米国メディア:北京・中国共産党が新疆で始めた最も血なまぐさいプログラム(下)前:【ブログ】米国メディア:北京・中国共産党が新疆で始めた最も血なまぐさいプログラム(上)(続き) 1997年2月2日、ベフティヤル・シェムシディン(Bahtiyar Shemshidin)は自分が名ばかりの警察官なのではないかと疑い始めていた。二年前、新疆西部の都市伊寧市(ウイグル語ではグルジャ市)の公安局はベフティヤルを麻薬取締部隊に迎え入れた。ベフティヤルはこの地位に非常に適した、大柄でハンサムな、そして権威あるウイグル人気質を表に出す人物だった。ベフティヤルは最終的にカナダに行ったが、彼の当初の理想に対する記憶は今もなお薄れていない。その頃ベフティヤルは決して自分を漢族の協力者とはみなしておらず、自分は一人の緊急救助隊員のようなものだと思っていた。 近年ヘロインは伊寧にはびこり、まるで中世の疫病のように若いウイグル人をノックアウトしていった。しかし麻薬取締部隊において、ベフティヤルはすぐに漢族のヘロイン密売者が当局の密かな保護を受けていることに気付いた。麻薬取締部隊に彼を迎え入れたのは、実は餌でおびき寄せることとすり替えの手段のためだったのだ。彼の漢族の上司は彼を薬物捜査には行かせず、逆にマシュラップの調査に行かせた。マシュラップとはウイグルの伝統的な集いで、身を清く保ち世俗に染まらないこと、運動やウイグル音楽やダンスを奨励している。しかしもしマシュラップがアヘン侵入の抵抗者における伝統中国医学のように盛んになったとしたら、中国共産党当局はそれを国家に対する偽装された攻撃と読み解くであろう。 1997年1月初めのラマダン明けの夜、すべての伊寧警察勢力に― そこにはすべてのウイグル族及び漢族の警察官も含まれていたが、突然銃を検査のために回収するよう命令が下された。そして約一ヶ月後に銃は戻された。しかしベフティヤルの銃は取り上げられたままだった。ベフティヤルが銃を管理する漢族の係官に尋ねると、「君の銃には問題がある」と告げられた。 「いつごろ修理が終わりますか?」 その係官は手元の名簿をチラッと見て肩をすくめ、それから顔を上げてベフティヤルを見すえて言った。「行っていいぞ。」その日の仕事が終わる前に、ベフティヤルはすべての漢族の警官は銃を手にしており、逆にすべてのウイグル族の警官の銃にはみな問題があるということ知った。 三日後、ベフティヤルはそれがどういう意味を持っていたのかを知ることになった。2月5日、約一千人のウイグル人が伊寧市の中心に集まった。この一日前に当局が6名の女性を逮捕した。すべてムスリムの教師で、みなマシュラップの関係者だった。聞くところによれば彼女たちはひどく痛めつけられたらしい。そこに集まってきた若い男たちは冬用の厚い衣類を着ないことで、自分たちがいかなる武器も携帯していないことを示していた。しかしその計画が果たして良いものだったかどうかは分からないが、漢族の警官はそんな抗議者たちに向けて銃の引金を引いた。 このグルジャ事件の死傷者数は未だに不明だ。ベフティヤルは警察内部ではおおよそ400人が命を落としたと見積もっていたのを覚えているが、実際には見ていない。すべてのウイグル族の警官はその事件前に当地の監獄へ「容疑者訊問」に行かされていて、さらにその事件が終わるまでそこに閉じ込められていたのだ。しかしベフティヤルは多くのウイグル人が監獄に入れられ、裸のまま雪の上に投げ捨てられ、ある者は血を流し、ある者は打撲を負ったのを見た。伊寧の主なウイグル族の診療所には診療停止の命令が下り、漢族の特殊警察が10名の医者を逮捕し、さらには診療所の救急車をも破壊した。 4月末には逮捕される人数の激増に伴って、人であふれた監獄は問題となり、毎日毎日ウイグル族の政治犯に対して判決が下された。4月24日ベフティヤルの同僚は8名の政治犯が殺されるのを目撃した。彼らを驚かせたのは、その時「臓器摘出特別医療車」と医者がその場にいたことだった。 ヨーロッパで私は伊寧事件後に、伊寧の大病院で働いていた看護師と話したことがある。彼女は彼女のいかなる個人情報も漏らさないことを強く要求した。彼女は私に言った。その当時病院ではウイグル族の抗議者に対する処置を禁じられていた。負傷者の腕に包帯を巻いてやった医師の一人は懲役15年の判決を受け、もう一人は20年の判決を受けた。病院のスタッフはこう言い渡されていた。「もし治療を行えば、同じ結末を迎えることになる。漢族とウイグル族の医療スタッフ間の溝がさらに深まる。」と 漢族の医師は処方箋がそこに山積みになっても、ウイグル族の医療スタッフに薬局の鍵を渡さない方がましだと思い、だからウイグル族の病人は正常の薬の量の半分しか与えられなかった。 グルジャ事件後ほどなく、一人の若いウイグル人抗議者の遺体が軍病院から家に帰された。彼の腹部の縫合は遺体の解剖検査によってできたものかもしれなかったが、これがまた別の騒動を引き起こすことになった。その後、すべての遺体は梱包されて、銃殺された後にその場で埋められ、漢族の兵士がその墓地をパトロールしていた。その墓地の一つは現在のウルムチ空港からさほど遠くない場所にある。 6月になり、この看護師は一つの事例に遭遇する。一人の若いウイグル族抗議者が逮捕されて、ひどく殴られた。彼の家族は金を払って彼を請け出したが、彼の腎臓は深刻な損傷を受けていることがわかり、ウルムチの軍病院で受診するように言われた。そこで医師は彼らにこう言った。「腎臓一つには3万人民元(4700$相当)かかるが、移植する腎臓は健康なものだと保証する。なぜならドナーは21歳のウイグル族の青年で、あなたたちの子供と同じだから。」と。そしてその看護師は臓器の「ドナー」も実際は抗議者の一人なのだと知った。 1997年の早秋、一人の若いウイグル人医師が新疆の農村における血液検査から戻ってきて、ウルムチの大病院でその医者としての生涯を始めようとしていた。私たちは彼を仮にムラット(Murat)と呼ぼう。二年後彼はヨーロッパへの逃亡計画を開始し、数年後私はヨーロッパで彼と出会った。 ある日ムラットの指導教官がこっそりと彼に告げた。5人の漢族の共産党政府関係者、VIPが内臓に問題があって入院している。そしてムラットに任務を与えた。「ウルムチの監獄、刑事部門ではないぞ、政治犯部門に行って、血液検査をしてきなさい。血液サンプルを取りなさい。血液型が分かればそれでいい。」 「では組織適合検査は?」 「ムラット、今はそれは考えなくていい。後でまた話そう。まずは血液型の検査だ。」 授権書を持ち、病院の助手を一人連れて、知識人の雰囲気を身にまとったムラットはそこで自分が向き合うのが、15名近い20歳から30歳くらいのウイグル族の硬骨漢たちであることを知った。最初の囚人が腰を下ろし、針を見て丁寧に言った。「あなたと私は同じウイグル人なのに、なぜ私を殺そうとするのですか?」 「私はあなたを殺したりしません。私は単に採血に来ただけです。」 「血」という言葉を聞いて、すべてが混乱に陥った。男たちは叫びだし、恐れてその場を離れようとした。警備員たちは大声をあげて彼らを列に引き戻した。先ほどの囚人は、自分は無実であると叫んでいた。警備員は彼の首を掴んで力を込めて締め付けた。 ムラットは突然、連れてきた病院のスタッフが今まさに、彼の心に同情が浮かぶかどうかをじっと監視していることに気付いた。「あなたの健康のためだけですよ。」と彼は平静を装って言った。「ただの健康検査です。」採血する度にムラットは繰り返し言った。 病院に戻ると彼は指導教官に尋ねた。「あの囚人たちは皆死刑の判決を受けているのですか?」 「そうだよ。ムラット、そうだ。もう聞かないでくれ。彼らは悪人だ。国家の敵だ。」 しかしムラットはやはり問い続けた。時間が経つにつれ、彼にも徐々に全体像が分かってきた。一旦何名かの適合する血液型を探し出し、さらにもう一度組織適合検査行う。その後その政治犯は右胸に弾を浴びることになるのだろう。そしてその政府関係者たちは臓器を得て、ベッドから起き上がり、退院するのだ。 6ヶ月後、間もなくグルジャ事件から1年を迎える頃、5名の新たな政府関係者が入院してきた。指導教官はムラットにまた監獄の政治犯部門へ行って、血液サンプルを取ってくるように言った。今回彼はムラットに摘出する政治犯の臓器は正常なものであると言った。輸出取引はますます増えている。数も大きい。軍隊の病院が先頭になっているのだと。 1999年の初めになって、ムラットはもう二度と政治犯からの臓器摘出の件を聞くことはなくなった。こんなことはもう終わったのだろうと彼は思った。 しかし新疆の摘出プログラムは広がり始める。1999年の年末、中国共産党公安は毛沢東以降最大規模の鎮圧活動を行った。― 法輪功の撲滅である。それはウイグル族への鎮圧をも超えた。私の計算では300万人に達する法輪功修行者が労働改造所に送られた。2008年のオリンピックの前までに、約6万5千人から心臓がまだ動いている間に臓器が摘出された。また家庭教会のキリスト教徒たちやチベット人も同様の運命に遭遇している。具体的な数字ははっきりしないが、これよりはかなり少ないであろう。 ある人たちは中国の医療システムが最近この明らかな事実― 中国の医療環境が決して完全に道徳的ではないということを認めたと指摘している。これは問題が好転していく気配を見せたことを物語っている。外国人投資家も中国は最終的にはいずれ、或いはすでに、臓器摘出を撤廃し、より利益を得られる薬品や臨床試験業へ向かうのではないかと予測している。こうした話にはホッとさせられるが、この問題はまだ数多く報告されており、ひどいものでは一年前の報告もある。つまり中国が決して新疆プログラムを撤廃したわけではないことを示しているわけだ。 2009年7月、ウルムチではウイグル族と漢族の間に血なまぐさい衝突が起こった。当局は大量の軍隊をウルムチに出動させ、西側の記者を追い払い、インターネットを遮断し、更にその後6ヶ月の間、多くは夜間に数千名のウイグル族の男性を捕えた。捕らえられたウイグル族から明らかになった情報に基づけば、一部の容疑者はただ臓器が健康なものであるかを評価することだけが目的の検査に連れて行かれたそうだ。一連のシグナルは不明瞭かもしれないが、それらは間違いなく一致している。結論は一つしかない。つまり中国という超大国に向かって猛スピードでまい進するこの国は、人権を踏みにじるだけではなく― これはもう目新しいニュースではないわけだが、十数年にわたって人々が最も信頼を寄せる医療という分野の知識を乱用し、人権法律の専門用語で言うところの「照準を合わせた」大量虐殺を行ったということだ。 ニジェットがスイスのヌーシャテルの難民所で、どこかの国が彼に難民の身分を与えてくれるのを待っているとき、彼は私に、また他の人にも真実を告白した。しかし焦って中国の機嫌を損ねたくないこの地球上には、彼の陳述に耳を傾けたいという国はどこにもなかった。エニウェルは英国下院で目立たない中国人権検討会に参加した。国会議員が聴衆に意見を求めた時、エニウェルは立ち上がって発言した。彼は初めて自分は人を殺したと語った。私はメモを取ったが、英国議員と彼らのスタッフは誰一人エニウェルの電話番号をメモしなかった。 この一連の出来事は非常にはっきりと暗示している。それはつまりウイグル族は自分の決断を頼みにする以外には、問題解決ができないということだ。1300万人のウイグル族、人数は多くない。しかしその絶望は非常に深い。彼らは武力闘争をするかもしれない。戦争が起こるかもしれない。そこに至って世界の外交官が北京に対話を呼びかけるときは、それぞれの国が物事の起源と良心を見ることを望みたい。私について言えば、もし私のこのユダヤ姓が私に何かを伝えているのだとすれば、それは死者のための完全な復讐はできないかもしれない。しかし延々と続く命に関わる弾圧を受け止め続けられる人々はいないということに他ならない。 転載元アドレスhttp://ameblo.jp/cari2011/entry-11865317761.html多くの人に東トルキスタンを知って貰う為、1日1回クリックお願いします皆様が1日1クリックして下さると、このブログのランキングが上昇し、より多くの人に東トルキスタン情報が伝わる仕組みです。
緊急アクション!【署名と転載拡散のお願い】【署名と転載拡散のお願い】迫害を逃れてきた亡命希望のウイグル人達を救え!知られざる東トルキスタン(ウイグル)の真実を知って下さい!まとめサイト「東トルキスタンに平和と自由を」「東トルキスタン備忘録」のおすすめ記事■ぜひ、一度は見ていただきたい記事【転載歓迎】
東トルキスタンで起きていること 【転載お願い致します】 ■その他のおすすめ記事【転載歓迎】 東トルキスタンPR動画 中国の核実験被害を映したドキュメンタリー「死のシルクロード」 2009年に起きたウイグル暴動。その真実と、中国の”怯えと誤算” 【動画】東トルキスタンから誘拐されスリをさせられる子供達 【動画】2009年7月5日ウルムチ事件 ■イベントや書籍・グッズに関して 東トルキスタンに関するイベント情報はこちら 東トルキスタンに関する書籍・グッズの情報はこちら Twitter関連「東トルキスタン備忘録」の更新はTwitterでもお知らせしています
■日本国内外のウイグル情報Twitter(敬称略) 東トルキスタン情報収集員 日本向けウイグル関連情報はこちらから ウイグル海外ニュース速報翻訳bot 海外のウイグル情報を日本語に翻訳 世界ウイグル会議(英語などの外国語) ■当ブログの記事をTwitterで配信して頂いている方々(敬称略) 保守系ブログまとめ読み 特定アジア系ブログまとめ読み |
全体表示




