滅亡せし第一次ブログ

放置&引っ越し。基本的に中学時代に書いた記事が残っております。若き日の残照、消すには惜しいゆえ骸を晒す。

年表

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全1ページ

[1]

南北朝時代の年表(5)

足利義満(1358年〜1408年)の時代。南北朝統一以降も少し触れる。

1368年12月30日 足利義満が征夷大将軍に就任。

1369年 1月 中国の明が、九州の宮方、懐良親王(日本国王の冊封を受けた)に倭寇討伐を要請。
楠木正儀、北朝方に帰順。

1370年7月 今川貞世が九州探題に就任。

1375年 8月26日 今川貞世が少弐冬資を謀殺、島津氏久が南朝方に寝返る。

1379年2月 将軍、足利義満が土岐頼康の追討令を出す。
3月 関東管領・上杉憲春が、鎌倉公方の足利氏満を諫止して自害。
3月 幕府管領・細川頼之が罷免され、斯波義将が後任となる(康暦の政変)。

1380年 小山義政の乱が起きる。

1382年、楠木正儀、再び南朝に帰順。

1388年9月 将軍足利義満が富士山の遊覧を行う。

1390年 3月 足利義満が山名氏清らに命じ、但馬国で山名時熙・山名氏幸を討伐。
3月土岐康行の乱 土岐康行、尾張と伊勢の二ヶ国を取り上げられる。
9月 九州で幕府方、今川貞世が宮方の菊池武朝らを撃破。

1391年 4月 細川頼元が管領に任命される。
12月 明徳の乱 山名満幸に誘われた11カ国の守護・山名氏清が挙兵。
山名軍は京都に攻め入り、合戦は京都内野で行われ、大内義弘や赤松義則、京極高詮などの有力守護大名によって編成された幕府軍の反攻に遭って、氏清は戦死した。
山名氏は3カ国の守護に転落。

1392年 2月 大内義弘らが、南朝との講和を工作。
10月 後亀山天皇が退位し、北朝が三種の神器を接収し、南北朝合一が成立。

1394年、義満隠居。義満、太政大臣に。

1395年、 義満出家。今川貞世を九州探題から罷免。

1397年、西園寺家から京都北山の「北山弟」を譲り受け、舎利殿(金閣)を中心とする山荘(北山邸、後の鹿苑寺)を造営。

1399年、堺で挙兵した大内義弘を討伐(応永の乱)

1401年、義満、明に使者を送り、日本国王に。

1404年、勘合貿易開始。

1408年、義満死去。死後には朝廷から「鹿苑院太上法皇」の称号を贈られるが、義満の子・義持が拒否。

南北朝時代の年表(4)

足利義詮の時代

1359年、4月 九州の少弐頼尚が、北朝方に降る。
7月19日 筑後川の戦いで宮方の菊池武光らが、幕府方を九州から駆逐。


1360年 5月 幕府方の重臣、仁木義長が失脚し、宮方に寝返る。

1361年、南朝方が大宰府を制圧。
6月 斯波氏経が九州探題に就任。
7月19日 幕府方の執事・細川清氏が失脚し、南朝に寝返る。
11月 畠山国清が鎌倉公方の足利基氏と対立し、伊豆国へ逃亡。

1362年 7月 宮方の細川清氏が讃岐国で戦死。
9月 畠山国清が伊豆で挙兵、叛乱を起こすが鎮圧される。

1363年 鎌倉公方の足利基氏が背いた宇都宮氏綱を討伐。
大内弘世や山名時氏が幕府方に帰服。

1365年8月、渋川義行が九州探題に就任。

1366年、このころから直冬の消息不明

1367年 8月 管領斯波義将が失脚
楠木正儀、管領細川頼之を仲介して北朝と和睦を結ぼうとするが、将軍義詮の拒否により成立しなかった。

1367年5月29日 足利基氏が死に、氏満が鎌倉公方に就任。 12月7日 足利義詮死去、細川頼之に足利義満のことを頼む。

南北朝時代の年表(3)

観応の擾乱から尊氏の死まで

1349年4月、足利直冬、長門探題に。
閏6月3日 足利直義が足利尊氏に働きかけ、高師直を失脚させる。
8月13日 高師直が足利直義を討つべく兵を動かす。
直義は尊氏邸に逃げ込み、高軍は尊氏邸を包囲、尊氏は仲介をする。
幕府内の足利直義派、上杉重能・畠山直宗は流罪(後に殺される)、足利直義は出家。
9月 足利尊氏は、長男・足利義詮を鎌倉から呼び寄せ、次男・足利基氏を鎌倉公方に任じ、鎌倉へ派遣。
9月 高師直の配下が足利直義の養子、足利直冬を襲い、九州へ逃亡させる

1350年、10月16日 足利直義の養子、足利直冬が高師直を討つべく九州で挙兵。
10月26日 幕府方の足利直義は宮方(南朝)と和を結び、高師直に対抗。
12月 幕府方の足利直義は宮方に帰順。

1351年、1月1日 足利直義派、桃井直常が北国より入京し、足利尊氏・高師直らを播磨国へ駆逐。
1月17日 高師直派の高師冬が甲斐国須沢城に攻められ、自害。
2月17日 足利直義らが摂津国打出浜で高師直派の軍勢に大勝。
尊氏と直義は和睦、2月21日 高師直らは出家し、命を助けられるが2月26日 足利直義派の上杉能憲が高師直ら高一族を殺害。直義は政務に復帰。
8月1日 足利直義、京を出奔し、北陸、信濃を経、鎌倉を拠点に反尊氏勢力を糾合。
10月 足利尊氏が南朝へ降伏し、薩埵山(駿河)の戦いなどで足利直義を破り、直義は鎌倉に幽閉される。
11月 正平一統。一時的に北朝の正当性が消滅。南朝が京へ。北朝天皇は廃される。

1352年、2月直義死ぬ。
尊氏が京にいない間に南朝との和睦は破れ、宮方の新田義興、新田義宗らが鎌倉を奪還。
宮方の楠木正儀や北畠顕信、千種顕経らが京都を陥落させる。
5月 足利義詮、京都を奪還する。
5月 足利尊氏、鎌倉を奪還する。
5月10日 宮方の後村上天皇は北朝天皇を連れて八幡から賀名生に逃亡。四条隆資戦死。
8月17日 北朝(幕府方)の後光厳天皇(弥仁王)即位。(三種の神器なしで)

1354年にも京都を南朝に一時奪われるが、翌年奪還。

1358年4月、尊氏は直冬討伐を企てるが病死。
10月10日 新田義興が多摩川の矢口渡で謀殺される。
12月 足利義詮、征夷大将軍となる

南北朝時代の年表(2)

中先代の乱から吉野陥落まで

1334年、正月、恒良親王(母は廉子)が皇太子に
6月、護良が征夷大将軍に。
8月、二条川原の落首
10月、謀反の疑いがかれられた護良が鎌倉に幽閉される。

1335年、6月、北条泰家(西園寺邸に潜伏)を庇っていた西園寺公宗の後醍醐に対する謀反計画が発覚し、公宗は処刑される。
7月、北条時行が信濃で挙兵(中先代の乱)。
時行が鎌倉へ攻め込み、足利直義は敗走。ドサクサにまぎれて護良を殺す。
直義は三河まで逃れる。
尊氏、後醍醐に無許可で鎌倉へ出陣、時行を破り鎌倉を支配。
尊氏、後醍醐の上洛命令を聞かず鎌倉に居座り、論功行賞を行う。
後醍醐、尊氏討伐を新田義貞に命じる。
11月〜12月、尊良を奉じた義貞は矢作川の戦い(三河)、手越河原の戦い(駿河)で足利直義、高師直・師泰の軍を破るも、心を決めて出陣した尊氏に箱根・竹ノ下の戦い・佐野原・伊豆国府の戦いで破れ敗走。

1336年、尊氏が入京、後醍醐は比叡山に逃れる。
義貞・正成は奥州から来た北畠顕家に呼応し、尊氏を破る。尊氏は九州に逃れる。
義貞は尊氏を追撃するが、播磨の白旗山城の赤松円心に手間取り、尊氏を取り逃がす。
3月、尊氏が多々良浜の戦いで菊池武敏を破り西国を傘下に。
5月、尊氏、光厳の院宣を得て上洛を開始し湊川の戦いで新田・楠木を破る。正成戦死。
光厳上皇を奉じた尊氏は入京、豊仁親王、光明天皇として即位。後醍醐は比叡山へ。
6月、直義に敗れた千種忠顕戦死。名和長年、戦死。
後醍醐天皇の皇子、懐良親王が征西大将軍として九州へくだる。
新田義貞が恒良・尊良親王を奉じて北陸へ下る。
10月 後醍醐天皇、足利尊氏に一時的に降伏
12月、後醍醐脱出、吉野で南朝を立てる。

1337年、金ヶ崎城の戦いで幕府方の高師泰・斯波高経に攻められ、宮方の拠点、金ヶ崎城陥落。新田義貞は脱出するも、新田義顕、尊良親王が自害、恒良親王が捕縛される。
8月 宮方の北畠顕家が、足利尊氏を討つべく奥州を出発。
12月13日、利根川の戦いで宮方の北畠顕家が、幕府方を破る。

1338年、5月20〜29日、青野原の戦い 宮方の北畠顕家が幕府方に大勝。
5月22日、石津(和泉)の戦いで幕府方の高師直と戦い、宮方の北畠顕家、名和義高らが討ち死に。
新田義貞、鯖江合戦で斯波高経に勝利し、越前府中を奪い、金ヶ崎城も奪還するも、閏7月2日 藤島の戦いで戦死。
8月、足利尊氏、征夷大将軍に。室町幕府成立(実質的な成立は1336年)

1339年8月、後醍醐崩御、義良親王、後村上天皇として即位。
北畠親房が常陸国で「神皇正統記」を執筆。

1342年9月、土岐頼遠が光厳上皇の輿に矢を射かける。土岐は12月に死刑に。

1347年、楠木正行が細川顕氏・山名時氏を打ち破る
1348年1月、四条畷の戦いで楠木正行戦死。
吉野陥落、後村上、賀名生へ逃亡。
10月27日 北朝(幕府方)の崇光天皇が即位

南北朝時代の年表(1)

1、持明院統と大覚寺等の分裂〜鎌倉幕府滅亡、建武の新政まで

1246年、後嵯峨天皇の跡継ぎをめぐって大覚寺統(後深草系)と持明院統(亀山系)に分裂
(発端は後嵯峨は長男・後深草よりも次男・亀山を可愛がったから)

1318、後醍醐天皇即位

1324年、後醍醐天皇の幕府転覆計画が発覚、日野資朝は佐渡に流罪。天皇は不問。

1331年、元弘の変
8月、後醍醐天皇の倒幕計画が発覚、後醍醐は比叡山に逃れると見せかけて笠置山(山城国)へ逃れ挙兵。
それに呼応して楠木正成が河内下赤坂城で挙兵。
9月、幕府は大貞定直、足利高氏、新田義貞らを派遣し笠置は陥落。後醍醐捕えられる。(これに先立って持明院統の光厳天皇が即位)
10月、下赤坂陥落、正成は行方不明。

1332年、後醍醐、隠岐に流される。日野資朝・俊基殺される。
12月、楠木正成、赤坂を奪回

1333年、1月、楠木正成が六波羅探題軍を摂津天王寺で撃破
2月、幕府軍、吉野で挙兵した護良親王を破る。護良は行方不明。
幕府軍、上赤坂城を攻略
赤松円心、後醍醐に呼応し播磨で挙兵
後醍醐、伯耆の名和長年の助けを受けて隠岐を脱出
4月、幕府軍の武将・名越高家、赤松軍に討たれる。
足利高氏、後醍醐に呼応し、赤松円心、佐々木道誉とともに六波羅探題を攻略。光厳天皇、後伏見上皇、花園上皇らが捕縛される。北条仲時、時益死ぬ。
5月7日、新田義貞が上野で挙兵。
小手指の戦い(新田義貞が幕府方の北条泰家率いる一万騎を破る)、久米川の戦い(新田義貞が久米川の幕府軍を撃破)、分倍河原の戦い (新田義貞が幕府方の一万騎を壊滅させる)を経て、22日の東勝寺合戦で鎌倉陥落。北条高時ら北条一門は東勝寺において滅亡し、鎌倉幕府滅亡。
5月26日、鎮西探題北条英時、少弐・大友・島津らに攻められ博多で自刃。

6月 建武の新政開始。
6月5日 高氏が、天皇の諱「尊治」から一字を与えられ「尊氏」と改名。
10月 北畠顕家が義良親王(後村上天皇)を奉じて陸奥国へ派遣され、陸奥将軍府が成立。
12月 尊氏の弟、足利直義が後醍醐皇子の成良親王を奉じて鎌倉へ派遣され、鎌倉将軍府が成立。

全1ページ

[1]


よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事