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明考陵だ!

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 南京博物院の前から路線バスに乗った、とにかく南京は路線バスが便利で便利で・・・上海も同じく便利、一度乗って馴れればOK!・・・バス路線は中山門をくぐり城壁を過ぎると明考陵のそばを通る。
 運転手さんに「ミン、シャオ、リン」と告げておいたら、ここで降りて左方向へ歩けと?路線図のでている地図だと次の停留場のような気がするのだが、まあ良いかと言うことで手前で降りた。
 この世界遺産に指定されている「明考陵」はものすごく広い、明帝国の初代皇帝「朱元璋」のお墓だからだ。しかし明も建国してすぐは揺れていた、いや勢力争いがまだ終わってなかった、3代皇帝の「永楽帝」は北京で即位した、そのため都は南京から北京へと移される・・・明朝はそれ以来「北京」を首都としたのだ、もちろん後に続く「清朝」も中華民国も現共産党政権も北京を首都と定めているのだ。
 チケット売り場で入場券を買いどうも正門から入ったのではなく横の門から入ったようで、少しは近道をしたことになったようだ、それにしても広い、そして歩く、御陵は紫金山のすそ野を昇るように造られている、長い石段を登りつめると巨大な拝殿とそして後ろ側に巨大な墳墓が出現したのだ。
 帰り道は正式な参道の方から出てきた、その参道に石獣12対が並ぶ、茶目なおじさんが馬の背によじ登り乗馬気分を味わっているが、世が世ならばお手討ちものではないかと?それより皇帝陛下の怒りでたたりがあるのではと皆で脅かしたのだが、ハイドウドウ、一枚の写真となったのだ。

小鳥を飼い慣らす!

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 中国と関わりが出来たのが15年ほど前になります。阪神淡路の大地震が起きたころと記憶しております、倅の留学という事にカッコ付け上海の地を踏んだのが初めてのことでした。
 その時の見聞は大いなる喧噪と中国人のバイタリティーに圧倒され放しで・・・これはおもしろい国だ!なんて日本人と違うのであろう(中国文明の東の果ての日本から見て)と一辺でやみつきとなった次第です。
 今は消滅して無くなった人民広場の近くに「ペット市場」があったころのことです、狭い通りの両側に小鳥が竹駕籠に入れられたくさん売られていました。金魚も子犬も小鳥も子猫もコオロギも餌にする赤虫(ゆすり蚊の幼虫)などは道路に広げたムシロに山盛りで売られていたものです。
 南京路の奥にはいると人民の住宅がひしめき狭い部屋に大家族で住んでいた時代です、今のようなマンション群が立ち並ぶ風景が出来る前のことで、外灘(ワイタン)から見えるテレビ塔が鉛筆を飾り付けたような寒々しい風景でした。
 その狭い住宅で楽しむのが「小鳥」なのです。小さな鳥かごを軒に下げ春になると鳴き声を楽しむ、またコオロギを飼ってそれを戦わすゲーム、わずかな金額を掛けて楽しんでいたのです・・・そんな古き良きオールド上海の風景がまだあちこちにあったころだったのです。
 路線バスを待っていると中華門の広場に何人も小鳥を手にとまらせているおじさん達がいました、自慢の鳥を持ち寄っているのだと思ってみていると・・・・その小鳥を腕から放りあげて・・・放鳥です!
 すると上空を飛んでいる鳥にめがけて・・・餌を投げました、多分豆でしょう、放物線を書いて投げられた豆をその小鳥がさっと捕まえ捕食します・・・その素早いこと、一瞬の出来事です・・・旋回していた鳥は何事もなかったようにおじさんの所に戻ってくるのです。
小鳥は鳴き声でだけで楽しむのでなく、このように放鳥しても楽しむものなのですね、ほとほと感心してしまいました。
 

南京博物院−2

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 それでは、博物院の展示物を少しだけ掲載します、あまり大ぴらに写真撮影が出来ないものですからほんの少しだけ・・・先ずは螺鈿細工の屏風です。どうですかすごい作品でしょう!
 南京が登場するのは春秋時代には呉の国の一都市としてでてくるのですが何ともうしても三国志に書かれる呉の都としてでしょう・・・・魏呉蜀と三国鼎立時代に都「建業」が今の南京です。当時の城壁が少しだけ市内に残っているそうですが今回は時間の関係で見学にいけませんでした。
 そして玉器です、薄ピンク色で何ともいえない容姿がいいですね、もちろん実用品ではないのでしょう多くが時の皇帝に献上された装飾品なのでしょうが・・・・清朝時代の一品であります。

南京博物院!

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 中華門から中山門を抜けて通る路線バスに乗った、俺たちのグループは年寄りが多いのでバスに乗り込むと必ず席を譲られる、日本の山手線で席を譲られない人でもどうぞと若い人が必ず席を譲る、さすが中国は儒教の敬老の精神がまだまだ生きて先達である我々を優先してくれるのだ。
もっとも80歳過ぎて海外旅行をしている老人は中国には希であろうから見て見ぬ振りが出来ないのかもしれない、そんなわけで路線バスを中山門の見える手前の停留場で降りた。
 台北の故宮博物院へは多くの日本人が訪れているが、ここ南京の博物院は北京や台北ほど有名ではないものの内容は非常に濃いものがある。
 一説には台北に持ち出された清朝の宝物はここ南京の地下倉庫に眠る収蔵物の半分にも満たないものだという、戦争中四川省の方まで疎開していたお宝がこの地、南京に帰ってきているというのだ。
 そのお宝を拝見したくてわざわざはるばると東京からやってきたのだが、正面の旧館は展示公開を休んでいるとのことで、新館のみ解放されていた。

中華門−2

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 中華門の見学に来ました、とてつもない大工事の跡がよく解ります、城門は枡形が4重構造になっており単純な一重構造より作りが複雑です。
 基礎部分は石をRの形状にくみ上げていますが、その上の望楼部分や望楼に上る階段部分には焼き煉瓦を使ってます、多分石の基礎の中は土を固めた版築構造になっているのでしょうが、外から見る限りでは石組み構造と煉瓦構造です。
 そして面白いことにこの煉瓦を焼く分担割りがあったのでしょう、俺が焼いたと型に文字を刻んで焼成してあるのが散見されます、江戸城の石垣にもどこの藩が受け持って工事をやったか一目瞭然にわかるように石の面に家紋を刻んでおくのです、たとえば薩摩藩が工事した石組みには○に十の文様が刻まれているのです。
 それと同じようにここ中華門でも焼成煉瓦は誰が焼いたのかわかる仕組みになっております、本当に職人の仕事は辛く難儀のものであるのが手に取るようにわかりますね!
 一番左に「造石専人夫黄文」と記されております。ちなみに石+専は焼き煉瓦のことでセンと読みますので!

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