□■ピアニスト ラプソディー■□

たくさんのやさしさ、おなじくらいたくさんのしなやかさ、そのまえにたしかなつよさ。

Wish upon Music

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O・MO・I・DE

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ブログの記事と〜〜楽しい会合がきっかけで〜〜〜

・・・妙な想い出を思い出しました〜〜〜



「おもいでを思い出す」←コレ言葉の使い方、間違ってますね。

「乗馬に乗った」「食事を食べた」と同じように、おかしいですね。

でも、昨日の私は、「おもいでをおもいだした」というのが正しい、不思議な感じだったので、

あえて間違った書き方をしちゃいました。




二十数年前のこと、と、5年ほど前のこと。

まずは古い記憶から書かせてください。



小学生のわたしが、当時通ったピアノ教室では、

「○○ちゃん(わたし)は、せんせぇに、えこひいきばっかり、してもらってる」と、

嫉妬といいますか、わたしは、なぜかしらないのですが、そういう対象になっておりました。

発表会ともなれば、演奏順番や、曲選び、そして記念撮影のとき座った位置(先生の隣)・・・

なんしか、とやかく言われる・・。。。

自分にも非があったのでしょう、けれど、

仲良くしてくれる子が居なくてさびしかった。


 (たしかに・・記念写真では、私は、いつも先生のそばに座ってるのです・・
  
   でも自分でそこを選んで座ったのじゃない・・と思うんだけど・・・)




実際に、先生はわたしを贔屓目に見てくれていたのかもしれないし、実際には違ったかもしれません。

でもそれは誰にもわからなくて、

ただ、わたしは、いろいろ言われることに、ひどく戸惑って・・・・・

教室へ入る時、「あの苦手なおねえちゃんが居ませんように」とか祈ったり・・

発表会前には、教室へ通う道で誰にも会わないようにわざとたんぼ道を歩いたりした、

そのあぜ道の風景まで思い出しちゃいました。







ショパンの幻想即興曲、・・・わたしね、、あの曲にね、

せつない思い出があります。

発表会の準備が始まる時、先生は、チャイコフスキの四季を薦めてくださったのだけど、

わたしは、ショパンのソレが弾きたいなぁ・・と、、深い考えもなく主張してみて・・・。

結果、「まぁ、じゃぁ、弾きたいのを弾きましょうか」と、許していただいて、

嬉々として練習に取り組みだした、その後しばらくして。

教室の、おともだちから聴いたのです。



 私より前に、ショパンの幻想即興曲を弾くと決まってた子が、居たこと。

 同じ曲を弾かせるなんて!と、皆、騒いだこと。

 弾くと決まってた子とその子のママが、怒り狂い、

 先生と大ゲンカして教室をやめたこと。一緒に、他の子も何人か、やめたこと。



・・・。

当時は、もう、よく、わからなかったんです・・・・

自分が原因でなんだかとっても残念な出来事が起きたこと、しか。

でも、その話を聞いた時の、遊び道具と、友達のお部屋の光景を覚えています。


いまにしておもえば、悲しかったから、忘れないでいるのでしょうねぇ・・



それらの記憶は、全然、表面に出てくることは、ないのだけど、

昨日、ふいに、ドドドーって蘇ってきたんです。



その後発表会を迎えるまでのことも、思いだしちゃったんですけど、

まぁ、冗長になるので、省きますね。




_________



そして、もうひとつ。5年ほど前の、こと。

苦心して創り上げた(つもりの)、「とあるもの」を、

褒められるかワカンナイけど貶されることはナカロウと、にこにこ郵送したところ、

けちょんけちょんにダメ出しされて、速達で返されてきたことがあって。

そのときのダメ出しが、キビシイというか、、きつくって・・・。


いま、書いてて思ったけど、ダメだしされたことが悲しかったのじゃなくて、

わたしがこの人に、どうやら嫌われているみたい、と悟った瞬間だったから、、

だから、焼き付いているのかな・・。

ともかく、封書を開いて血の気が引く想いをしたのですけれど、、

あの気持ちを、なぜかきのう、会合の楽しいお酒の席で、よみがえらせてしまったんです、わたし。

どうしちゃったんでしょう。。。



ショックなとき、人って、立ち尽くすことで耐えたり癒したりすることも多いけれど、

ダッシュで解決してやるぅ〜〜と奮起することで、精神的回復を試みることも、あるでしょう?

血の気が引いたあと我に帰ったわたしが採った行動は、後者でした。

つくりなおせって言われたとおりに、ものすごいスピードでつくりなおして、

必要もないのにポストまで全力疾走して、そして投函したあと・・

自分の眼が、つり上がった三角形になっているのが、わかったりして・・

なんだか、悔しいプラスそんな自分までも悲しくて、ごっちゃごっちゃになってるあの情けない感覚。

そう。

情けない、あのときの自分。

__________




感情、感覚がよみがえるときって、せつないですね。

よく、1シーンになる・・って謳われますけど、

つらかったりせつなかったり悲しかったりした感情って、

やっぱり感情のままなんですね。





昨日は、どうしたことでしょうか、

そういう、昔のことが、妙に蘇る、こころせわしない日でした。

記憶の扉の、鍵が一個、壊れたら、他の扉も開いちゃったのかな。

たまたま、くま氏も不在の夜だったので、膝を抱えて、トランプゲームしながら、

これ以上余計なことを思い出さないようにしよう、とか思ってました(笑!)













想い出を思い出す。思い出を想いだす。思いを想う。


間違った日本語なのでしょうか。


間違ってないんじゃぁないかしら。

※想いと思いと自分は、まだ他人の関係・・って場合も、あるから。




想い、と、思いの、漢字が二通りあるのが、

なんとなく、わかるような。

昨日はそんな、オモイデ・シュトラッセでした。


























                                           らぷそでぃ

幸せな時代。

レッスンを通して、教える立場の自分も、改めて気づくことや、見えてくることが、多々あります。

普段は、慣れているのですが、休み明けのレッスンだと新鮮に感じますね!!




さきほど、ある成人の方とレッスンしていて、

不意に、「いまの時代って、幸せだなっ!」ってしみじみ思いました。




だって、

バッハからベトベン、ショパンからギロック、(ピアノ科ゆえピアノ楽曲制作者に偏重してますが)

隣り合わせて弾けるんだもの。



バッハの時代にも、こんな多様性、あったかって自問してみると、

いや、やはり、無かったんじゃないかなって。

変容に満ちたナニカはあったとしても、今私が「多様性」と見なすものは、無かった、と思う。




そもそも、当時、記録を残す手段にも長けていないし、

技術や秘伝(?)は対面して口述や実演で伝承していくしかない時代。。


それにバッハの辞書に「アメリカ」って無い。

ギロックの描く世界の、一部が、つまり、存在し得ない。










人々が行きかい、意図せず交流に満ち、技術だけじゃなく変わってきた世界、社会が、

わたしたちレスナーが、さぁ弾きましょと持ち出した幾ばくかの楽譜の種類に、

顕れているわけです!!!



そんなことを考えたのは、



近現代の作品を弾いていて、

明らかにコレはツェルニーのテクニックとは違う弾き方、というのがあったんですね。

ツバメが飛びながら水を飲みに池の水面をかすめるがごときタッチで、

鍵盤にサーッと斜めに入ってシャッと鍵盤を離れる・・・。




さっきレッスンにいらした御方は、

奏法の異なりや、時代ごとの作品解釈のこと、

いままであまり取り組んでこなかったので、説明しながら、、、

・・・私思いました、今の時代は本当にいろいろな作品世界を同時に弾けて幸せだな、と。

50年後100年後にはもっと幸せになっているのでしょうか。

・・そうだといいですね。。



もちろんそれを享受できる自分で居たいです(^^)(生きてるかな。汗)


ただ、テクニックを磨くのは、大変ですよねえ。。

それぞれの良さを聴きとる耳や感性を養うのも。。。。





多様性に富めば富むほど、

個々の声を聴くことが大事になるわけで。

(でも多様性、のまえに、見えにくく聴こえにくくも、なるわけで。)



そのために、「多様性」を構成するひとつひとつを、ちゃんと弾きこなせるような、

テクニックを丁寧に磨いていかないといけないわけで。




テクニックだけじゃなくて。


色鉛筆に喩えれば、

「基本三原色」も、

「120色ズラリと揃ったすごい色鉛筆パレット」も、

同時に存在させて、同時に別の絵を描きます、みたいなかんじ??




・・・。

バッハが、基本三原色で描いたものを、

120色揃った色鉛筆パレットの持ち主が、模倣しよう!!とするとき、って、

難しいだろうと思うんですね。・・きっとね、難しいですよ・・・

少なくとも、模倣したあとで、自分のチョイスは果たして適切であったろうか、と迷うでしょうね。

そこで必要になるのは、やはり、感性と知性のバランスや、それらの研鑽かなぁとか考えて・・・。












ピアノを弾く側にとっては、磨くべき要素が増えて、大変!

レッスン用のイスに座りながら、そんなこと考えてました。

ですが、それでもーーーー



いろいろな国の、いろいろな時代の、いろいろな背景の、楽曲を、

ごくあたりまえに、戸棚に隣り合わせに並べて、

なにも感じず、同時にレッスン鞄に入れて、

同じ時間枠で、同じ楽器で、奏でる、幸せ。

バッハへの扉を開けたあと、当然のようにラヴェルへのドアノブにも手をかけるミラクル。









・・・。不思議ですし、繰り返しますが、

たいへんですけど、しあわせな時代ですね。


バッハとドビュッシー。

スカルラッティとラヴェル。

ベートーベンとガーシュイン。

今日はそんな組み合わせで、余暇にピアノを弾いて、シアワセ噛み締めてみようかな♪
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                                            らぷそでぃ                                 
プロローグ、とすべき事柄ではないのだけれど

ここ数日思えてならないことをまず書いてみたいのです・・・・


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辻井伸行さん、私ももちろん以前から存じ上げてましたが

このたびの優勝、本当におめでとうございます・・!!



・・・今回彼が賜杯を手にした背景のひとつに、

「障害を持ちながら(視覚障害のみならず)ピアノを弾く人は、既にかなり大勢いる」

ということが、あるのではないでしょうか。


数週間前にも、新潟出身の盲目の少女が、

ピアニストを目指し懊悩する様子を報じたテレビがありました、ご覧になった方いらっしゃいますか?




光のあたる場所に立つ人ばかり、我々は見てしまいますし、音楽商業界が、こぞって取り上げますが。。

そこで、全員がその光のあたる場所ばかり見てしまうことは、

今回、彼が覇者となったことに潜在する意味を。すこーし狭めてしまうのではないでしょうか?




障碍を持ちながら音楽に勤しむ人って、どれくらいいらっしゃるのでしょう。

私、思ったのです、思うよりも(知るよりも)、ずっとずっとたくさんいるのではないかって。

たとえば「盲目にしてピアノを弾く人のピラミッド」があるとして、

そのピラミッドの裾野は、既に。既に、すごくすごーく広いのではないかしら?


 (=、そのピラミッドの頂点に立つ人は、突出した才能によってのみそこに立つのではなく

   大きなピラミッドを、艱難辛苦とともに上ってきたのだ!ということでもあります。)


私たちはそれを見逃しがちではないかなぁ。見逃す理由についてはすぐ思い至りますよね、

ともかくそれを密かに告げる、今回のコンクール結果だったといえるのではないかなぁ・・。

それから、もしもそのピラミッドの、裾野が、まだ暗い地であるなら、

それは・・・非常に憂うべきことじゃないかしら。



今回の優勝や、今後の辻井さんの活躍を機に、もし、そのあたりが「あかるく」なれば、

音楽分野どころか、社会において、とても有意義なことであろうに、と思うのだけど。

そういうことを評論する評論家って、・・・。居ないのだったら、それも不思議なことだ。

(プロローグおわり)


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善く出来たことに対して

すぐさますり寄ってきて「才能があったのね」と安易に褒め云う人が居る。


1、心からの賛辞のつもりで他意もなく無味無臭(が思慮が浅いかもしれない)方が半数。

1、若干のやっかみを隠さず、感嘆の台詞にもプンと青汁のような匂いが混じる方が半数。

といったところだろうか。



わたしはそれらに想う。・・なんだかちがう・・。

でもあえてそうと告げない。自分の箱庭でボショボショつぶやくだけ。

わたしなどがもとより言葉で伝えられるはずもない。



ただシンプルに「Adore」するって、難しい。

ほんとうに讃えるべきことが「視える」イコール

真実が「視えている」ことになるのだろうな。わたしなどもちろん自信がない。


人間は、言葉を操って、知能を沢山宿した代わりに失くしたもの鈍ったものがあって、

それはこういうところに、すこし、顕れるのかもしれない。









磨けば光ると信じても

あまりに小さな原石に

どれほど心が細るだろう?

ーーーーー才能など、たとえどこかにあったとして、カラットで量るどころか、

蜘蛛の糸以下の縋(スガ)れないもの、プリン以下のヤワな物体かもしれぬのだ。






才能があったのね、と安易に口にするなかの一部分の方にはーーーー


精進、という、すがしく潔い前向きな言葉や行為に伴う、

長い歳月の「暗闇」も。孤独な「涙」も。見ないのかな、視えないのかな・・などと想う。

いや、もしかしたら、知らないのかなぁ。

ドアひとつ開けようとするたび厳密に要求される、

努力じゃ通じない「鍵」も、

手探りすら拒む「鍵穴」も。



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我が教室の、障碍の子のお子さんの、お母様は。(前記事参照くださいね)

そんなに親密ではない多くの方々に、才能があったのね〜云々の声をかけられます。

そのたびに、泣きそうになるそうです。

ちゃうねん、そんなんちゃうねん!!と叫びたくなるのだそうです。


そうだろうなぁと思います・・。わたしは、あたりまえですが、才能なんて言いません。

それに似たものを感じて、自分がそう感じたことをどうにかして告げたいときには、

資質、という言葉を用いるようにしています。光る資質。




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正直なところを書きますと。


神が与え給ひし力 =「ギフテッド」。そういうモノは、世の中に、あります。

歴然として、そこにあって、笑っちゃうほどのどうしようもない差を生みます。

アルゲリッチの演奏も、美空ひばりの歌唱なども、、例えに適すると思う。

だけど、そこで、考えるのです。一部の人にしか、才能が許されないその理由。


才能のある人、が口にする、天才や、才能、とは、

「努力の仕方を知っている人」「1%の閃きにすぎない」です。

それは、才能があったのねと云われ続けたであろう人による、ある種の抵抗でもありましょうし、

わたしも、そこにこそ真実や道標があると信じています。




実感するときって、つらいものです。

あのひとの音楽性には叶わないなぁ、とか。もちろん技術的なこともですし、

どうしようもないくらいの、センスや能力の差って、ほんとどうしようもなく。

 (文章になっていないでしょ。つまりどうしようもないのです)


二十歳のころだったか、

努力や時間じゃ補えないであろうものごとが世の中に存在していたってことを知った日があって。

それが痛くて辛くて夜道で一人、涙が止まらなかったことがあります。

(まぁ、それまでの私が、夢みがちな甘チャンだった証拠だけど)




深い溝があって、まだまだ自分は越えられない、けどガンバローと思ってた、それが、

じつは、溝どころか、「違う川の河岸に立っていた」−−−みたいな。

気づいてしまうと、まるい刃で刺され続ける耐えがたい痛みで、



でも、それにも、いつか、慣れるのです。





ただ羨んだ日もあったけど。

体得論ですが(変な言葉?)さっさと兜を脱ぎ、讃えて目標にしちゃうほうが、いい。


目標にしても届かない。のですよ。届かないけど、

そうと知ってても、そこは目をつぶって、

「生き方」に問題をすり替えてしまえばいい。


10年先まで自分の生き方を変えられるし、

20年後には、笑えてると思うし、

30年後40年後くらいにもしかしたら。まぁその前に棺桶のふたが閉まるかな、ともかく、

わたしに才能が無かったからこそ学べたこともあるんだわ、と、知る頃に、

自分のダイヤに気づいたのだろうなぁ・・神様もそれなりに平等かなぁと、

妙に納得している、そんなところ。



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ループするけど冒頭に書いたことをもう一度綴りたい。



頂点に立つ人を見て、そのピラミッドの裾野の広さをも想う。

しかしその場所の暗さをいぶかしむ。


それから、

才能を讃えて人を讃えずして、なんとする。。。


讃えられるべきは才能ではない。

単純に言うなら、努力。(本人および周囲の)

さらに踏み込み記すなら、

生き方を含め芸術性や技術プラス、

その人が努力で手に入れて、いま自ずと溢れるポテンシャル。

それらに対して、なによりもまず最大限、賛辞を送るべきではないだろうか。




























あまりに長い記事ですみません。

じつは、今回のコンクールのことを書いたある文章が、あまりにも
「才能だから開くときには開く」みたいな書き方で・・・。あれっと思って!

なにをも礼讃してないように思えてならなかったんですよね!
 (才能を讃えることは本当の意味での賛辞&敬愛じゃないと思うのはわたしだけ?)

彼は才能があったからいまあのプライズを手にしたのじゃないよ。
努力に決まってるじゃんか〜〜〜〜!!彼と周囲の方々の!


努力した人は、その存在だけで何らかのメッセージを持つことがあるって思います。
それって、時に叡智を超えた大いなるものからの警鐘にも想います。
「才能」って安易に讃えるとそのメッセージを読みとれないのじゃないでしょうか、


ナマイキですが、ーーーーつらつら書いてしまいました。









御拝読ありがとうございました。

 感謝<(_ _)>ぺこ























                                          らぷそでぃ
基本、るんたったの人間です、

あ、順番が逆ですが、↑わたしのことです。


どこまでいっても、

ワルツはワルツ。そんなふうに、あたしはずっとこのままのあたし。ずっと?



超絶技巧の場所では

ぶんちゃっちゃ、を忘れてしまいがちだけど、

どこまでいってもワルツはワルツ。

ぶんちゃっちゃ は ぶんちゃっちゃ。

るんたった は るんたった。

ず〜〜っと。

終止線が来るまで、いや、もしかしたらその先も。

ず〜〜〜っと。









次からはこれはやめておこう、もう無理ね、だとか、諦めよう、とか。

明日からはちがう自分になろう、ちがうほうへ未来を持っていこう、だとか。

そんなのとちがう次元のお話。

ワルツはワルツ。

あたしはあたし。



あたしはあたし。

るんたったの人間。


変えられないんだもん。ワルツがワルツであるようにあたしがあたしであることは。





それじゃだめなのかな。

たくさんの人を傷つけてしまうのかな。

どこかに着地点を用意して折り合いをつける時期なのかな。

どうしてひとつ夢がーーーちいさな夢だけど遠かったんだーーー

願いがかないそうなときにーーー明日までに返事しなくちゃならないときに


長期展望で人生を考えてみるなんて難しすぎて


右足でワルツを踊りながら左足は「正しい歩き方」を学びに行くみたいで・・・






ワルツはワルツ。あたしはあたし。





やりたいことをやるのなら

どんな爆弾が来ても揺らがない強さが要るんだ。

わかっているしそう在りたいと願うけど

・・難しいんだよね。





きのうね、

すっごく難しくて弾けない場所・・・

ワルツを思い出して弾いてみたらーーー弾けたんだ。

そんなふうに、いかないものかな、わたし自身も。





ワルツはどこまでいってもワルツ。

それは変えられないもの。

だれがどういじくったって・・・・・変わりっこないもの。

己の生き方に重ねてみたくて

でも、溜め息ばかり。































                                           らぷそでぃ

















***********


ブログ進行が遅れていてごめんなさい。

メールをするお約束の方、、封書を送るお約束の方、、

遅れていてほんとうにごめんなさい。

忘れてるわけはなく、いま色々ありまして、、

もうすこしお時間を下さい<(_ _)>
郵便受けから、はらりと落ちたエアメール。

欧州のとある国へ留学して久しい友達から、今日、届いたのでした。


青いボールペンの文字、異国の切手。

それだけで、もううれしくて、

階段をかけのぼり封を切りたくなります。





懐かしい友達です。だけじゃ言葉が足りません。



封筒には、手紙と、それから、リサイタルのチラシ。

日本に戻ってのリサイタルがあるので、案内をくれたのです。

彼女が、やりたいと言っていた、リート(歌曲)の。

久々に、彼女の紡ぐ音楽を聴ける、それは、会ってお話するのとはまた違うヨロコビ(*^^*)



おかえり〜〜!!!○ちゃん!!!(彼女はおぼえて居るだろうか。○○えもんと呼んだのを。。爆)

あの漢詩がよぎります。

朋あり、遠方より来たる。

・・。

わたし、勝手に、一句、付け足します。

朋あり、遠方より、歌、もて、来たる。












プログラムを見ただけでも、彼女が渡欧していかに音楽の幅を広げたか、伝わってきます。

がんばったんだろうな。

立派に、なったんだなぁ・・・。。。すごいなぁ。








そして、手紙の中、

結婚の報告。

拠点を、かの国に移すこと。


結婚すること、風の便りには、もう、聴いていたけど、

これからもずーっと、かのお国で、

暮らすんだなぁ。

歌うんだなぁ。





 (* ̄д ̄)°°°

  
 遠 い なぁ・・。





  (((-_ー;)))ブンブン

 そんなこと ・・・。。。






 ・・。(P´д`q、)

      でもやっぱり、とおい、、、、国内に居ても遠いのに(涙)























・・・。


友達が、歌を携えて、戻ってきます。

楽しみです。

ステージを終えると、新たな拠点へと、、

帰ってしまう。



日本に、帰ってくるけど、

かの国へ、帰ってしまう。

お帰り〜!、なのだけど、いらっしゃい〜!に変わってく。



来たる。帰る、戻る・・帰る。


 ボショッ。。。・・また、寂しからずや。














リサイタル、もちろん、聴きに行きます。

精一杯、拍手します。

歌の巧みさや出来不出来、そんなことよりも、

「貴女の歌を聴けて私は幸せ」って伝えなくっちゃ☆











学びて時にこれを習う、

また、よろこばしからずや。


  ・・勉強したことを、適当な時期におさらいする、それはいかにも嬉しいことです。

         (そのたびに、さらに向上できることでしょう。)





朋あり。遠方より、来たる。

また、たのしからずや。


  ・・遠いところから友達が尋ねてくる、それはいかにも楽しいことです。


          (そのたびに、同じく志す道を、語り合えることでしょう。)









朋あり、歌もて、半球を飛びて、来たる。半球の先へ去る。

寂しがってちゃだめですね。応援しなくては。

準備がんばってね、○ちゃん。おめでとう。










學而時習之、不亦説乎、

有朋自遠方来、不亦楽乎。

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                                           らぷそでぃ

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