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大道寺政繁は領国統治、経済政策に類稀な才覚を持ち、合戦でも幾度も武功を立てた、北条家の名物家老であった。
だが、政繁は「名臣」としてではなく、「裏切り者」として後世に名を残すことになる、「悲劇の武将」なのである。
豊臣秀吉の天下統一の総仕上げとして、北条征伐が開始される。
大道寺政繁は北条家の領国の北方の防衛を一任された。
攻め寄せる豊臣軍は三万五千の大軍、率いるは、
小姓から身を起こし、大大名となった猛将・前田利家
天下に知られた名将・上杉謙信の後を継いだ男・上杉景勝
小大名ながら北条や徳川の大軍にも屈しなかった智将・真田昌幸
といった錚々たる武将であった。
が、大道寺は名だたる名将である。
籠城して奮戦し、敵を支えること一ヶ月に及んだ。
しかし、城の水の手を絶たれた。
もやは抗戦は不可。
最後に全軍出撃し武士の死に華を飾るか、
それとも降伏してお家を存続させ、城には籠っている兵・近隣の非難民の命を救うか…。
大道寺は降伏して城を開く道を選んだ。
降伏した大道寺は、北条攻めの「道案内」を命じられる。
「道案内」を、決して三角の旗を持ったツアーのガイドのようなものとイメージしてはいけない。
この時代の「道案内」は、勝者の軍勢の先鋒として道案内し、真っ先に敵(=かつての味方)と戦うのである。
これを行えば「裏切り者」の謗りは免れないが、家を残し、家臣の生活・領民の命をを守るのは領主の責務である。
それゆえ、大道寺は涙を飲んで降伏し、「道案内」を行った。
大道寺軍は奮戦した。かつての味方を相手に、かつて忠義を尽くした北条家を相手に…。
敵の軍勢からは容赦なき罵声が浴びせられる。
「卑怯者!裏切り者!」
「大道寺だけは裏切らぬと思うたのに!」
「それでも北条の重臣か!」
「畜生にも劣るゲス野郎め!」
しかし大道寺は、もはや感情を押し殺し、行く手を憚るものを蹂躙するよりほかなかった。
大道寺の案内で、北条の重要拠点、松山城・鉢形城・八王子城は陥落した。
ついに北条家の当主・氏直が降伏した。
良心の呵責には苛まれることになるであろうが、「道案内」の戦功を認められ、大道寺家は領主として存続することになる
…はずであった。
が、秀吉は容赦なく大道寺に切腹を命じた。
旧勢力の大身の将など、豊臣政権には必要なかったのである。
大道寺政繁は、腹を切った。享年57。
「私は、北条家に忠義を尽くした名臣として後世に名を残すはずであった。
心ならず主家に刃を向けなければ…。
しかし、我が名声がたとえ地に落ちようとも、我が存念は栄え行く大道寺家に脈々と受け継がれるであろう。
が、裏切りの甲斐もなく、腹を切らされるとは…。
後世のものは、<保身に走った奸臣の自業自得>と私を見るであろう。
俺の人生は何だったのだ?
卑劣漢として名を残すため、57年も生きてきたのか?
いや、降伏によって命を永らえた兵や民は、再びもとの生活を取り戻し、子孫も繁栄してそれぞれの生を謳歌する、
我が生は、我が名誉は、その基(もとい)のために朽ちるものと信じたい。」
てなことを考えながら、政繁は短刀を握ったのだろうか?
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たしか息子は落城前に逃したと聞いているが・・・・どう?
2011/8/5(金) 午後 0:59 [ - ]
たぶんそうだったと思う。
2011/8/6(土) 午後 7:49 [ 左衛門督 ]