
 
 
久保田利伸さんといえば、もちろんLALALAラヴゾングも有名ですが、
 
わたしは、幼いころにラジカセで聴いた「流星のサドル」。
 
あの音楽の記憶が、とても鮮やかです。
 
歌番組で歌うお姿を拝見した記憶は無いのですが。
 
 
 
 
 
姉が持ってたカセットテープ、ねぇねぇ回してぇ、とせがみ、
 
ラジカセで諳んじるまで聴き、歌い・・・えい白状しちゃえ踊ってました(爆)
 
 
 
ちょっと背伸びして、塀の向こうの、
 
未知なる音楽を聴いていた、
 
ワクワクしながらあこがれた、
 
いまにして思えばそんなところでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
さっき、ヤフーの無料視聴で彼の新曲を聴いた時、
 
 
 
「流星のサドルの世界」を聴いてるお子ちゃまの自分や当時のことが
 
走馬灯のように、蘇ってきて困りました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
思いました。
 
いまの久保田さん(の声)には、
 
あのころ私をシビれさせた威勢の良さは無く、
 
 
ゴム製の櫛の歯がしなるような強靭さも、
 
放たれた矢の羽がビュゥンと回転しながら的を狙うような強引さも、
 
影を潜めたけれど、
 
 
 
なんて優しくなったんだろう、と。
 
 
 
お顔も肉付きが下半分に豊かで(失礼ながら)やはり年齢を重ねられて、
 
たぶん、声量や声質だって、
 
歌手としてハイシーズンだったころと
 
微妙に違います。
 
でも、すごく、やさしくて、・・・
 
聴いていて、しあわせでした。
 
 
かつて、精一杯背伸びして聴いた久保田さん、
 
いま、椅子に座りながら背をもたれて、しみじみと何度か聴いて、
 
なぜだか、しあわせでした。
 
 
 
 
 
 
わたし、最近、よく考えるんです。
 
自分はピアノとともにどんなふうに年齢を重ねるんだろうって
 
弾くお仕事に関しては少々がむしゃらにこなしているからでしょうか。
 
・・・疲れてるのかな?(それは充実の裏返しだけど)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
こんなふうなのがいいな、と思いました。
 
 
 
自分は自分のままで、若いころと何も変わらずにーーー
 
でも、すべてから感じるナニカが優しく変化している・・・
 
それを狙って年月を重ねるのじゃなく、
 
結果として。
 
 
 
 
そういうのがいいな。
 
 
 
紆余曲折の末、ちっぽけピアニストで終わっても、
 
こんな音楽を、奏でられたら。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
メロディ、歌詞、柔らかい舌、テクニック、ピッチ・・・
 
などの細かい要素ではなくて、
 
総じて生み出される、あの、とがらない世界。
 
こちらを安心させるナニカ。
 
 
 
 
いま、音を出してもOKな御方いらっしゃいましたら、
 
ヤフーのトップ画面から、久保田利伸さんの新曲、
 
ぜひ視聴してみてください。
 
 
 
 
音楽が時間芸術なのは、
 
一瞬で形を失うから、だけではないですよね。
 
 
 
 
 
奏でる人の「時」を語るからーーーー。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                                       らぷそでぃ
 

THIS IS IT

はじまって1分で、

しまった、と、思ったんです。










既に亡くなっている方の、声を聴くのが、

とても苦手だってことを、忘れていて、心構え、してなかったんですね、あたし。







______


珍しいことに6時以降のレッスンが無く、夕食の支度もなく、伴奏仕事の準備も余裕があるので、

つい数日前くま氏と「沈まぬ太陽」を観た映画館へ、今日は独りで行ってきました。

こんな時間に、そんな目的で行動することなんて珍しいのですけれど、



観ておかねば。(舞台人のはしくれとして、、)そんな気持ちに駆られて。

ネット予約の席は、超ド真ん中の良席で。





それで・・・・・。。





わたしは、マイケル・ジャクソンさんのファンではありません(←そう書くべきかと思います)、

ミドル音域以下の歌声は、ほんとうに優しく独特の倍音感?て、好きだなぁって思いますが、

彼をあまり知らないんです、いわゆる多感な時期に、あまり、洋楽を聴く環境になかったし。

数あるゴシップを耳にしては、「彼ってホントはどういうニンゲンなんだろ^^」と思う程度でした。



ところが、映画が始まると、とてつもなく泣きたくなってしまって、困りました。

ものすごく悲しかったです。ただただ、悲。

うーん、、、「悲しみの感」にはいろいろあってひろいのに、

どうして言葉はKANASHIIの表現しかないんでしょう。


先日の「沈まぬ太陽」では(あれも悲しい映画です)涙腺はちっとも弛まなかったのに。









彼と、彼の「ファミリー」は。

本番の日を、迎えたかったでしょうね。

どうして、いま、映像になって、公演してるんだろう。

どうしてこのマイケルが3D(立体)じゃないんだろう?




圧倒的な、あの、肉体表現。(ダンサー含む)

垣間見えるどころか溢れ出すヒューマニティ!

それにオーバーダビングしてくる、メロディとリズムと、言葉と、声と、存在とパッション。

圧倒的です。

50歳とは思えないパフォーマンスから、

ステージから遠ざかる間にもトレーニングから遠ざかってはいなかったことが

こんなにも明白で。



なのにライブの日は来なかった。




ほんとうに、

どうして初日の日が来なかったんでしょう。





携わった人々の、無念、はいかほどでしょう・・

なによりも、キング、と称されるこのパフォーマーが本当にキングで、

でも肉体がもう、無いことをーーーー

実感して、かなしくて、

映画がはじまって1時間くらい、あたしは、ムムムと涙腺を閉めながら鑑賞したのでした。



観る人によって、感じ方は、いろいろだとは思いますが、

あたしは、とっても、悲しかったです。彼が映像としてしかそこに居ないことが。






彼が伝えたかったことや、映画の各所に散りばめられた肉声のメッセージは、

ちゃんと、持ち帰ってきたつもりです。


正直なところ、書きますね。

地球の未来のことを告げられるよりも、

あたしね、、、、




パチンと指を鳴らして、ムーンウォークして、ジャケットの裾をくるっと翻して廻って、、

そして斜の角度で帽子に手を置いて、



「キミ、背すじをのばしてビートに乗ってカッカッカとつよく歩くんだよ。」と、


キングに、言われてみたかったな、と。


正直に言えば、あたしは、そういうふうに、切実に感じました。





帰りの車内、気づけばラジオもなしで運転してました。

マイケルさんは、アブセンスでもヴァケイションでもなくて、

もう居ない、んだなあって、赤信号のときに考えました。


享年50歳かぁ・・・





どこかの星からやってきて、

どこかの星へ帰っていった、

どなたかが、そう、綴ってらっしゃったのが、ほんとうに、よくわかりました。




マイケルさん、あたしの目標の一つに、

50歳になっても舞台でピアノが弾ける人でいる、ことを、新たに掲げようと思います。

         ※自信がないんですけども・・

愛に溢れて、謙虚さを忘れずに。











ありがとうございました。


とてつもなく悲しかった気持ちに代えて。



















                                           らぷそでぃ

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