滅亡せし第一次ブログ

放置&引っ越し。基本的に中学時代に書いた記事が残っております。若き日の残照、消すには惜しいゆえ骸を晒す。

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建国以来民主主義を誇ってきた国、アメリカ合衆国に君臨した、史上唯一の皇帝がいた。

その名も、ジョジュア・ノートン。

人は、彼を「アメリカ合衆国皇帝ノートン1世」と呼んだ!



ノートン1世 (1814〜1880)



彼はイギリス出身でアメリカのサンフランシスコに移住した、ごく普通の「アメリカ人」だった。

裕福な実業だったが、商売に失敗し、全財産を失ってしまった。

そして、発狂した。



彼は突然サンフランシスコの各新聞会社に手紙を送りつけた。

「朕はアメリカ合衆国皇帝である!」

たいていの会社はムシしたが、一社が面白がって彼の「皇帝宣言文」を掲載した。



サンフランシスコ市民も、何故か喜んで「皇帝」を受け入れた。

皇帝の宮殿はワンルームアパート。

従う従者は犬2匹。



皇帝に即位(?)したノートン1世は、その職務に励んだ。

その激務の内容↓

・犬の散歩

・市民生活の視察



市民生活をつぶさに視察した皇帝は、新聞に勅令を載せた。

「道には街灯をつけよ」

「汚い言葉使いは避けよ」

「クリスマスは飾りつけよ」



市民たちは畏まり、そして喜んでそれに従い、市議会も協力した。

市民に愛される皇帝となったノートン1世は、劇場に行けば皇帝特別席が設けられ、電車にはタダ乗りできた。

市議会は皇帝のために市の予算で礼服を新調し、商店は皇帝に貢物を捧げ、「皇帝御用達」の栄誉を得た。

それでも貧しかった皇帝は帝国の債券を発し、市民たちはその少額の債券を税の代わりにと喜んで買った。



また、皇帝ノートン1世は、国政にも意を払っていた。

「アメリカ合衆国議会を解散せよ」と勅令を発した。

しかし議会は無視。

議会に「謀叛」を起こされた皇帝は、

「謀反人たちを討伐せよ」と軍に勅令を発した。

がこれも無視された。



皇帝の威令は首都には届かなかったが、皇帝は西海岸で平和な「治世」を送っていた。

しかし、東海岸で内戦が勃発した。

「南北戦争」である。

帝国の中で内戦が起こっていることを憂えた皇帝は、北の大統領・リンカーンと南の大統領・ディヴィスの和平会談を実現させ、内戦を終息させようとしたが、2人とも皇帝を無視して凄惨な内戦を続け、両軍60万の犠牲者を出した。



市民に愛された皇帝ノートン1世は、内戦が終結してから十数年経った1880年に崩御した。

皇帝の棺が墓地に運ばれるとき、3万人もの市民が集まったという。

地元新聞も、皇帝の崩御を報じた。



「神の恩寵篤き合衆国皇帝にしてメキシコの庇護者(注・ノートン1世は<メキシコ護国卿>でもあった)ノートン1世陛下が崩御」

(モーニング・コール紙)



「みすぼらしい敷石の上で、月のない暗い夜、しのつく雨の中で…、神の恩寵篤き合衆国皇帝にしてメキシコの庇護者ノートン1世陛下が崩御された」

(サンフランシスコ・クロニクル紙)



地元にとどまらず、州外にも皇帝の崩御は報じられ、かの有名なニューヨーク・タイムズにも追悼文が載せられた。

「彼は誰も殺さず、誰からも奪わず、誰も追放しなかった。彼と同じ称号を持つ人物で、この点で彼に立ち勝る者は1人もいない」







参考文献(?)

・Wikipedia

・ニコニコ動画「アメリカ合衆国皇帝 ノートン1世」


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