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明日、9月15日(旧暦)は、関ヶ原の戦いの日。
というわけで、関ヶ原の戦いが起こるまでの経緯を単純に説明してみた↓
天下を統一した豊臣秀吉の死後、秀吉の遺言により、
五人の超有力大名(徳川、毛利、上杉、前田、宇喜多)の合議で政治を運営することになっていた。
しかし、その中で実力も人望も群を抜いていた徳川家康が政治を取り仕切るようになった。
そんな家康が、東北の大大名・上杉景勝に「豊臣家に謀反を企てている」と言いがかりをつけ、多くの大名を率いて上杉征伐に出向いた。
その隙に、
「このままでは、豊臣家の政権は家康に簒奪されてしまう」
と危惧していた豊臣家のエリート官僚・石田三成は、中国地方の大大名・毛利輝元を総大将に担ぎ出し、大坂で兵を挙げた。
全国の大名は、徳川に味方する者(東軍)、石田に味方する者(西軍)に分かれた。(どっちつかずの大名も多い)
家康は上杉征伐を中止し、大坂を目指して進軍、三成ら西軍はそれを迎え撃とうと東へ軍を進め、両軍の主力部隊が関ヶ原で衝突した。
これが関ヶ原の戦い。
最初は西軍が優勢だったが、山の上で戦いを眺めていた小早川秀秋率いる大軍が突如西軍に攻め込んだのをきっかけに西軍は総崩れ、関ヶ原の戦いは徳川家康の勝利に終わった。
(実は関ヶ原の戦い以外にも、日本中で徳川方と豊臣方で戦闘が起こっていたが、この9月15日の「関ヶ原の戦い」の結果、全国の豊臣方の大名は「敗者」となった)
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脇坂。朽木。小川「僕らの活躍は・・・・。」
2011/9/16(金) 午後 6:24 [ - ]
省略されるべき、その他大勢←結論
2011/9/16(金) 午後 7:52 [ 左衛門督 ]