滅亡せし第一次ブログ

放置&引っ越し。基本的に中学時代に書いた記事が残っております。若き日の残照、消すには惜しいゆえ骸を晒す。

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玉音放送後、降伏に反対する軍人らのクーデターを鎮圧し任務を完遂した田中静壱(しずいち)大将は、8月24日、自殺した。

切腹ではない。

拳銃自殺だった。



少し時間軸を戻して…。

昭和20年8月15日未明、阿南惟幾陸軍大臣が切腹。

その報を受けた田中静壱はこういった。

「腹切るのは痛そうだな」



田中静壱は兵庫県竜野出身である。

龍野中学校(今の龍野高校)を卒業後、陸軍士官学校に入学。陸軍将校への道を歩む。

成績優秀で陸軍のエリートコースを進み

上海で実戦を経験し、憲兵司令官などを経て、東日本の本土防衛を担う東部軍管区司令官に就任した。

昭和20年3月、田中静壱57歳。



8月14日、天皇が終戦を決意したという情報が漏れる。

徹底抗戦を主張する畑中健二少佐ら一部の軍人は、静壱に面会を求めた。

彼らは、東部軍管区司令官として大軍の指揮権を持つ静壱を説得して、徹底抗戦のためのクーデターに参加させようとする腹だった。

畑中らは入室するなり、静壱に一喝された。

「馬鹿もん!貴様らの言わんとする事は、わかっとる!帰れ!」
青年将校を青ざめて、転がるように退出していった。



田中静壱に一喝された畑中らは、今度は近衛師団長・森赳を説得するものの効果は上がらず、なんと彼を殺害してしまう。
そしてニセの師団長命令を発令。

「宮城(皇居)を占拠し、玉音盤を奪取せよ」

天皇の終戦を告げる詔を録音したレコードを奪おうとしたのだ。



反乱軍は宮城を占領し、大捜査を開始。

8月15日の朝である。



この報を受けた静壱は、クーデターの鎮圧を決意。

しかし、軍を派遣しては先頭になる可能性がある。

ゆえに、なんと静壱はわずか2,3人の下士官と憲兵だけを連れて宮城に乗り込んだ。



乾門で反乱軍の兵隊に銃剣を突きつけられたが、かまわず「連隊長を呼んで来い」と命令。

兵も相手が陸軍大将なので恐縮して従った。

そして現れた連隊長に言った。



「お前のところの師団長が殺されているんだ」

今行動している事はニセ命令だ

すぐ撤兵しろ」



そうしているうちに反乱軍の将校が現れた。

静壱は「お前たちは何をしているのか分かっているのか!」と怒鳴りつけた。

相手は完全武装、こっちは丸腰にもかかわらず…。

反乱将校は、あまりの迫力に恐れをなした。

静壱「捕縛せい!」。

反乱将校はあっさりと縛につき、クーデターは鎮圧された。

丸腰で敵中に乗り込んだ田中静壱司令官の大胆と怒号が歴史を変えた瞬間だった。



クーデターを鎮圧する前に、静壱は部下に命令した。

「阿南陸軍大将とはどういう自決をされるか、聞いて来い」



部下「阿南閣下 自決はどういう方法でやられますか?」


阿南大臣「作法通り十字に切って、頸動脈を切る」


部下「介錯はどうしますか?」


阿南「そんなものはいらん。
そんなうまく人の首切った奴はいないはずだ」

そして阿南は自刃。

クーデター鎮圧後、静壱はその報告を受ける。

部下が「うちの田中大将にどうされますか」と尋ねると、かの名言が出る。

「腹切るのは痛そうだなぁ」



しかし、すでに田中静壱は自決する覚悟を決めていた。



宮城事件鎮圧後、その功によって静壱は天皇に拝謁を賜る。

その後、残務処理や最後のクーデター計画の鎮圧などの業務に追われ、九日後経つ…。



8月24日。

「俺の拳銃どこにやったんだ」

と副官の塚本少佐に尋ねたが、彼は静壱が自殺するつもりだとがわかっているため、
「あれ?どこにいったでしょうね〜?」
と、とぼける。

クーデターを鎮圧した時の勢いで静壱は塚本少佐を怒鳴るが、それでも塚本は拳銃を渡さなかった。

しかし、軍司令官の奥さんが塚本に
「可哀想だから拳銃を渡してやってください」

と言い、観念した塚本は拳銃を静壱に渡した。

そして田中静壱は心臓を打ち抜き、自殺した。



遺書

御聖断後、軍は良く統制を保ち一路大御心に副ひ奉りあるを認め深く感謝仕候。

茲に私は方面軍の任務の大半を終わりたる機会に於いて、将兵一同に代リ闕下に御詫び申し上げ、皇恩の万分の一に報ずべく候。

閣下並に将兵各位は、厳に自重自愛、断じて軽挙を慎まれ以て皇国の復興に邁進せられん事を。



辞世

聖恩の 忝けなきに 吾は行くなり

「一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル
神州不滅ヲ確信シツツ 」




この遺言を残して、陸軍大臣・阿南惟幾(これちか)は昭和20年8月15日7時10分、切腹して果てた。



阿南惟幾が陸軍大臣となったのは、昭和20年4月だった。

すでに大東亜戦争の戦局は厳しく、このとき天皇から総理大臣として組閣の大命を受けた鈴木貫太郎は、自らの内閣は「終戦内閣」となることを覚悟していた。

鈴木は、陸軍に「阿南大将を陸軍大臣にほしい」と要請した。

鈴木は、誠実な人柄で人望が厚く、天皇に直接仕えた経歴もある阿南惟幾ならば、陸軍を掌握し、天皇の意思を体現して終戦に持ち込めると考えたのである。



阿南惟幾、陸軍大臣に就任。58歳。



7月、連合国、日本に「ポツダム宣言」を発表。

日本に降伏条件を提示した。(無条件降伏ではない)

日本は上から下まで戦意は衰えを知らないが、国の主導者たちはさすがに勝ち目がないことを理解しており、終戦を覚悟していた。



しかし、ポツダム宣言には「天皇をどうするか」の条項がない。

いや、草案には書かれていたが、アメリカ大統領・トルーマンが削除した。

(日本人で原爆の威力を確かめる前に降伏されては困るから)

日本は、天皇の地位の保証(「国体護持」)さえ得られれば降伏も致し方ないと考えていたにもかかわらず…。



8月6日、広島に原爆投下。

無辜の民十数万人が虐殺された。



8月9日、宮中で閣僚6人

(総理大臣、外務大臣、陸軍大臣、陸軍参謀総長、海軍大臣、海軍軍令部総長)

からなる会議が催された。

ここで意見が分かれる。



「国体護持」だけを条件としてポツダム宣言を受け入れる

or

「国体護持」とあと3つ条件をつける。



阿南は後者を主張し、それが受け入れられなければ徹底抗戦を主張した。

「武装解除されてから、<話が違うではないか!>と抗議してもどうにもならない!」

と。

なにせ阿南は陸軍の代表であり、陸軍の大多数の意見は「徹底抗戦」「本土決戦」であった。

(そもそも、日本の陸軍は大陸での戦いに主眼を置いていた。

そのため海軍に振り回されて太平洋の小さな島々で敗退を重ねるのに忸怩たる気持ちを抱いており、本土で堂々たる戦いをせずに降伏するのには抵抗があったのだ)



一旦休憩を挟んでから、この会議は天皇も臨席する「御前会議」となった。

ここでも阿南は徹底抗戦を主張、閣僚で多数決をとっても3対3、会議は紛糾した。

ここで、鈴木首相は天皇の意見を仰いだ。

天皇の意見は「外務大臣の意見に賛成」、すなわち国体護持だけを条件とする降伏であった。



国体護持の条件を連合国に伝えると、その回答は「日本政府・天皇は連合国に従属する」であった。

その文面はどうにでも解釈できる。天皇の安全の保証はない。

阿南はそれを心配し天皇に奏上した。

天皇はこう答えた。

「阿南よ、もうよい。

心配してくれるのはうれしいが、、もう心配しなくて良い。

私には確信がある」



そして最後の御前会議が召集された。

阿南はなおも徹底抗戦を主張したが、天皇は「聖断」を下した。

「私の身はいかになろうとも、国民の生命を助けたく思う」

すなわち「ポツダム宣言受諾」であった。

阿南は号泣、慟哭して天皇に取り縋った。

天皇は答えた。

「阿南、阿南、お前の気持ちはよくわかる。

しかし、私には国体を守れる確信がある」



天皇は「ポツダム宣言受諾」の聖断を下したが、この段階では憲法上「聖断」に拘束力はない。

阿南には、その決定をくつがえす方法が一つ残されていた。

「辞職」である。

陸海軍の大臣は現役の大将・中将でなければならず、大臣が辞職してその後継大臣を軍が出さなければ内閣を倒すことができる。

(これまでにも、この必殺技を用いて意に沿わない内閣を倒した大臣もいた)

阿南はこれまでにも徹底抗戦派の軍人に辞職を勧められたが、それを拒否してきた。



陸軍省に一旦帰った阿南のもとに、徹底抗戦を主張する将校たちが詰め掛けた。

阿南が徹底抗戦の意志を貫徹すると信じていた彼らは激しく彼に詰め寄った。

阿南は言った。

「陛下はこの阿南に対し、苦しかろうが我慢してくれとおおせられた。

自分としてはこれ以上反対を申し上げることは出来ない。

聖断は下ったのである。


今はそれに従うばかりである。



不服のものは自分の屍を越えて行け!」



再び閣僚が集合、「終戦の詔」の文案を討議し、それに署名した。

すべての手続が終わると、阿南は鈴木首相を訪ね、陸軍の意志を主張し強硬意見を述べて迷惑をかけた旨を詫びた。

「終戦についての議が起こりまして以来、自分は陸軍を代表して強硬な意見ばかりを言い、本来お助けしなければいけない総理に対してご迷惑をおかけしてしまいました。ここに謹んでお詫びを申し上げます。自分の真意は皇室と国体のためを思ってのことで他意はありませんでしたことをご理解ください」



それに対し、鈴木は阿南の苦労をねぎらい、皇室と日本の安泰を確約した。

「阿南さん、あなたの気持ちは私が一番よく知っているつもりです。

大変でしたね。長い間ありがとうございました。

国体はきっと護持されますよ。皇室はご安泰です。」



阿南は鈴木に南方から送られてきた葉巻に渡し、去っていった。

その背に一言つぶやいた。

「阿南陸相は暇乞いに来たんだよ」



阿南惟幾は、8月15日未明、ポツダム宣言受諾の返電直前に陸相官邸で割腹。

介錯を拒み、7時10分に絶命した。天皇から拝領したワイシャツを身に纏い…。

辞世。

「大君の 深き恵みに 浴みし身は 言ひ遺すべき 片言もなし」



阿南の自刃は、日本中に衝撃を与えた。首尾一貫した徹底抗戦派だと思われていたのリーダーの、天皇陛下の聖断に従って抗戦をあきらめた末での自殺の強烈な衝撃は、全軍への強烈な「ポツダム宣言受諾」の意思表示となったのである。



ある軍人曰く、

「大臣の自刃は、天皇の命令をもっとも忠実に伝える日本的方式であった」

建国以来民主主義を誇ってきた国、アメリカ合衆国に君臨した、史上唯一の皇帝がいた。

その名も、ジョジュア・ノートン。

人は、彼を「アメリカ合衆国皇帝ノートン1世」と呼んだ!



ノートン1世 (1814〜1880)



彼はイギリス出身でアメリカのサンフランシスコに移住した、ごく普通の「アメリカ人」だった。

裕福な実業だったが、商売に失敗し、全財産を失ってしまった。

そして、発狂した。



彼は突然サンフランシスコの各新聞会社に手紙を送りつけた。

「朕はアメリカ合衆国皇帝である!」

たいていの会社はムシしたが、一社が面白がって彼の「皇帝宣言文」を掲載した。



サンフランシスコ市民も、何故か喜んで「皇帝」を受け入れた。

皇帝の宮殿はワンルームアパート。

従う従者は犬2匹。



皇帝に即位(?)したノートン1世は、その職務に励んだ。

その激務の内容↓

・犬の散歩

・市民生活の視察



市民生活をつぶさに視察した皇帝は、新聞に勅令を載せた。

「道には街灯をつけよ」

「汚い言葉使いは避けよ」

「クリスマスは飾りつけよ」



市民たちは畏まり、そして喜んでそれに従い、市議会も協力した。

市民に愛される皇帝となったノートン1世は、劇場に行けば皇帝特別席が設けられ、電車にはタダ乗りできた。

市議会は皇帝のために市の予算で礼服を新調し、商店は皇帝に貢物を捧げ、「皇帝御用達」の栄誉を得た。

それでも貧しかった皇帝は帝国の債券を発し、市民たちはその少額の債券を税の代わりにと喜んで買った。



また、皇帝ノートン1世は、国政にも意を払っていた。

「アメリカ合衆国議会を解散せよ」と勅令を発した。

しかし議会は無視。

議会に「謀叛」を起こされた皇帝は、

「謀反人たちを討伐せよ」と軍に勅令を発した。

がこれも無視された。



皇帝の威令は首都には届かなかったが、皇帝は西海岸で平和な「治世」を送っていた。

しかし、東海岸で内戦が勃発した。

「南北戦争」である。

帝国の中で内戦が起こっていることを憂えた皇帝は、北の大統領・リンカーンと南の大統領・ディヴィスの和平会談を実現させ、内戦を終息させようとしたが、2人とも皇帝を無視して凄惨な内戦を続け、両軍60万の犠牲者を出した。



市民に愛された皇帝ノートン1世は、内戦が終結してから十数年経った1880年に崩御した。

皇帝の棺が墓地に運ばれるとき、3万人もの市民が集まったという。

地元新聞も、皇帝の崩御を報じた。



「神の恩寵篤き合衆国皇帝にしてメキシコの庇護者(注・ノートン1世は<メキシコ護国卿>でもあった)ノートン1世陛下が崩御」

(モーニング・コール紙)



「みすぼらしい敷石の上で、月のない暗い夜、しのつく雨の中で…、神の恩寵篤き合衆国皇帝にしてメキシコの庇護者ノートン1世陛下が崩御された」

(サンフランシスコ・クロニクル紙)



地元にとどまらず、州外にも皇帝の崩御は報じられ、かの有名なニューヨーク・タイムズにも追悼文が載せられた。

「彼は誰も殺さず、誰からも奪わず、誰も追放しなかった。彼と同じ称号を持つ人物で、この点で彼に立ち勝る者は1人もいない」







参考文献(?)

・Wikipedia

・ニコニコ動画「アメリカ合衆国皇帝 ノートン1世」

どうでもいい自慢をさせてください。



今回の世界史のテスト、学年一位とったぜ!

キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!



世界史を覚える時、しばしば替え歌を作って覚えるという暴挙(?)をやります。



今回は、フランス革命を初音ミクの名曲「千本桜」を使って覚えましたww



その着想の理由は単純明快。



千本桜の冒頭

「大胆不敵に ハイカラ革命♪」



そのまま「ハイカラ革命」を「フランス革命」にしたらいいじゃん!?って思った。ただそれだけ。




↓その歌詞。(一番だけです)



「大胆不敵に フランス革命



ネッケル罷免に バスティーユ襲撃



封建廃止に人権宣言



ヴェルサイユ行進 10月事件



ヴァレンヌから連れ戻し 



ピルニッツ宣言 なんのその



フイヤン ジロンド ジャコバン派



(革命)戦争の随に〜



8・10事件 王権停止 



万歳の声も ヴァルミーから



国民公会 第一共和



その断頭台で処刑して



(対仏)大同盟 恐怖政治



公安委員会 恐ろしいよ



ジャコバン憲法 遥か彼方



そのテルミドールに打ち倒せ〜」







歌詞だけでは不十分なので、解説☆




・大胆不敵に フランス革命

ネッケル罷免に バスティーユ襲撃



ルイ16世時代のフランスは、大変な財政難に陥っており、平民の不満が高まっていました。

ネッケルというのはルイ16世が登用した有能な蔵相で、財政再建を図りますが、特権身分に課税を図ったことで貴族が反発、ルイ16世はネッケルを罷免します。

ネッケルは 、庶民の人気が高かったため、庶民は猛反発、遂には暴動を起こし、バスティーユ牢獄を襲撃します。

バスティーユというのは、政治犯を収容していたこともあるため、「絶対王政の象徴」と見做されており、また、暴徒たちは牢獄の武器を手に入れることに成功しました。




・封建廃止に人権宣言



バスティーユ襲撃をきっかけにフランス各地で暴動が起こり、国民議会は「封建的特権の廃止」と「人権宣言」を決議します。



・ヴェルサイユ行進 10月事件



フランスの政情不安から、パリに入る食料の価格が高騰し、パリの奥様方数千人がブチ切れ、国王が住むベルサイユ宮殿に乱入し、国王たちをパリの宮殿に連れてきました。

これが「ヴェルサイユ行進」で、「10月事件」とも呼ばれます。




・ヴァレンヌから連れ戻し 

ピルニッツ宣言 なんのその



一連の革命によって息苦しさを感じたのか、ルイ16世は家族とともに、オーストリア(妻の実家)へ亡命を図りますが、ヴァレンヌというところで捕まり、パリに連れ戻されました。(ヴァレンヌ逃亡事件)

革命が起きたとはいえ、市民たちには国王を敬う気持ちはあり、国王とともに新しいフランスを作るつもりでしたが、この事件によって国王の信用は失墜し、市民の間には

「国王なんていらんのじゃね?」

という考え方も表れだしました。



革命の影響が広がるのをを恐れたオーストリア皇帝・プロイセン王は「ピルニッツ宣言」を出しました。

その内容は、フランスの王権回復とルイ16世の救援を諸外国に求め、革命に干渉するものでした。



・フイヤン ジロンド ジャコバン派



派閥の名前。

フイヤン派は立憲王政、ジロンド派は穏健な共和政治、ジャコバン派は急進的な共和政治を主張しました。




・(革命)戦争の随に〜



当時有力だったジロンド派は、反革命的なオーストリアに宣戦布告し、革命戦争が勃発します。




・8・10事件 王権停止 



戦争のさなか、ジャコバン派は、義勇兵などに呼びかけて王の宮殿を襲い、国王を幽閉、王権を停止させました。

これが「8月10日事件」です。




・万歳の声も ヴァルミーから



革命戦争は、最初は劣勢でフランス内に攻め込まれていましたが、ヴァルミーの戦いでフランス軍は勝利を収めます。

フランス軍は義勇兵の集まりでしたが、革命の理想を信奉するフランス軍の士気は高く、軍事強国プロイセンの軍を打ち破りました。

このとき、フランス軍は「国民バンザイ」を連呼していたといわれています。




・国民公会 第一共和 その断頭台で処刑して



革命政府は、選挙によって選ばれた者からなる国民公会を作り、王権停止と共和制を定め、さらにルイ16世の処刑を決定し、国王はギロチンで処刑されました。

こうして「第一共和制」が成立します。




・(対仏)大同盟 恐怖政治



公安委員会 恐ろしいよ




過激化するフランス革命に脅威を持ったイギリスは、ヨーロッパのあらゆる国に「フランスを倒そう」と呼びかけ、「対仏大同盟」を結成しました。(要するに集団リンチ)



一方、国内では、ジャコバン派が独裁政治を行ないます。

ジャコバンの領袖・ロベスピエールは、清廉潔白で革命の理想に純粋に燃える人物であり、反対派には容赦なく、1日に平均30を処刑するほどの苛烈な政治を行い、それが「恐怖政治」です。



「公安委員会」とは、ロベスピエールが設けた機関で、事実上、フランス政府の役割を果たしました。




・ジャコバン憲法 遥か彼方



政権を握ったジャコバン派は、主権在民・男子普通選挙など、革命の理想を体現した憲法を作りました。

しかし、この憲法が実施される前にジャコバン派は勢力を失い、施工されることはありませんでした。




・そのテルミドールに打ち倒せ〜



絶大な権力を振るうジャコバン派に対して、ついに反対派が立ち上がってクーデターを起こし、ジャコバン派の独裁を打倒し、ロベスピエールを処刑しました。

これが「テルミドールのクーデター」です。(テルミドールは月の名前)




このあと、総裁政府、そしてナポレオンが登場することになります。






一応、千本桜本家の歌詞も貼っておきますww

一番だけ。



大胆不敵にハイカラ革命
磊々落々  反戦国家
日の丸印の 二輪車転がし
悪霊退散 ICBM


環状線を走り抜けて 東奔西走なんのその
少年少女戦国無双 浮世の 随に


千本桜 夜ニ紛レ 君ノ声モ届カナイヨ
此処は宴 鋼の檻 その断頭台で見下ろして


三千世界 常世之闇  嘆ク唄モ聞コエナイヨ
青藍の空 遥か彼方 その光線銃で打ち抜いて

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