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腰痛と風邪気味な「黄色F改」です。
ほんで時差ボケも。 渡米してから快調に睡眠出来てたのに。。。 日曜の昼間に寝ないように動いてたけど、そのまま眠れず。 バス乗ってみたりしたんだけどなぁ。。。 ベッドにも23:00には入って、目を閉じ続けたんだけどなぁ。。。 2:00回ってるし。 書いてる場合じゃないし。。。 あと5時間で出勤やし。。。 あぁ、昼間眠いだろうなぁ。。。 |
逃亡生活
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1階の窓全開で寝ていた「黄色F改」です。 無防備でした。 だって、あんま開ける習慣ないんだもん。 なんせ面倒なので開けないのだよ。 あとで閉めなきゃならんし。。。 で、久しぶりに開けたら閉めるの忘れてましてね。。。 朝起きて仕事行く前に気がついたのですよ。 すばらしいセキュリティーですわな。 さて、淡路の続きがございます。 本当の目的。 ソレは、今から2年前。 2007年6月末の話です。 この記事を覚えているだろうか? 和歌山の友ヶ島の要塞に行った時の話です。 その反対側が淡路島。 友ヶ島から淡路島を眺めていたのが昨日のように思い出されますね。 で、淡路は由良から見た友ヶ島が遠くに見える。 友ヶ島にあった灯台も肉眼で見える場所もあったのだが、カメラの調子が悪くてちゃんと撮影できていなかった。 なのでずいぶん遠くからの写真しかないのが残念です。 地図などを見てもらうと、由良の町に覆いかぶさるように、目の前に小さな細長い島があるのだが、そこにはまとまった砲台跡がある。 しかし、今の時期は渡る事ができないらしい。 近くにいたおじちゃんに聞いたら 「この辺の子供は泳いで渡るで」 との情報。。。 イラン。。。 基本渡れないってな事なので、陸地に設置された砲台跡に行くことにした。 しかし、その道のりは非常に厳しく、僕のハイエースで行くにはかなり厳しい道なのです。 本気で身の危険を感じるルートを使って山を登っていきます。 完全1車線の道を30分ほど登り詰めた所にその場所はあります。 伊張砲台跡についた。 いや、ホンマにココまでの道が半端なくきっびしい所でしてん。 二度と車で来たくない場所です。 しかし、砲台はステキな作りをしてます。 ほぼ友ヶ島の砲台跡と同じ作りをしてます。 ただ違うのはココでも震災の影響がありました。 かなり崩壊してます。 たぶん弾薬庫なのだろうと思うけど、中に入ることは出来ないくらい崩れていた。 近くには茶碗の破片が散らばっていた。 これは震災とかではないのだろう。 誰かがイタズラで割ったのか?それとも終戦での出来事で自暴自棄にでもなったのだろうか? 原因はわからない。 すぐ近くには井戸があり、炊事場なのかトイレだったのか? もしくはこの下に大きな空洞があり、そこに雨水が溜まったものだろうか? すぐ横には大きく深い溝もあるので炊事場と考えるのが自然なのだろうか? すると、さっきの弾薬庫と思われた場所はなんだろう? 弾薬庫ならば半地下になっているのが普通なので、もしかしたらなにか別の施設跡なのかもしれない。 こちらはずいぶん酷く崩落している。 中をのぞきこむ。 しかし、あまりに崩れているので中に入る勇気がない。 一人で入って崩れて埋まったら寂しいので、道ずれがいないのは悲しすぎる。。。 これは別の弾薬庫の中。 比較的キレイだが、物凄い亀裂が走っていた。 ちょっとくらいの爆弾ではビクともしないと思われるこの施設も自然の驚異には勝てない。 そしてココでも中に入る勇気はない。。。 ぐるっと回って高台に登ったらソコには砲台跡があった。 友ヶ島のと比べると若干小さい。 そして、旋回範囲も小さい。 うっそうと茂った木々に行く手を阻まれながらも一回りして、また妄想の世界に入り込む。 日頃の訓練の成果を見せるときが来た! 身を振るわせる轟音が鳴り響き、大砲から噴出す火炎と煙に息を止めてしまう。 着弾を確認するヒマもなく、次の弾を込める準備をする。 大砲の角度が修正され、弾を込め耳を塞ぐ。。。 ってな事を妄想して楽しんでしまった。。。 何が悲しいって、撃つ人とか「ウテェ!」とか言う人じゃない。 弾を運ぶ人なのだ。 ルンルン気分でその他になにがあるのか散策して、ドコかに続く通路があったので進んでみた。 ココは全く崩壊していないし亀裂もない。 そしてゴミもない。 さらにはココに来て1時間以上いるのに近くの道を誰も通らない。。。 まぁ、誰かが通るとは思えない道なのだが。。。 通路を抜けると要塞の外に出た。 ココから入るのだろうか?それともこちら側が本当の入り口なのだろうか? いまいちワカラン作りをした要塞跡だ。 ココの砲台跡はほんの一部に過ぎないので、全体を見渡す事が出来ればその作りにも納得が行くのかもしれない。 しかし、生い茂った木々がその全貌を隠し、もっと歩いて謎を解明して見せろと言っている様だった。 ただ残念なのは時間が無く、これ以上の散策が出来なかった。 数十箇所もあるといわれた由良要塞のうちのたった一つしか散策できなかった事がとても心残りだ。 次はいつ来ることが出来るだろうか? 難しいなぁ。。。
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ダイハツにはガッカリした「黄色F改」です。 タントを買って早1年。 もう修理ですねん。 エンジンが掛からなかったり、バックに入れるとエンストしちゃう不思議な現象が続いたのでクレームです。 エンジンはどうやら片肺な感じ。。。 突然エンジンが不調になり停止するとっても恐怖な現象です。 で、修理中は代車を貸してくれることになったのだが、ガスが空っぽで渡された。 受け取ったときには気が付かなかったのだが後で「お前んちにビーム打ち込むぞ!」くらいの勢いで苦情の電話をしてみた。 ほんで更に! 何気に開けたダッシュボードの中に「ピザパン」の袋が。。。 しかも食いたてっぽいし。。。 えぇ〜、ガソリン入れ放題で決着。 すでに軽自動車が一日で消費できない勢いで請求中。 いったい修理が完了するまでにどれだけの化石燃料を無駄使いできるのか楽しみですね! もちろんハイオクですよ! 空のドラム缶が必要かもね! ふっふっふ! 見事に晴れ渡った鳴門大橋を眼下にたずさえることのできるステキな場所。 僕の本当の目的地に皆さんをご案内です。 でもって、その目的地に行く間にパンゲアに参加するライダー数人と出会うことが出来た。 いたるところにトランポがいてましたよ。 さすが700台エントリー。 ビックイベントでしたねぇ。。。 いったいドコへ行くのかと申しますと、 造船所です。 とても魅力的な金属の競演が目の前に広がっていますね。 と、まぁ、全然関係ないけど。。。 本当の目的地はココです。 もう、皆さんお気づきですね。 だいたい書庫が「逃亡生活」になっているだけで、あぁあれか。。。と想像がつくあのステキエリア。 「戦没学徒記念 若人の広場」ですね。 わざわざ言うまでも無いたたずまいですね。 あまりにも有名すぎます。 まぁ、廃墟としてですが。。。 なぜかと言うと、先の震災でダメージを受け今では閉館している。 でも、慰霊碑へのルートは開放されているのです。 高台に立てられた慰霊碑。 遠くには鳴門海峡が見える。 しかし、僕は何のためにこの施設が建造されたのか詳しく知らないのです。 どこにもその記述は無く「荒らさないでね」と看板が立つのみとなっていた。 ココの話を聞いたのはいまから5年ほど前。 しかも心霊スポットとして。。。 日本兵の霊が出るらしいと。 そういうのスキでしょ?って事で教えてくれたのです。 が、別に心霊スポットとかが好きなのではありませんよ。 と強く言っておいたのだが、なぜに日本兵???? と、思っていたのです。 でもって、ネット徘徊し情報を集めてみたら、あの慰霊碑は「永遠のともしび」と言う全国20万人とも言われる学徒兵たちの御霊を祈念している塔なのだと言うことが解ったのです。 ちゅっか、読んだだけやけど。。。 ココはその資料館の中。 扉が開いていたので見学させてもらうことに。 たしかになにか出そうな感じではある。 それよりも、この建物の作りが中々凝った作りをしている。 資料はいっさい無いけど、建造物を見に来たと思えば、いい勉強になるのかもしれない。 この手の資料館にしてはずいぶん本気な作りをしていた。 しかし、残念ながらココに日本兵は絶対に出てこないだろう。 なぜなら、別の部屋にはカレー粉が散乱していて異常なカレーの香りが広がっていたのです。 鼻を突く異臭にさっさと撤収。 今度はお隣の施設を見学です。 向かう道すがら、デジカメのバッテリーがヤバイ感じに。。。 中に入ると料金が書いてある。 どうやら何かの研修施設のようだ。 素泊まり4500円。 カラオケシステムもあるようだ。 会議室も。 ウイスキーもあるゼヨ! 何を研修するんだろう??? ずいぶん娯楽に力が入っているようだ。 こんなの載せていいのだろうか? なにやら人生に疲れた方が宿泊に来て、勇気と力を充電できたようだ。 なんかいい所だったのかもしれない。 でもね、完全に僕の目的と逸脱した施設なので、さっさと撤収しました。 慰霊碑には手を合わせてみたが、あまりのデザイン重視な作りがなんとも。。。 この施設の建設コストが維持することを困難にしたと思われるのは明白でして。。。 なにが残念って、この手の施設はほとんどが厳しい財政状態だと聞いたことがある。 個人でこじんまり経営するか、市営などでなければ厳しいよね。 なんとか、このままでいいから維持管理して欲しいと思う今日この頃です。。。
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一人だとついつい食べ過ぎてしまう「黄色F改」です。 食べ過ぎてキモイです。。。 何を食べたか言うと後で嫁チェック後に叱られるので秘匿します。 って、こんな書き方すると本当にガミガミしてるように思えますがそんなこと無いんですよ。 普段からとってもやさしいんですよ。 料理もうまいし、僕が散らかしても文句も言わずに片付けてくれるし、お弁当だってちゃんと早起きして作ってくれるしさ。 あ、そうそう、そろそろ新しいヘルメットがほしいなぁ。。。 実家に帰っている嫁にゃんから連絡があった。 シュウがはじめて寝返りをしたそうだ。 その初めての姿を撮影するために新しく買ったビデオカメラだったが撮っていないそうだ。 父は悲しい。。。 そんな僕を癒す場所はどこかと考えたら、それは福井県敦賀市にあった。 敦賀連隊跡です。 ここは日清戦争の後に陸軍の19連隊、昭和には119連隊が置かれ、当時はその近くに旅館や食堂などが立ち並んでいたそうです。 この日はあいにくの雨で、山間部は雪になってました。 やたら寒いミゾレ交じりの中、石碑に書かれた文字をガタガタ震えながら読み当時の事をまたも勝手に想像していました。 近くには練兵場もあるようだ。 現在では住宅地になっている。ここ連隊跡地も団地になっていて当時の面影が一部残されていいる。 この丸い筒が歩哨詰所です。 詰め所とは言わんかな? うまい表現が浮かばないが、要は門番のいたところ。 冬は雪が今よりももっと降ったと思われる。 イヤだねぇ。。。 そして、この敦賀119連隊はビルマ戦線へ動因され、インパール作戦(ビルマ戦線)で壊滅寸前となった現地部隊を収容し転進支援(退却支援)をする命令が下ったのです。 しかし、現地に向かうもこの支援部隊にすら補給は無く、しかも転進支援とは他部隊が転進するのにわが身を持って盾となるのです。 武器と言っても敵の戦車には無力で、食料も尽き栄養失調による体力の低下とマラリアで次々と病死または餓死していく。 この119連隊の連隊長が戦車に対し単身突撃し戦死されました。 偉いさんが戦死するとその部下たちに命令する人がおらんわけです。 ちなみに連隊長クラスが戦死したら一旦退却し再編されるんです。 でもね、後方に下がれば補給も受けることが出来るはずです。 連隊長の自らの命を絶ってでも部下の命を守る。。。 64年前にこの桜の木に見送られ戦地に赴いたのだと思うと、思わず目頭が熱くなった。 3200名のうち生きて日本の土を踏めたのは657名。 遥かなる南方の地で散った御霊は無事に戻って来れたのだろうか。。。 後味悪い終わり方やったなぁ。。。
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色々と思い出して過去記事を読んでとっても適当な事を書いていた「黄色F改」です。。。 現在もかわらんけどね。 でさ、フレームツリー☆メモを読んでいて ラッソー神社の記事が書かれていた。 しかも戦跡ネタの色が濃い気がする。。。 皆さんは覚えているだろうか? 僕が2年前の9月に「テニアン」に行っていた事を! ↑そのときの記事だ! 忘れちゃった方はもう一度読み返していただきたい。 その頃の記事を読んでいない方は最初から読む勇気も必要かどうか。。。 ↑最初からだ!根性見せろや! でね、何が言いたいかってのはですね、 そのラッソー神社のね、草がなくなってるって事だ! フレームツリー☆殿の記事を読んだ方は判るかな? 僕の行ったときはボ〜ボ〜ですよ! ほんで なぜにそのデカさなのかわからんが、大げさなGPSを背負っててさすがに引きますよ。 言葉もハッキリ通じないし、山の中だし、3対1だし。。。 うっすらと消えかけた記憶を呼び起こそうとするのだが。。。 地図がどうだか・・・って言ってたような気がする。 「草ボ〜ボ〜でなんも見えんね。残念だったねぇ〜」 って言ってたような気がする。 そうかぁ。 僕の立ってた場所は電探設備の跡だったらしい。 あのときに時間がもっとあれば! そして、テニアンの情報をもっと集めておくべきだった。。。 カロリナス台地に入れないってのも現地に行ってから知った訳でして。 もちろん地図は持ってない。 いつものごとく、行き当たりばったり。。。 しまったなぁ。。。 チビがデカくなってから行くしかないけど、恐ろしい勢いで風化しちゃってるからなぁ。。。 コソッと行くしかないやん! って、それも無理だな。。。 そうかぁ。。。 電探台かぁ。。。 もっと周りを調べりゃ良かったなぁ。。。 もったいない。。。
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