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「新疆プログラム、北京・中国共産党の政治犯臓器摘出の出発点」 【アポロニュース2014-05-24】 Ethan Gutmann その当時病院ではウイグル族の抗議者に対する処置を禁じられていた。負傷者の腕に包帯を巻いてやった医師の一人は懲役15年の判決を受け、もう一人は20年の判決を受けた。病院のスタッフはこう言い渡されていた。「もし治療を行えば、同じ結末を迎えることになる。漢族とウイグル族の医療スタッフ間の溝がさらに深まる。」と。 今、閉ざされている中国西北部で何が行われているかを明らかにするためには、ときに10年前にさかのぼらなくてはならないし、さらに古い時代にさかのぼらなくてはならない場合もある。 1991年秋の曇りがちな日が続く南方都市の広州付近のある山の上に、一つの手がかりがあるかもしれない。ある小型医療チームと一人の若い医師が臨時手術車に改造された一台の小型バスに乗って、中山大学を出発した。車がブルドーザーでならされた平らな場所に止まると、彼らはそこに小隊のように並ぶ白い小型バスを見た。窓ガラスは茶色で、ボディには目を引く赤十字のマークがある。警察は医療チームに安全上の理由から車の中で待機するよう命じた。車の窓から見ると、ズラッと一列に並んだ穴が見える。あるものはすでに埋められ、あるものは新しく掘られたものだった。それは確かにこの山が長年にわたり処刑場として使われてきたことを物語っていた。 この日の執行は36名。72個の腎臓と角膜を当地の各病院へ配給する計画だった。それぞれの小型バスには15分から30分以内に摘出できる医師が乗っている。そして病院に戻ってから、6時間以内に移植手術が行われる。特別な或いは実験的な要素は何一つない。受刑者の心臓は刑の執行によって「止められる」ということだ。 過去10年の中国医学の急速な発展に伴って、かつて廃棄物とみなされていた臓器ももはや「無駄に」捨てられることはない。これは決して周知の事実というわけではないが、中国の医学校で指導する学生は「多くの凶悪犯罪者は自ら進んで臓器を提供し最後の償いとする」と言う。 一回目の銃声が鳴り終ると、小型バスの扉がすばやく開けられ、2名の警官の制服に白衣を羽織った男たちが、死体を一つ運び込む。頭と足はまだ細かくけいれんしている。この若い医師は、死体が胸の右側を打たれており、それはまさに事前に予測していた通りだということに気付いた。三番目の死体が置かれた後、彼は仕事にとりかかった。 これは40歳前後の漢族の男性だ。小型バスの中で、そのほかのばら売りする臓器は予約され、条件の良い国際市場に売られていく。その医師はこの腎臓がすでに組織的にマッチングされ、50歳の中国男性に移植されることを示した書類を事前に見ていた。もし移植しなければ、その男性は死亡するだろう。しかしこの腎臓があれば、その人はまるで奇跡のようにベッドから起き上がり、あと25年ほどは正常な生活を続けることが可能になるのだ。 三番目の死体にはこれと言った特徴はなかったが、首の周りに紫色の締め付けられた傷があった。警察は時によって針金状のもので容疑者の喉元を締め付けることで、裁判所で容疑者が話すのを防ぐ。その医師はあれこれと思いを巡らせた。もしかすると警察はこの囚人に話をさせたくなかったのかもしれない。なぜなら彼は狂気の殺人犯、暴徒、或いは精神異常者だから。どちらにしても中国の刑罰制度はまさに一台の挽肉器のようなものだ。大量に頑迷な犯罪者を処刑していく。そう、その若い医師はこのように臓器を摘出するのは間違いであることを知っている。たとえどんな罪を犯したのだとしても、その囚人の遺体には永遠の休息を与えてやるのが一番良いはずだ。けれども彼のこの手術という任務が、産科の医師のそれとどこが違うと言うのだろう。これもまた人に新たな命を与えている。もしかしたら警察官たちはこの男に話をさせたくなかったのだろう。なぜならこの男は政治犯だから。と彼はまた思いを巡らせた。 19年後、ヨーロッパの安全な場所でこの医師は彼の疑惑を語った。彼は私に彼の身分を秘密にすることを求めた。中国の医療当局は移植臓器の多くが処刑された犯罪者のものであることを認めている。しかしたとえ亡命中であっても中国大陸出身の医師が、自らがこのような手術を行ったということを普通は口にしない。なぜなら一旦提起してしまえば、国際医療機関の人々がむしろ避けて通りたいと願っている一つの問題に目を向けさせることになるからだ。この問題は中国の急激な死刑執行率の上昇或いは刑事事件犯の臓器摘出という部分にあるわけではなく、むしろ中国のシステマチックな宗教犯と政治犯の抹殺という点にある。しかし、この医師はこの件で家族や彼の事業がこうむるかもしれない悪い影響について心配はするが、これによって中国の立場が危うくなるという点については、何ら恐れていない。なぜなら彼は少数民族であるウイグル族の家庭に生まれたからだ。 ここ数年、私が接触したウイグル族の証言者たち― 二つの大陸に散らばった警察官、医師そして保安要員たち、彼らは普通、言葉を濁しながら通訳を通じて私にこうした断片的な情報を教えてくれる。彼らはそれが自分の事業、家庭に危害を及ぼすことを知っているし、それだけではなく時には彼らの命を脅かすことにもなることを知っている。そして彼らのこの証言は、大きな利益を生み出す生体臓器移植医療のニーズが拡大してきた過程を明るみにするだけではなく、より広範な残虐行為の大元を暴き出すことにもなった。 新疆は長きにわたり、党によって非合法な実験室として使われてきた。たとえば1960年代中期のロプノールの核実験(これは新疆ウイグル自治区の省都ウルムチのがん発症率を著しく高めた)。近年ではタリム砂漠に建設された恐らく世界最大の労働改造所。ここにはおよそ5万人のウイグル人と頑迷な犯罪者、そして法輪功の修行者が収容されていると推定されている。政治犯の臓器摘出について語り始めるとき、新疆はまさにその起点となる場所だ。 1989年20歳になったばかりのニジェット・アブドライム(Nijat Abdureyimu)は新疆警察学校を卒業し、特殊警察部隊としてのウルムチ公安局のある部隊に配属された。そこは専門的に「社会安全保障」に従事する部隊で、その本質は党に対する脅威を抑え込むことにある。ニジェットはその部隊に配属された初めてのウイグル人の一人であった。彼の任務はウイグル人に対する取り調べにおいて、とりわけ大きな事件において良い警察官であることであった。私が初めてニジェットに会った時、彼はローマ郊外の人で溢れかえった難民キャンプにいて、ひどく痩せて落ち込んでおり、そして警戒心が強かった。 ニジェットは私にこう説明した。彼は彼の中国人の同僚たちが常に彼の行動を監視していることをはっきりと認識していた。しかしニジェットはつとめて彼らを喜ばせる人間像を演じ続けた。つまり「素朴な笑顔を浮かべる良い奴」という人間像だ。1994年まで彼は政府のいくつもの秘密基地とも言うべき場所へ送り込まれた。留置場、取調室そして処刑場。この過程で彼は自らの目で残虐きわまる拷問、処刑を目撃した。ひどい時にはそれには強姦までもが含まれていた。職業的本能から出た好奇心で、彼は処刑場から戻ってきて苦しげに頭を振っている中国人の同僚に尋ねた。その同僚は「今回のは通常通りの手順だ。ああいった使い道のない死体は溝にけりこみ、使い道のある死体は臓器摘出のバスに運び込む。でもその後俺は車の中から一人の男の悲鳴のようなものを聞いてしまったんだ。」と言った。 「そいつは生きていたんですか?」とニジェットは自分が尋ねたことを覚えていた。 「どんな悲鳴ですか?」 「まるで地獄から聞こえたようだったよ。」 ニジェットはちょっと肩をすくめた。この部署で彼が見てきたでひどい行為は実際どこにでもあることなのだ。 数か月後、三人の死刑囚が刑務所から処刑場に移されることになった。それ以前にニジェットはその中の一人のまだとても若い青年と仲良くなっていた。ニジェットが傍へ近寄ると、その若者は目を大きく見開いてニジェットに尋ねた。「あなたたちはなぜ僕に注射を打ってくれたんですか?」ニジェットは彼に注射したことはなく、それは医務主任がしたことだった。しかしその医務主任と司法の役人たちも彼らが言葉を交わすのを見ていたので、ニジェットは口から出まかせを言った。「そうしておけば、お前が弾に当たった時にそんなに痛みを感じなくて済むんだよ。」 その若者はほんの少しだけ微笑んだ。ニジェットは、自分は一生この表情を忘れられないだろうと強く感じた。 刑の執行が終わった後、ニジェットはその医務主任に尋ねた。 「あなたはなぜ彼に注射を打ったんですか?」 「ニジェット、もし他の部署に異動できるのなら、すぐにここを離れなさい。」 「それはどういう意味ですか?先生、彼に打ったのはいったいどんな薬なんですか?」 「ニジェット、君は信仰を持っているか?」 「ええ。あなたは?」 「ニジェット、あれは一種の抗凝固剤だ。恐らく私たちは皆、地獄に落ちるだろうね。」 私はロンドンの非公式なウイグル人ネットワークを通じて、初めてエニウェル・トフティ(Enver Tohti)に会った。彼は優しい顔立ちで、小さな声で話し、その声は少しかすれていた。私は確かに第一印象では、彼は公共住宅に住む一人の亡命者に過ぎないと感じた。しかしエニウェルには秘密があったのだ。 彼の物語の始まりは1995年6月の最初の火曜日で、当時彼はウルムチのある病院の一般外科の医師だった。エニウェルは直接の上司である主任外科医との、いつもとは違う一つの会話を思い出した。 「エニウェル、私たちはエキサイティングなことをしに行くよ。君は野外で手術をしたことがあるかい?」 「いいえ。私は何をすれば良いのですか?」 「移動医療チームを準備してくれ。救急車が要る。全員明日朝9時に門の前に集合だ。」 水曜日の朝、快晴で空には雲一つなかった。エニウェルは二人の助手と一人の麻酔医を伴って救急車に乗り、主任の車の後について、ウルムチから西に向かって車を走らせた。救急車の車内はまるでピクニックでも行くような雰囲気に満ち溢れていた。彼らが、車が西山警戒区に入ったと意識するまでは、だ。そこはもっぱら反体制政治犯を処刑する場所だった。 ある急な山の中腹の未舗装の道路で、主任は車を止めて降りてきて、エニウェルのところへ来て言った。「君は銃声を聞いたら、すぐに車であの山の方へ行け。」 「我々に、なぜここに来たのか教えていただけませんか?」 「エニウェル、もし君が知りたくないなら聞かないことだ。」 「私は知りたいです。」 「いや。君は知りたくないはずだ。」 主任はきつい目で彼を見て、すぐに身をひるがえして車に戻って行った。エニウェルにはその山の方で警戒態勢を敷いている様子の武装警察がいるのが見えた。周囲には何人かの民間人も取り巻いている。エニウェルは冗談半分に仲間に言った。あれはもしかしたら弾代と遺体の引き取り代を払うのを待っている家族かもしれない。仲間たちは更にとりとめのないジョークで答え、その緊張感を打ち払おうとした。そうするうちに彼らはおそらく一斉射撃であろう銃声を聞き、車を処刑場まで走らせた。 エニウェルは主任の車にぴったりとついて走ったが、道の状態に気を取られて、周囲の状況はよく見ていなかった。彼が覚えているのは、10か或いは20の死体が山のふもとに横たわっていたことだけだ。武装警察は救急車を見ると、手を振って彼らにこちらに来るように呼んだ。 「これだ。これですよ。」 一人の海軍の青い制服を着た30歳ぐらいの男が血だまりの中にうつ伏しているのだけが見えた。すべての囚人は頭を刈られていたが、この男だけは長い髪のままだった。 「こいつです。我々はこいつを切らなきゃならない。」 「なぜ我々が切らなくてはならないんです?」 エニウェルはその男の頸動脈に触れながら抗議した。 「急げ。こいつはもう死んでいる。」 エニウェルは身を固くして、その言葉の誤りを正した。 「死んでいない。彼はまだ死んでいない。」 「早くやれ!肝臓と二つの腎臓を摘出しろ!今すぐだ!さあ!早くやれ!」 主任の命令に従い、皆は死体を救急車に運び込んだ。エニウェルは自分が麻痺してきていることを感じていた。ただ衣服を切り開き、ただ四肢を台に固定し、ただ腹腔を開いた。彼は通常の手順通りに行うように努めた― 消毒し、できる限り露出を減らし、切開する。エニウェルは戸惑いながら主任をチラッと見た。「麻酔はいらない。」主任は言った。「生命維持は不要だ。」 麻酔医はただ手を腰に当ててそこに突っ立っていた。まるで無知な農民のようだとエニウェルは心の中で思った。エニウェルは彼に向かって激しく怒鳴った。「君は何もできないのか?」 「いったい何をすればいいんだい、エニウェル?」彼はすでに感覚をなくしていた。もしナイフで切り付けても、彼は反応しなかっただろう。 しかし台の上の彼には反応があった。エニウェルのメスが切り開いていったとき、その男の胸部はけいれん性の収縮をしはじめ、それからまた広がった。この時エニウェルは少し狂ったようになり、振り返って主任に聞いた。「どのくらいまで切ればいいんですか?」 「できる限り広く深くだ。我々には時間がない。」 エニウェルはきびきびと動き、クリップも使わず、右手で切り、左手で筋肉と軟組織をかき分けながら、腎臓と肝臓だけを確保し、切り分けて洗浄する頃になってやっと動作を緩めた。たとえ縫合するときでさえもエニウェルは、この人はまだ生きていると感じていたのだが。彼は内部の縫合を行わなかった。すでに何の必要もなくなっていた。ただ死体を、一見したところ「様になって」いるようにするだけだった。「私は人殺しだ」エニウェルは心の中で苦しみ叫んだ。彼はもうその顔を見る勇気もなかった。まるで殺人犯がもう一度被害者の顔を見ることを望まないのと同じように。 医療チームは黙々とウルムチに引き返した。 木曜日、主任外科医がエニウェルを訪ねてきて聞いた。「だから、昨日、何か起きたかい?昨日のことはすべて普通だ。そうだろう?」 エニウェルは答えた。「そうです。」彼は何年もかけてやっと生体から取り出した臓器は新しい患者の身体における拒絶反応が低くなること、そして胸を打ったその弾が最初のその苦しみ以外にも、なにかしらの麻酔作用を引き起こしていたのかもしれないということを知った。エニウェルは彼のできることをした。彼はその囚人の家族のために遺体をしっかりと縫合し、そして15年後にその水曜日に起こった出来事を公表したのだから。 ニジェットについて言えば、1996年になってやっとこれがどういうことだったのかをはっきりと理解した。 当時おそらくは真夜中、監獄はとっくに消灯となっており、ニジェットと医務主任は刑務所の当直室にいた。二人の会話が少し途切れた後、医務主任はなにか奇妙な声でニジェットにあそこに幽霊が出ると感じないかと尋ねた。 「夜になるとちょっと変だと感じます。」とニジェットは答えた。「君はなぜそう思う?」 「だってここではたくさんの人が殺されていますから。あの人たちはみんな冤罪ですし。」 ニジェットはついに理解したのだ。あの抗凝固剤。毎回処刑場から戻ってくると部隊に対して開かれる高額な慰労会。監獄では私服警官たちが犯罪者たちに臓器提供意思表示にサインするように説いて回る。今、医務主任はすべて認めた。あの書類は本物だ。ただ彼らはあの囚人たちが解剖されるときに実際にはまだ生きているということをまでは考えていないのだと。 「ニジェット、私たちは本当に地獄へ落ちるだろうね。」 ニジェットはうなづいて、ビール瓶の栓を開けた。その顔に笑みはなかった。 後:【ブログ】米国メディア:北京・中国共産党が新疆で始めた最も血なまぐさいプログラム(下)この記事は、2014年06月03日00時00分に配信いたします。転載元アドレスhttp://ameblo.jp/cari2011/entry-11865314390.html多くの人に東トルキスタンを知って貰う為、1日1回クリックお願いします皆様が1日1クリックして下さると、このブログのランキングが上昇し、より多くの人に東トルキスタン情報が伝わる仕組みです。
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