中国大陸夢紀行の会

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中日戦争記念館!

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 運転手の王さんが待っている駐車場へと急ぎます、皆さんは廬溝橋の入場口で待っていてもらいます、苑平県の城門口です。車を回してもらい、中日戦争記念館へと行くためです。
 廬溝橋事件は何故起きたのでしょう?
 満州での侵略戦争に飽きたらない日本の「軍部」は中国なんて取るに足らない甘い国だと(満鉄の自国領有権を獲得)判断しての独走に踏み切ったのでしょうね、戊辰戦争以来の「勝てば官軍」の考え方です。相手が弱いと判断すると高飛車に出る欧米流の外交政策・・・?
 本来、日本の国土内での戦争ではありません全部朝鮮半島や中国大陸での戦いなのです。明治という新政府は富国強兵の名の元に軍事国家へと邁進します。そして「日清戦争」も「日露戦争」も、確かに勝ちを納めましたが、はたして本当に勝ったのでしょうか?野球でいえば9回の裏まで戦ったわけではないのです、せいぜい、5回の裏までと表現した方が良いでしょう。
 では、太平洋戦争はどうでしょう、昭和20年までの長い戦争へと突入する廬溝橋事件、この日から野球でいう9回の裏まで戦うことになるのです。
 結果はご存じのとおり、大敗北の敗戦です。終戦などと訳の分からない言葉で濁している「敗戦の日」が昭和20年の8月15日なのです。
 言葉尻を取るつもりはありませんが日本の軍隊を「自衛隊」と言い表したり、敗戦である日を「終戦記念日」などと平気で表現する、どうにも納得しがたい表現です。
 日本人は本来戦闘的な国民ではないはずです、アジアの片隅に生息する平和国家のはずではありませんか。それも、ほんの小国ですよ。毎年毎年中国大陸を歩いてみると日本の国土の狭さがいやというほど実感できるのです。
 せっかくこの場所に来ているのです、歴史から何を学んだら良いのでしょうか?この記念館の展示物も見てみないことには日中戦争の表裏が全く見えないのでは・・・そんな気持ちから入館してみたのです。

廬溝橋−2!

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 日中戦争の引き金になった場所、廬溝橋です。反対側まで徒歩で歩いてきました、時々バイクが爆走してきますので気おつけ無ければいけませんが、のんびりとした風景眺めております。
 対岸に渡り、振り向いて撮影した写真を掲載します、苑平県城の城門がかすかに写っております、城門の左手方向に鉄路が河を渡っているのですが、そこら当たりが「廬溝橋事件の現場」となります。
 昭和12年7月7日・事件は勃発いたしました、日本軍は空砲による演習をしていた、そこへ中国軍から実弾が撃ち込まれ、日中戦争へと発展していったのだと・・・昭和20年8月の太平洋戦争終結まで続く振り出しの事件現場に来ているのです。
 今は平和でのどかで良い風景を楽しんでおりますが、鉄砲を担いだ兵隊さん達が軍靴を鳴らしながら走っている光景が目にちらついてなりませんでした。
 大連の旅順港203高地での風景にも胸に迫る物があリました、対外戦争に突入していく日本の近代史その真実はどこにあるのだろうと・・・・日本と中国は何故仲良くできないのだろうか?
 数々の戦争という歴史事実に胸が痛くなる風景なのです。

廬溝橋へ!

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 第2日目の朝、お迎えのワゴン車が到着、3日間のチャーター料を支払うと契約が成立し、夕方6時までの使用時間となり、時間延長した場合は別途請求だそうだ。
 日本円で一日一台1万円は安く感じるが、中国元での一日800元はちと高いのではと?・・・しかし公共交通機関を使用して遠方の遺跡へ向かうことは少し無理があるので時間を金で買うという事で皆さんは納得してくれたのです。
 
 そして、運転手の「王」さん、サングラスをかけた巨体です、推定体重は100kg超ではないかなあと?まあ安全に運転してくだされば言うこと無しです。
 
 最初の訪問地は「廬溝橋」です。
 元朝(800年前)のころ、ベネチヤからはるばるやってきた「マルコ、ポーロ」が自署・東方見聞録の中で褒めちぎっている橋、そして、日中戦争の引き金となった「廬溝橋事件」の現場でもあるわけです。どこなんだろうなあ日中の軍隊の衝突の現場は?
 この橋の場所的には北京の西の郊外、永定河にかかる橋が廬溝橋、路線バスでも行けないことはないのですが、車をチャーターし北京の雑踏を抜け苑平県城までやってきました。
 
 昔来た時は城門だけが残っていて、観光客はほとんどいませんでした、ところが、近年中国人の観光熱はすごいの一言、大きな駐車場まで出来上がり、かつての城門に城壁までも再筑されて綺麗な観光地へと変ぼうしておりました。
 
 とにかく、来たからには橋を渡りましょうね、向こう岸まで行って帰る、単純な行程ですが橋の構造と欄干の獅子がとても優美に出来ているのが良く解ります。
 昔の構造の部分は車の轍跡が残っており、古い時代の構造物が手に取るように判ります、そして河には水が満々と流れ良い景色の連続なのです。

北京駅そばのホテル!

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 今回旅の最大の目的は「清朝の遺跡」・・・それも西太后を初めとする沢山ある御陵を見学する事、そして最大の目的の「承徳・清朝避暑山荘と寺院群」
 北京の郊外にある多くの遺跡を6泊7日で全部網羅する、ちょっと時間が足りないのでは?そこで奮発して車をチャーターする事に、中国もネット社会ですからあの手この手を使い日本から予約を入れたのだ。
 先ずは「ホテル」空港からのリムジンバスを利用する関係と市内を循環する公共バスと地下鉄、これらを使いこなすためには地の利の良いホテル選びが肝心となります。
 そこで、候補に挙がったのが格安ホテルの「中安」でした、小規模ながらネットの書き込みでは欧米からのお客が多いが北京駅に近い割には探しにくいと・・・それならもう少し大きめのホテルはあるかなと?
 予約サイトを検索すると「北京金谷其(王ヘン付き)龍(王ヘン付き)酒店」が駅そばの東街にあるではないか、値段も手頃だし、交通の便も良い、まあこのホテルで手を打とうと相成りました!
 車の手配とホテルが決まれば後は航空券を予約し、バウチャーを握りしめ北京への空の旅が始まったのです。
 来るたびに変ぼうする中国、オリンピック後の北京は大きく様変わりしていました。空港の拡張は際限なく続いているようで、空港バスも判りづらいかなあと思いきや、難なく「北京駅」行きのリムジンバスに乗り込むことが出来車乗の人に成ることが出来ました。
 早速、部屋に落ち着くとホテル内にあるレストランでの夕食となったのですが、ところがうるさいボーイが一人いて、へたくそな日本語で話しかけてくる、毛嫌いするわけではないが日本円のチップを強要し始めたので無視をすることに、なまじ日本語のできる怪しいヤツとは付き合わないのが肝心なのです、ですからこの食堂は二度と利用しませんでした。でも料理はまずまずです写真を掲載しますね!
 
 

何年ぶりかの北京!

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 着いたぞ!北京だ!イミグレだ、入管だ!
 いやあ、すごいことになってます、だって、アジアのハブ空港をねらってるのでしょう?そんな質問を出したくなりました、広いねーーーー!
 韓国の仁川空港にも驚きましたが、ここ北京も様変わり!
 ふうーん!日本は遅れてるんだ?成田はカスになりさがった、じゃあ、「成田」改め「成下」なんてどう?そんな冗談が飛び出してきそうな雰囲気です。


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