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彼女は私が去年辞めた劇団のオーディションに受かった頃 バンコクに行ってしまった(笑) バンコクで幼稚園の先生をして、帰ってきてからは小学生の先生をしている。 彼女はいつも体当たり、真剣勝負だから彼女の生徒は幸せ者だ。 幼稚園では「赤ずきんちゃん」の狼になりきり、何人もの生徒を本気で泣かせたらしいし、 去年はすごいメイクでマツケンサンバを生徒の前で踊ったらしい(爆笑) 今回は彼女が働いている小学校の若手の先生(男子)と4人で 河内で超超美味しい焼肉をいただいた。 先生の一人が車を出してくれて、東京からわざわざ来た私をねぎらって 美味しい焼肉屋に連れて行ってくれたのだ。 全く未知の道を走って連れて行ってくれたので、私は大阪にいることすら わからなくなっていたが、皆関西弁だったことでかろうじて大阪を感じていた(苦笑) 朝までフィギアを見ながらちゃあの実家でダベッて 次の日は狭山の高級住宅街のフレンチ食べながらダベッて 「もう名古屋行かなくちゃ!!」と別れた。 そしてまた一つ逞しくなるために 私は今年の夏彼女とバックパッカー旅行でトルコへ行きます! 今まで恋人にべったりで、海外では高級ホテルにしか泊まったことのない あゆかがさらにさらに逞しくなろうとしております!! 成田から一人で向かい、トルコで何度一人歩きをするかと思うと 今からドキドキであります。 (今まで前彼様にどれだけ依存していたかを実感しています) 名古屋までののぞみで初の自由席を陣取り、 「地球の歩き方」を読みながら爆睡していた私。 |
旅行
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元旦にお世話になった宿は伊勢の宿 紅葉軒 年末に突如決まった旅行だったので、空いている所があるだけありがたいと思っていました。 しかも元旦にも関わらず一泊二食付きで一名10500円の破格。 どんなぼろ家でどんなひどい食事が出てくるのか覚悟していた親子3人。 ところが、確かに古い建物でしたが、風情がある旅館でした。 しかも女将さんをはじめお迎えしてくださる方が皆あたたかい。 お食事も食べきれないほどの量の手料理で、美味しゅうございました。 なんというのかな。家庭の味というか、とにかく最初から手をかけて作ってくれた愛情が溢れているあたたかい料理でした。 お部屋も3人では広すぎる位広い。 お部屋にトイレとお風呂はついていませんが、全く問題なし。 帰り際にこれまた女将さんの手作りの色紙に犬の折り紙が貼ってあり、賀正と書いてあるものをいただきました。 早速玄関に飾ってあります。 今年のお木曳きの時にどうにかもう一度お邪魔させていただきたいなあー '''お木曳き'''とは'''神宮式年遷宮'''の際に必要な御用材を両宮に曳き入れる盛大な行事らしい。 平成25年の第62回'''神宮式年遷宮'''の'''お木曳き'''が今年行われるらしい。 と言うことは8年も前から準備しているんだなー 1000年以上繰り返されてきた歴史ある行事を是非観に行きたい。 あたたかいおもてなしをありがとうございました。
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外宮さんを出て、駅の方に向かい月夜見宮さんにたどり着いたのは17:00少し前 元旦にも関わらず何と何と誰もいない・・・ 月夜見宮さんを貸切してしまいました(笑) 確かに参拝は午前中に済ませた方が良いと言いますよね。 私が思うに神様は早起きで、夕方にはすっかりお休みになられているのでは・・・ しかし、ここで尽かさず母親が一言 「ここは月夜見宮様だから夜の神様よ!」 そうね。そういうことにしておきましょう(笑) そして下記にも記されているように外宮さんの北御門に続く道を通って帰って来る際に 全ての家の前に「神路通り」の提灯が掛けられているのを見て、 それまで親子3人で横並びに歩いていたのを縦1列に直して端を歩いて帰りました(笑) 母は真ん中に白い石路をひいてあるのを見て「そこを歩け」と思ったらしく 神様のお通りになるど真ん中を堂々と歩いておりました。 しかも本当はこの月夜見宮さんをお参りして神路通りを歩いてから外宮さんに お参りするのが参拝順路のようです。 あーあ、これまた勉強不足。 しかし、神様はそんな狭い心のお持ち主ではないでしょうから、きっと大丈夫(笑) ということで辺りも真っ暗になってきたので旅館に戻ることにしました。 一、宮名とご祭神 月夜見宮(つきよみのみや) 月夜見尊(つきよみのみこと) 月夜見尊荒御魂(つきよみのみことのあらみたま) ニ、ご鎮座地 JR伊勢市駅前から南にて10分。また、外宮から北に徒歩で10分で、楠(くす)、欅(けやき)、杉その他常緑の木々のおい茂った当宮のご社頭に達します。一歩神域に入りますと、町中のお宮とは思えない、清らかな静けさが、感じられます。 三、ご鎮座の由来と沿革 ご祭神の月夜見尊は、天照大御神の弟神で、皇大神宮別宮の月讀宮におまつりされている月讀尊と、ご同神でありますが、当宮では、月夜見尊の文字が用いられております。 月夜見尊の御事については、『日本書紀』(元正天皇養老4年〈720〉奏進)の上巻に、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)2柱の御親神が、天照大御神をお生みになり、次に月讀尊をお生みになられ、月讀尊は夜之食国(よるのおすくに)を治めるようにとご委任されたと記されております。 『日本書紀』には、月夜見尊(月讀尊の文字も用いられております)は、その光彩(ひかりうるわしいこと)が、天照大御神に亜(つ)ぐものであると、たたえられております。天照大御神のご神徳は、「その光華明彩(ひかりうるわしいこと)、六合(あめつち)の内に照り徹(とお)るほどでございます」と、太陽にたとえられていますが、月夜見尊のご威徳は、それにつぐものとして、月になぞらえて、たたえられたと考えられます。 皇大神宮別宮の月讀宮は月讀尊と月讀尊荒御魂がそれぞれご殿を分けておまつりされていますが、月夜見宮は、月夜見尊と月夜見尊荒御魂が一つのご殿に合わせておまつりされています。 月夜見宮はご鎮座地が伊勢市の中央に位置し、周囲は繁華街となっておりますが、古くは高河原(たかがわら)と呼ばれ農耕と深いつながりのあるお社です。『延喜大神宮式』(第60代醍醐天皇延長5年〈927〉奏進)には、外宮の摂社(せっしゃ)の首位に列せられておりましたが、鎌倉時代のはじめ、第83代土御門(つちみかど)天皇の承元4年〈1210〉に、別宮に昇格されました。 なお、外宮の北御門から真っすぐ月夜見宮に至る宮後町の道は、昔並木があり、その道の真中は歩かない、また穢れに触れてしまった者はその道を避けて通らなかったという習慣がありました。町の古老の伝える歌に 宮柱建て初めしより月讀の神の生きかふ中のふる道 月讀の宮仕へとて夙(つと)に起き通ふ神路を清めざらめや とあり、この道は神様の通う道であると信じられ大切にされていたようです。現在もこの道は地元の人々に「神路通り」と呼ばれ、親しまれています。 |
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さて、外宮さんの中で最後にお参りさせていただいたのが多賀宮 豊受大御神の荒御魂をお祭りしている場所だそうだ。 荒御魂とは神様の格別にご神威に溢れたご様子を言うそうです。 怒っている訳では無いのね・・・安心。安心。 一緒に行った父は「荒は新しいということじゃないの?」と言っていた。 間違ってはいないようだ。 しかし式年遷宮に順番があるということがまたまた驚き。 確かに14所の別宮、109所の摂社・末社・所管社を同時に新しくすることは難しいが、 神様にも位があるのねーーー 一、宮名とご祭神 多賀宮(たかのみや) 豊受大御神荒御魂(とようけおおみかみのあらみたま) ニ、ご鎮座地 豊受大神宮大前の御池にかけられている亀石を渡ると、右手に土宮、左手に風宮が見えて参ります。それを過ぎ、正面の98段の石階を上がると、檜尾山に南面して、外宮の第一別宮である多賀宮がご鎮座になっています。 三、ご鎮座の由来と沿革 『延暦儀式帳』に「高宮一院 等由氣太神宮之荒御玉神也」とみえ、古来高宮とも称されております。恐らくは小高い丘の上にご鎮座になっていることからそう呼ばれたのでしょう。ところで、豊受大神宮別宮には多賀宮、土宮、月夜見宮、風宮の4宮がありますが、多賀宮だけは『止由気宮(とゆけのみや)儀式帳』および『延喜神名式』に記載がみえる別宮で、他の3宮が後年宮号宣下により別宮に列せられたことに比すれば、一際格式が高く、しかも皇大神宮の荒祭宮同様、外宮の第一別宮として古くより特別な待遇を受けて参りました古社です。 さて、当宮の淵源を尋ねると、今から凡そ1500年前、第21代雄略天皇の御代22年に天照坐皇大御神の御神勅によって豊受大御神が丹波の国から御饌(みけ)つ神として迎えられ、豊受大神宮が創立された際、多賀宮も同時に奉斎されたと伝えられています。 14別宮のうちで荒祭宮同様殊に重きが置かれ、20年1度の大祭である式年遷宮でもこの2宮だけは正宮に引き続き真っ先に斎行されます。また、勅使参向の際は恒例祭と臨時祭とをとわず正宮の祭典終了後ただちに幣帛が奉られることからもその重要性が容易に推察頂けるでしょう。 現在は、農事に携われる方はもちろんのこと、産業全般にわたって従事される方々の篤い崇敬を集めております。 |


