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 昨日(2月1日)18時を待って、直ぐにJCPサポーターに本登録した。
 わたしはブログで何度となく宣言しているが、言葉の厳密な意味での「保守主義」者であり、里山主義という保守主義を提唱している。そのわたしが本登録を終えツイッターで、「共産党宣言」ではなく「JCPサポーター宣言」をしたのである。
 これから、わたしがどうして「JCPサポーター宣言」をしたのか、その理由をわたしの思想的な変遷を絡めて述べていきたい。合わせて、安倍晋三とその一味が戦前回帰へと雪崩れて行くのを阻止できるかどうかの歴史的分岐点であり、歴史的瀬戸際にあって「JCPサポーター宣言」をすることが、政治的戦略として如何に重要であり、必要不可欠であるか述べていきたい。

 学生時代のわたしの所属していたゼミは新左翼の巣窟のような様相を呈していたから、わたしも特定のセクトには所属していなかったが、思想的にはその周縁にいたことになる。当然にマルキストであった。
 但し、新左翼と日本共産党は政治的方向性と政治的戦略の上で決定的な違いがあり、同じマルキストであるからこその近親憎悪のような関係にあったので、わたしも日本共産党に対して憎悪とまではいかないけれども、あまりいい感情を抱いていなかったことは確かだ。
 人間とは恐ろしい生き物である(笑)。大学を卒業してからのわたしは、学生の頃に漠然としてではあるが追い求めていたはずの「私を私たらしめるあるべき生き方」への拘りを忘れ去り、いつしか会社人間(仕事人間)へと変貌を遂げていたのである。
 四十二を過ぎて挫折を味わい、自分なりには生死を彷徨い歩いたつもりなのだが、その先で立ち戻ったのが、「私を私たらしめるあるべき生き方」の探求だったのである。そして、大学時代の恩師である橋川文三の「四十を過ぎたら小説を書け」という言葉を思い出したのである。作家の登竜門である新人賞に応募したのは四十五歳であった。
 「私を私たらしめるあるべき生き方」を追い求める中で、西欧近代主義に根本的な疑問を覚え、近代的労働観の否定の先でマルクスと決別したのであるが、面白いことに逆説的な意味で日本共産党へと注ぐ眼差しが変わったのである。色眼鏡を通してではなく、あるがままに日本共産党を観ることができるようになったのである。
 マルクス理論とは決別したが、マルクスの資本主義批判の側面は、今でも私は共有している。その面では日本共産党と重なり合う訳であるが、わたしが日本共産党を熱烈に支持するのは、その理由だけではない。
 不思議なことに、保守主義者であるわたしが提唱する里山主義と重なり合う部分があるからだ。この謎については、わたしなりに考えたことをブログで何度となく語ってきたので割愛するが、わたしの提唱する里山主義を実現化する上で考えれば、政策的にみて現時点の日本の政党の中では日本共産党しかないのである。真逆なのは、保守党を自認する自民党なのであるから、本質的にみれば、如何に今の日本の政治的状況が言葉の持つ意味を転倒させているか分かろうというものだろう。
 資本主義とは本質的には、作っては破壊し、作っては破壊する意志を持っているものなのである。生産物(作る)は消費(破壊)されなければならない。が、そこで留まっていては資本主義は成り立たない。資本主義とは無限の拡大再生産を宿命付けられており、無限に膨張していく本能を持っているからだ。生産物を作り出すことが目的ではないのである。その作り出した生産物を消費することで欲望満足が起こっては膨張していくことは不可能である。
 だから昨日作り出した生産物を否定し、破壊しなければならないのである。そうでないと新しい欲望を生み出すことができないし、新しい生産物を作り出すことができなくなるからだ。
 資本主義には目的地がないのである。資本主義社会とはハンナ・アレントがいう、作る目的を奪い去れた生産物を消費する「過程」が永遠に続く社会なのである。そして、その「過程」が進歩に向かっていると信じているのだ。
 問題は労働が、その目的を奪われた生産と消費の中に組み込まれてしまっていることであり、労働を神聖視していることだ。労働こそが人間を人間たらしめる本質的な条件とみなしている社会なのである。
 目的地のない資本主義社会は何処へと行くのか。
 安倍晋三は盛んに革命という言葉を使うが、安倍晋三の革命とは、目的を奪い去られた生産と消費を前に向かってがむしゃらに続けて行くために、昨日の社会を破壊していくことの宣言なのだろう。安倍晋三のおぞましい心は、資本主義の赤裸々なおぞましい心そのものなのである。わたしは言葉の厳密な意味での保守主義なら、資本主義を否定しないとしたらあり得ないと思う。
 しかし、日本共産党と里山主義では決定的な違いがある。熱烈に支持する日本共産党が政権を担える段階にきたら、そのときにはわたしは日本共産党の批判者になるだろう。わたしが目指す社会を実現するための次なるステージへと上り詰めるためである。そのためには、日本共産党の躍進が必要不可欠なのだ。言い換えれば、わたしの夢想する未来の扉を開けるのは、日本共産党の躍進だということになるのだろう。

 では危機的である政治的現状の歴史的分岐点において、何故に「JCPサポーター宣言」が重要であり、必要不可欠なのか、述べていきたい。
 民進党の党首選挙から、希望の党への無分別な合同劇と分裂、そして立憲民主党の誕生までを振り返ってみてほしい。
 立憲主義と民主主義と平和憲法の精神を破壊する安倍政権打倒という大義の旗を掲げて、草の根的に市民が起ち上がって結集し、党派の垣根を越えて野党共闘を実現したのであるが、これは日本の政治史からみても画期的な出来事のはずだ。
 政党主体の永田町の論理による分裂と合同を繰り返す政治的三文芝居が、自覚する市民によって根底から否定され、政治を動かす力が、政党主体の永田町の論理から、自覚する市民の意志に移ったというメルクマールだったはずなのである。その記念碑が国会議事堂を自覚する市民で埋め尽くした8・30だったのだろう。
 この事実と謙虚に対峙した政党は何処だったか。
 自覚する市民は虚心坦懐に考えるべきだろう。わたしは日本共産党だけしかいなかったと断言できる。
 民進党のドタバタ劇には、自由党の小沢一郎も噛んでいたし、ほんの少しではあるが残念ながら社民党も関わっていたのである。一貫して大義の旗を掲げ続けた政党は日本共産党ただ一人であった。
 民進党のドタバタ劇はまだ尾を引いている。立憲民主党は京都府知事選で、性懲りもなく、自民党と公明党が推薦する候補に相乗りしようとしている憂慮すべき裏切りをしようとしている。
 民進党と希望の党と立憲民主党がどうなるか、予断を許さない。森友疑獄であと一歩で安倍晋三の首を取れるときに、不甲斐ないとしかいえない。そもそもが、民進党が党首選挙など行ったから安倍晋三が延命できたといえるのではないだろうか。あと一歩まで追い込んでいたのに猶予を与えたから、日和見主義のマスメディアが森友・加計疑獄問題の報道から蜘蛛の子を散らすようにして逃げたのだ。
 「JCPサポーター宣言」は、いってみれば自覚する市民が掲げた大義の旗なのである。「JCPサポーター宣言」する市民の「断固として、裏切りを許さない!」という意思表示なのだ。もし立憲民主党が裏切ったらどうなるか、日本共産党を野党第一党にし、「立憲民主党をぶっ潰す!」という脅しなのである。立憲民主党をぶっ潰すのだから、民進党と希望の党は言わずもがなである。
 脅しというと言葉が悪いかもしれないが、何度となく裏切られたのは自覚する市民だ。脅しでもしなければ、目が覚めないだろう(笑)。
 そして、「JCPサポーター宣言」は、立憲民主党が日本の政治を狂わしている悪しき元凶でしかない連合という組織のくびきから解放される原動力になるはずだ。
 戦略的に「JCPサポーター宣言」をした市民はこれだけの数がいるのだ。さあ、立憲民主党よ、連合と自覚して起ち上がった市民とどっちを選ぶか、と喉元に短刀を突きつけることになるのである。
 戦略性はこれだけではない。
 自民党と財界が目の敵にするのは日本共産党だ。何故か。一番恐れているからだ。「JCPサポーター宣言」をする市民が驚くほどの数になれば、自民党と財界に激震が走るだろう。
 安倍晋三をこのまま据え置いておくと危ない、という危機感が噴出するに違いない。自民党内に反安倍の機運が芽生え始めるということだ。自民党内の安倍政権に批判的な隠れ造反者の背中を押すことに繋がるのである。
 考えてみると、デモよりも効果的かもしれない(笑)。
 
 以上であるが、「JCPサポーター制度」がどんなものになるか、愉しみに待っていたのだが、日本共産党はしたたかというか、危機的な歴史的分岐点で戦略的に何をすべきか、知り抜いていると思った次第だ。
 もっとハードルが高いのかと思ったら、拍子抜けするほどハードルが低かった(笑)。つまり、わたしが上で述べた「戦略的」な「JCPサポーター宣言」を想定しているのである。
 以前の日本共産党なら、分かっていてもこんな大胆な戦略を表に出さなかっただろう。それほど日本の政治的状況が危機的であり、だからこそ日本共産党はどの政党よりも、日本の諸悪の根源でしかない安倍政権打倒に本気だという証しなのである。志位和夫委員長は安倍政権打倒の大義の旗を雄々しく掲げ続ける旗手なのだ。
 日本の政治はのっぴきならぬ危機的状況にある。
 マスメディアには期待できない。NHKは戦前そのままに、安倍政権の広報宣伝機関にまで堕落している。「JCPサポーター宣言」が爆発化すれば、そうした惰眠をむさぼるマスメディアを揺り起こさずにはおかないはずだ。マスメディアの尻を叩くことになるだろう。それだけに戦略的意味が大きいのである。
 自民党と財界の嫌われ者であり、戦前には非国民と呼ばれ、赤と呼ばれて弾圧された日本共産党だから、自覚する市民が戦略的に掲げる「JCPサポーター宣言」は効果的なのだ。
 頭を転換すべき時なのである。
 正真正銘の保守主義者であるわたしが「JCPサポーター宣言」をしている。
 わたしは危機的な日本の政治的状況だからこそ、その重みを分かっているつもりだ。
 さあ、「JCPサポーター宣言」をしよう!
 国会議事堂前の道路を埋め尽くした8・30の光景を凌駕しよう!


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