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『私には、自由と金がある』・・・by大久保佳代子

天誅組始末記

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今日の仕事は、奈良県吉野地方を巡る少しハードなルートでした。

その仕事の最後に東吉野村へ行く予定があり、東吉野へ行くのであれば是非寄ってみたい場所があったの

で、余裕を持って東吉野村へ入りました。

その寄ってみたかった所とは『吉村寅太郎終焉之地』つまりお墓です。

“吉村寅太郎”ってだれ?って思われる方も多いと思いますが実はこの僕、幕末マニアでもあるのです。

以下、人の言葉を借りて簡単に説明すると…
吉村寅太郎
、天保8年(1837年) - 文久3年9月27日(1863年11月8日))は、幕末の土佐藩士。尊皇攘夷派。天誅組の一人。虎太郎とも。諱は重郷。出身地は高知県高岡郡津野町。
享年29歳
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
つまり、幕末に最初に倒幕を考えて行動した『天誅組』の総裁の1人なのです。

先日地元の新聞で、高知県津野町の中学の修学旅行生が東吉野にある吉村寅太郎の墓参りを毎年している

記事を読んで是非訪れてみたいと思っていたのです。

この幕末当時、下級武士(郷士)たちは幕府の自分達への扱いに大変不満を抱いており、次第に地方(長州

や高知の下級武士(郷士)・十津川郷士から“尊皇攘夷”の声が大きくなってきたのです。

阪本龍馬はその代表格みたいなものですね。(厳密に言うと龍馬は尊皇攘夷ではありませんが…倒幕派とでも言いましょうか?)

その当時最初の倒幕を訴え、行動を起こしたのが天誅組なのです。

俗に言う『天誅組の変』と呼ばれております。

この変は、歴史的には決して有名ではないのですが、この変をきっかけとして各地で様々な変が起きて、

最終的にはこの天誅組の変の数年後、徳川慶喜は大政を奉還するのですね。

この『天誅組の変』の舞台が奈良県五條市でした。

以下、僕が説明すると二日ほど掛かるので、またまた人の言葉を借りて『天誅組の変』を説明しますと…
文久3年3月、将軍家茂が上洛。孝明天皇は攘夷祈願のため上下両賀茂社と石清水八幡宮へ行幸する。しかし、幕府は一向に攘夷を決行しようとはしなかった。長州藩をはじめとする攘夷派は憤慨する。朝廷は幕府に執拗に攘夷の決行を迫り、やむなく、幕府は5月10日をもって攘夷を決行すると答えた。

5月10日、幕府が攘夷を実行に移すことはなかったが、長州藩はこれを信じて下関海峡を通過するアメリカ船を砲撃して遂に攘夷を決行してしまった(下関戦争)。この外国船打ち払いには、過激な攘夷派公卿の侍従中山忠光が長州藩に招かれて加わっていた。忠光の京からの出奔には土佐脱藩浪士の吉村寅太郎が加担している。

長州藩はフランス船、オランダ船を砲撃して、意気を大いに揚げ、朝廷からも攘夷決行を称賛する御沙汰が下される。だが、6月に入って四国連合艦隊が長州藩を報復攻撃し、長州藩は大敗を喫してしまう。7月、中山忠光は京へ戻るが、謹慎を命じられ、侍従の職も剥奪されてしまう。

8月13日、孝明天皇の神武天皇陵参拝、攘夷親征の詔勅が発せられる(大和行幸)。この大和行幸を推進したのが、長州藩に気脈を通じる三条実美ら攘夷派公卿であった。吉村寅太郎は松本奎堂、藤本鉄石、池内蔵太ら攘夷派浪士と語らい、大和行幸の先鋒となるべく大和国へ赴くことを決議。14日、吉村らは中山邸を訪ねて忠光を方広寺へ誘い出した。忠光を大将とする同志38人(内、土佐脱藩18人、久留米脱藩8人)は方広寺を出発して大和国へ向かった。一行は長州下関へ下る勅使と偽って大坂から船を出し、堺へ向かう。船中で忠光ら同志一行は髪を切って決意を示した。

17日、天誅組は河内檜尾山観心寺に入る。軍資金を調達に出ていた藤本鉄石が合流して出発、国境の千早峠を越えて大和国へ入った。幕府天領の五条に到着した天誅組は、代官所を襲撃することを決める。代官所を包囲した天誅組は代官鈴木源内に降伏を要求。ゲーベル銃隊を率いる池内蔵太が空砲で威嚇し、吉村寅太郎が率いる槍隊が裏門から突入した。代官所の人数は30人程で、意気軒昂な天誅組に抗することができず代官所方は敗北し、鈴木源内は首を刎ねられてしまう。天誅組は代官所に火を放ち、桜井寺を本陣に定めた。

18日、天誅組は鈴木源内を梟首し、五条を天朝直轄地として、この年の年貢を半減することを宣言する。天誅組は中山忠光を主将、吉村寅太郎、松本奎堂、藤本鉄石を総裁とする職制を整え、自らを「御政府」または「総裁所」と称した。近隣の高取藩に那須信吾らを恭順勧告に送り、高取藩もこれに服する旨を伝えてきた。一方、天誅組の過激な挙兵を知った京の三条実美は自重をうながすべく平野国臣を使者に送った。

19日、平野国臣が天誅組の本陣がある桜井寺に入り、平野は当初の目的を忘れて天誅組に同調してしまう。しかし、直後に京での政変が伝えられ、挙兵の大義名分が失われた上に天誅組が暴徒と決め付けられ追討の命が下されたことを知り、愕然とする。幕府の追討軍が送られてくるのは確実であり、忠光ら首脳部は協議の末、本陣を要害堅固な天の辻へ移すことを決める。

20日、天誅組は天の辻に入り、本陣を定めた。吉村寅太郎が尊王の志の厚いことで知られる十津川郷士に募兵を働きかけ、960人を集めた。天誅組は「御政府」の名で近隣から武器兵糧を集め、松の木で大砲十数門をつくったが、その装備は貧弱なものだった。

先に天誅組に恭順を約した高取藩は態度を翻し、兵糧の差し出しを断ってきた。これに激怒した天誅組は高取城攻撃を一決する。

25日、中山忠光率いる本隊が高取に向かい、吉村寅太郎は別働隊を率いて御所方面に進出して郡山藩に備えた。天誅組の進発を察知した高取藩は防備を固める。千人余の天誅組に対して、二万五千石の小藩である高取藩の兵力は200人程だったが、地理を熟知していた。

26日払暁、狭い小道を進軍してきた天誅組に対して、高取藩兵は大砲と鉄砲を激しく撃ちかけて来た。烏合の衆である天誅組はたちまち大混乱に陥り、公家の忠光にこれをまとめる能力はなかった。天誅組は潰走して五条へ退却する。これを知った吉村は決死隊を編成して夜襲をこころみる。26日夜、決死隊は高取藩の斥候に遭遇、これに斬りかかるが、味方の誤射により吉村が重傷を負ってしまう。決死隊はなすところなく退却して、高取城攻撃は失敗した。天誅組は天の辻の本陣へ戻り、忠光は紀州新宮へ打って出て船で脱出して四国、九州で募兵することを提案するが、吉村らはこれに従わず、忠光は吉村らと別れて別行動をとった。

9月5日、中山忠光が吉村寅太郎らに再度合流して天の辻の本陣へ帰った。諸藩の藩兵が動き出し、6日、紀州藩兵が富貴村に到着、天誅組は民家に火を放って撹乱した。

7日、天誅組先鋒が大日川で津藩兵と交戦して、これを五条へ退ける。天誅組は軍議を開き大坂方面へ脱出することを策す。

8日、幕府軍は総攻撃を10日と定めて攻囲軍諸藩に命じた。総兵力14000人に及ぶ諸藩兵は各方面から進軍、天誅組は善戦するものの、主将の中山忠光の命令が混乱して一貫せず兵たちは右往左往を余儀なくされ、忠光は人望をすっかり失ってしまった。脱退する者も出始め天誅組の士気は低下する。

14日、紀州・津の藩兵が吉村寅太郎らの守る天の辻を攻撃、吉村は天の辻を放棄した。中山忠光は天険を頼りに決戦しようとするが、朝廷は十津川郷に忠光を逆賊とする令旨を下し、十津川郷士は変心して忠光らに退去を要求する。

19日、進退窮まった忠光は遂に天誅組の解散を命じた。

天誅組の残党は山中の難路を歩いて脱出をこころみるが、重傷を負っていた吉村寅太郎は一行から落伍してしまう。24日、一行は鷲尾峠を経た鷲家口(奈良県東吉野村)で紀州・彦根藩兵と遭遇。那須信吾は中山忠光を逃すべく決死隊を編成して敵陣に突入して討ち死に、藤本鉄石も討ち死にし、負傷して失明していた松本奎堂は自刃した。一行から遅れていた吉村寅太郎は27日に鷲家谷で津藩兵に撃たれて戦死。天誅組は壊滅した。
中山忠光は辛くも敵の重囲をかいくぐり脱出に成功、27日に大坂に到着して長州藩邸に匿われた。忠光は長州に逃れて下関に隠れていたが、禁門の変の後に長州藩の実権を握った恭順派(俗論党)によって元治元年(1864年)11月に絞殺された。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
この話は創作でもなんでもなく、たかが140年ほど前に実際この国で起こった出来事なのです。

歴史学者の中には、この天誅組の変を“無駄死にだ”とか“ただのクーデターだ”とか言う方もいらっし

ゃいますが、彼らの行動が無ければ後の阪本龍馬や西郷隆盛らの活躍も無いし、明治維新も少し遅れてい

たことでしょう。

龍馬や西郷のような有名人ではありませんが、ただ幕末には彼等のように、純粋にこの国の行く末を憂う

若者達が数多く居たことには変わりないのです。

そんなことを思いつつ、寅太郎の墓石の前に立つとなんとも身の引き締まる想いです。

それにしても、勤皇の志士や幕末に活躍した彼等は今のこの国を見てどう想ってるのでしょうね?

五條市にも『天誅組』縁の地があるので、折に触れ取り上げようと想ってます。

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