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雨のミーソン遺跡−2

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 雨は降り止まず、朝から降りどうしです。それでも皆さん元気に遺跡巡りをしました、中継地点の土産物ショップの小屋までぐるりと回って到着です、また山道をジープに分乗し入り口まで帰ってきました。
 小さいですが資料館も付いてます、ミーソン遺跡の分布図がありますね、どうもこの遺跡はダナンから南に広く分布しているようです、ここミーソンだけでもABCDと遺跡があちこちに分かれて群集してます。
 アンコールワットのように狭い地域に凝縮しているのではなく中部地帯に広く遺跡が点在してるのですね、資料館で再度ビデオのスイッチを入れると・・・・あらまあ、動き出しました、ミーソンの怨霊が解けたようです、何だか変な気持ちです?

雨のミーソン遺跡!

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 朝起きたときから降り続く雨です。皆合羽を持参しておりますので何とかしのいでますが、この雨合羽がどうもいけません、何せ「100円均一」のダイソーですので、ビニールが薄いこと薄いこと紙よりも薄いのでは、というわけで持参したビデオカメラがなんと駆動しなくなりました、雨に濡れたせいでしょうが再度動き出したのはこの遺跡を出たころです、ミーソンの怨霊の仕業ではないかと・・・SONY製でもこういうトラブルが発生するのです。
 まあでも何ともアンコールの遺跡とそっくりなこと、驚くばかりです。疑似窓、焼き煉瓦、堂宇の形状、ヨニ、リンガ・・・全てそっくりなのですね・・・文化圏の共通性に感激です。

ホイアンの朝

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 瀟洒で綺麗なホテルが用意されていた、フエのツアー会社で1泊2日の旅行を組んでもらったので全然期待していなかったのだが、バスタブは付いているし大きなベットが二つ用意されて、申し分ないホテルです。夕飯は近くのレストランでいただきました、ホイアン名物「ホワイト、ローズ」は美味しかったですね、フエの料理も美味しいですが、ホイアンもなかなかのお味です。
 朝、目が覚めると、いやな音が耳に、ブラインドを開けるとおお、雨だ。それもかなり強い降りである、今日はミーソンの遺跡見学に行く、その約束を昨日したばかりではあるが、雨だ!
 朝食は屋上のガーデン式のレストランが用意されていた、しかしこの雨でテーブルも椅子もみな濡れ鼠わずかに屋根のある席が10ぐらいしかない、お客は次々にやってくる、フランスパンに野菜やハムを挟みサンドにしコーヒーをスイカを少し頂いて退散してきた。
 ミーソンの遺跡はホイアンの郊外にある、チャンパの文化圏でヒンズーの様式で建てられた、アンコール、ワットの小型版といえる遺跡なのだ。車を8時ちょうどに乗り込み、雨を蹴散らしながら遺跡へと向かう、小一時間でチケット売り場に着いたのだが、何しろこの雨である、2名は車に残ると言うことで入り口に向かったのだ。
 川の橋を渡ったところに遺跡専用の車が待機している、それも4輪駆動の「ジープ」だ。まるで戦場へ向かう兵士のように、アメリカ製のジープへと乗り込み坂道をぐいぐいと上がっていくと、ゲストハウスに着いたのだ、しかし、ここからは徒歩で行くという、大きな地図と看板と迷子にならないようにぐるりと一周するようなルートが決められていた。
 すると、木立の間から煉瓦造りの尖塔がニョキリと表れた、皆アンコールの遺跡そっくりである、隣国カンボジアとの共通の文化圏、インド文化の権化がこのミーソン遺跡なのだ。
大きな「ヨニ」は女陰を表している、そしてリンガ、これは男根だ!原始的な宗教の象徴があそこにも、ここにもと置かれている、そして尖塔の内部にもやはり「リンガ」なのだ。
 

ホイアンは最高!

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 夕暮れ迫る「ホイアン」です。日本橋を渡り向こう側に行ってみました、橋の中程はお寺になっているのですね!これにはビックリです。
 どうも日本橋というイメージより中国の道教のお寺に詣でたような気がしてなりません、もっとも日本橋という名で呼ばれていたのは遙か400年も前のことなのですから、その後の時代は全て商魂たくましい華人が大陸から続々と渡来して、この街を大きく育てたのです。
 文化的にも中国の匂いがぷんぷんとするわけですよ、でも川沿いの市場まで来ると日本の匂いもします、それは善男男女が乗り回す「ホンダ」です。
 ホンダといえば何ともうしても「カブ号」ですよ、俺たちの年代は戦後の成長期にこのカブ号のお世話にならない男は居ないと断言します、牛乳配達も新聞配達も何でもかんでもカブ号でした。
 そのカブ号が集団で走り回っているのがベトナムの街です、新旧取り混ぜ全部がカブ号・・・それも旧車といわれる昭和40年代のカブ号を発見してしまいました、見てください、これがスポーツカブと言われた名機ですよ、今から40年前に若者が目の色を変えて乗り回した本田技研の傑作機なのです、試しにこれはいくらで買ったかこの青年に聞くと、何と日本円で「3万円」・・・・・ひえー!
もしこれを日本で買うなら20万はするでしょう、もう日本の何処を探しても巡り会うことの無いほど貴重なカブ号といえます、ああ、持って帰りたいな!でも一旅行者には無理な願いというものですね。

ホイアンに到着!

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 途中での寄り道がひびいた、トイレ休憩と称しおみやげ物屋へ寄る、どうも現地で頼む旅行社はすぐにバックマージンを欲しがる、これが困りものだ。10分で済む所をなんと小一時間も費やす。
 そんなわけで夕闇が訪れはじめた「ホイアン」世界遺産の街にやっと到着した。街全部が世界遺産であるから外国人は入場料を払う、小さな博物館から、華人の大きな家までこのチケットで全てOKなのだ。
先ずは街並みを散策し、「来遠橋」まで来た。
 旧は日本橋といったそうだ、なぜならこの街は今から400年前、江戸の初期に御朱印船の中継地として栄えた、多くの日本人が暮らす東南アジアの拠点の一つであったのだ。
だが三代将軍家光はキリシタンのはびこることを嫌い、「鎖国」という法令を引く、故に幕末近くなるまで日本との貿易は「中国」「朝鮮」「オランダ」の数カ国に決められていたのだ。
 鎖国という法令は外国に住む日本人にとって帰国という夢をたたれた、帰る国がない人々は此の地で人生を全うした人も多く居たのだ、郊外に谷という人の墓も存在するという。
 そんな時代から徐々に華人達が中国本土の動乱を乗り越えてこの街に住み着き、今では世界遺産の街並みとしてユネスコの大事な文化財を後世に伝えようとしている。

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