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 総選挙が終わった。
 わたしは共産党の私設応援団としてTwitterの世界で勝手に応援していたのだが、共産党の目標だった衆議院の議員立法に必要な20議席よりも一つ多い21議席を獲得した。改選前が8議席だから大躍進といっていいだろう。
 有権者の二人に一人しか投票していない戦後最低の投票率からみると、反自民の浮動票を一手に呼び寄せたのではないだろうか。
 自民党と公明党は宗教関係の盤石な組織票がある。この組織票は不動だということを、この選挙は証明してみせたのだろう。今後、この組織票を切り崩すというのは余程のことがない限り難しいのではないだろうか。上意下達的な命令系統が信仰の形で出来上がっているのだから、思考停止状態に陥り、マインドコントロールされた閉じられた信仰空間に幽閉されている世界を打ち破るのは容易なことではないだろう。
 一時期勢いがあった維新の党は、現状維持であり、はっきりと勢いが衰えたことが証明された。そして、橋下徹代表が自民党の補完勢力であることを明言したのだから、消滅したみんなの党の後を追いかけるのではないだろうか。
 次世代の党は壊滅的な打撃を受けた。18議席から2議席へ減り最早、風前の灯火である。
 考えれば必然的なことだ。安倍晋三を代表とする自民党が、かつての自民党ではなくなり、ネオナチ極右政党に変質を完了したからだ。極右政党である次世代の党が存続する意味を失ったのである。ネオナチ極右政党である自民党に飲み込まれたのである。
 特筆すべきは、次世代の党を飲み込んだのであるから、16議席を自民党が改選前の議席に上乗せできたはずなのであるが、圧勝したはずの自民党は改選前の議席数を減らしているのである。
 民主党は現状維持であったが、生活の党と、消滅したみんなの党から移った議員がいたのであるから、実質的には惨敗といえると思う。
 小選挙区制という悪しき選挙制度の産みの親である小沢一郎を代表とする生活の党は2議席を確保したが、小沢一郎の政治的生命は実質的に終わったと、わたしは思う。小沢一郎を核とした野党再編による新党の誕生はないだろう。小沢一郎の政治的吸引力とフィクサーとしての力は完全に衰退したといえる。
 こうして見てくると、勝ったのは共産党ただ一党だけなのである。詳しいデータはまだ見ていないが、恐らく共産党の得票数は驚異的に伸びたのではないだろうか。共産党の志位委員長が盛んに強調していた自民vs共産の構図そのものだったのだ。
 わたしは北陸信越ブロックの比例候補である藤野保史さんと、東京12区の候補、池内沙織さんを熱烈に応援していたのだが、嬉しいことにお二人とも当選した。昨夜は独りで祝杯を挙げたのである。実に美味い酒だった。

 沖縄は歴史的な選挙結果だった。
 オール沖縄の完勝であり、沖縄の小選挙区での自民党の議席をゼロにまで追いやった。知事選での圧勝で芽生えた沖縄の心が誠であったことの証左だろう。
 沖縄でできた野党協力がどうして本土でできないのか。共産党は全選挙区に候補を立てて野党協力の足並みを乱し、自民党を利しているという的外れな意見があるが、どこに目をつけているのかと批判したい。目が節穴だとしかいえない。
 わたしは護憲と反原発、そして反TPPの三つで支持する政党を決めていたが、選挙の公示前には社民党と共産党との二つを応援していた。しかし、社民党が維新の党と選挙協力するという暴挙を知って幻滅したのである。
 前のブログで何度も書いたが、この総選挙が歴史的な分岐点の選挙であり、歴史的な瀬戸際の選挙であるという根本的な認識が欠けているとしか言えない。そして、オール沖縄の本質的な意味を分かっていなかったのではないか。単なる従来の選挙協力としか認識できていなかったと断言できる。そんな社民党が民心を掴めるはずはない。野党協力という虚実に飲み込まれて、いやがおうにも蔭が薄くなるからだ。それでなくとも共産党と民主党の間にあって蔭が薄いのに、自殺行為としかいえないだろう。
 
 オール沖縄と本土の野党協力との根本的な違いは何か。
 それを論じる前に、わたしはオール沖縄の心は、本土の選挙でも生きていたと直観した。まだはっきりとしたものではないが、共産党の大躍進こそが沖縄の心に通じていると、わたしの文学的直観が叫んでいるのだ。
 わたしはこの一つ前のブログでも触れたのだが、共産党がこれから本気になって政権を狙うとすれば、沖縄の心の方向性でしかあり得ないと考えている。
 では、オール沖縄とは何か。沖縄の心とは何か。本土の野党協力と何処がどう違うのか述べていきたい。
 オール沖縄とは保守と革新とを超えている。つまりは、従来の保守の価値基準と革新の価値基準を超えているのだ。保守と革新を超えて違った価値基準を共有できたから、沖縄の心にまで昇華できたのである。従来の保守と革新のそれぞれの価値基準よりも、より根底にある価値基準にまで降りてきて、虚心坦懐にその地点に立ち、在るべき未来の沖縄の姿を真摯に想い描いたから見えてきた、新しい未来を生きる価値基準なのである。ここに、従来の保守と革新のしがらみや利害関係、そして薄汚れた金に塗れた利権が入り込む余地はない。沖縄人の生きる原点に回帰したのだと、わたしは思っている。この心を沖縄の心と名付けたのである。
 この沖縄の心に回帰できたのは、沖縄だからこそだと、わたしは思っている。沖縄の歴史がそうさせたのだ。
 本土の盾にされた地獄絵となった戦争体験を経たからだと短絡的に考えがちだが、当然に戦前の戦争体験もあるが、わたしはもっと奥深いところにある沖縄の歴史を貫く魂のようなものが、沖縄の心へと回帰させたのだと思う。
 沖縄における保守と、本土におけるいわゆる保守とは、本質的に違うのではないだろうか。
 いわゆる本土の保守は国家主義者なのである。これはどうしてかというと、上からの近代化革命で成立した明治維新国家が、統治装置として社会の中に巧妙に組み込んだ国家神道と教育勅語が影響している。国家神道とは近代的国家主義そのままの世界観だ。この国家主義の操縦を誤って、超の形容詞がつく超国家主義へと雪崩れていき、侵略戦争の破滅の道に転がり落ちたのであるが、日本の国家主義の思想的核である国家神道の起源は、古事記の神代記にまで遡るものである。そして、この神代記に記されていることが国体であり、国の始まりだとするのだ。いわゆる右翼は国家神道を信奉するものである。いわゆる保守も古事記の神代記を国の始まりとし、国体とするのである。この共通性があるから、国家主義というもので右翼と保守とが一体となり、右翼と保守の概念が曖昧となっているのが本土の政治的状況なのではないだろうか。
 古事記は律令国家体制を正当化するために、権力奪取に成功した勢力によって意図的に編纂されたイデオロギーである(上山春平『神々の体系』中公新書)。神道自体がそれまでの古代神道から全く異質の国家主義的な色彩に塗り固められて(神道革命)、最初の国家神道へと意図的に歪められたのだ。禊ぎという神道に固有だと思われていた思想も、このときに生まれたものである。
 しかし、この律令国家主義と、近代化革命によって樹立した明治維新国家主義とはそもそも異なるものである。同じ国家神道でも全く違うのである。どこが違うかというと、「近代主義的」国家主義だという事実だ。

 話しが脇に逸れてしまったが、本土のいわゆる保守を自認する者は、古事記の神代記を国の始まりであり国体とするのであるが、律令国家体制とは二千年前に半島から異文化を携えて大量に移住してきた弥生人によって打ち建てられたものだ。古事記が律令国家体制を正当化するイデオロギーだとすると、弥生人が日本に移住する前の歴史を抹殺したということになるだろう。つまり、日本人の源流である縄文時代と縄文文化を抹殺したということなのである。だから、いわゆる保守を自認する者は、日本の歴史の始まりを弥生時代から語るのだ。
 わたしは保守主義者だが、わたしは縄文文化が日本の歴史の始まりであり、縄文人の心が日本人の魂の故郷だと思っている。つまり、古事記の神代記から自由であり、国家主義からも自由である。国家よりも前に、日本という大地と風土にしっかりと根を張って、自然と共に生きて、平和を貴ぶ暮らしを頑なに守ってきた縄文人の心を懐かしがる者である。そして、日本の風土が育んだ暮らしそのものである文化と伝統と、何よりも故郷の自然と、日本の原風景を愛する者である。

 さて、やっと沖縄の保守を語れる地点にまで辿り着いた(笑)。
 沖縄の保守とは、わたしの唱える保守主義と近いのではないだろうか。沖縄と東北は縄文人の面影を色濃く宿していることが科学的に証明されている。新モンゴロイドの弥生人に対して、縄文人は古モンゴロイドなのだが、沖縄の保守は古事記の神代記から自由なのである。だから国家主義者ではなく、国の前に、祖先の魂そのものである沖縄の海と自然と、暮らしと文化と伝統を何よりも愛するのである。国家というものから自由なのである。愛国と国防と国益が大好きな本土のいわゆる保守との決定的な違いだ。
 保守と革新を超えて沖縄の心という原点に回帰できたのは、思えば不思議ではない。党利党略でしかない本土における上辺の野党協力との根本的な違いだ。
 忘れてはならないのは、沖縄の心とは3・11の心でもあるということだ。大飯原発稼働差し止め訴訟に対する福井地裁の判決文は、紛れもなく沖縄の心に通じたものだ。政治的、そして経済的価値を超えた日本人のあるべき生き方の原点に立って、発せられた尊い願いだからだ。
 人間中心主義ではない自然との共存と、経済至上主義と科学万能主義に対する警告、そして命を貴ぶ精神と自然破壊を許さない循環型社会を謳い上げている。これは正しく沖縄の心であろう。
 
 共産党の大躍進は沖縄の心に通じていると書いた。
 共産党はがちがちの教条主義的な社会主義を柱とするという通念と思い込みと、反共教育の名残がまだ根強く生きている。だからTPPで自民党に騙されても、まだ懲りずに自民党に投票するのだ。地方の農村の惨状は都会で想像するよりも悲惨なものである。安倍自民党政権の最大の被害者だと言えよう。それでも自民党に投票するという事実は何を語っているのか。
 農民が馬鹿だからだと切り捨てたとしたら、自民党を見限った農民は政治不信に陥り絶望の縁を彷徨い歩くことだろう。都会の中小零細企業の経営者と労働者も同じである。これを現状の日本における政治的悲劇といわずに何というのだろうか。
 保守党とは故郷の風景と暮らしと伝統と文化を守り、大地にしっかりと根を張って生きる農民の暮らしと長閑な農村の風景を守ってくれる、という思い込みと偏見から開放してやる以外にないのではないだろうか。
 不破哲三前議長を招いての京都での共産党の演説会があったが、西陣織に携わる来賓の方の話しを聞いて、わたしは確信したのだ。いわゆる現状の保守党が、農民や中小零細企業の経営者の頭に刷り込まれている共産党であり、現実の共産党こそがいわゆる保守党の役割をしっかりと行っているという事実は今や揺るぎないものだ。農業政策においても、自民党は破綻が証明されているアメリカ型の大規模農業を強引に取り入れようとしているのに対して、共産党は日本の風土と自然環境に適した農業を目差している。
 保守と革新という従来の対立軸をこのまま存続させていては、自民党を利するだけだと思えてならない。偽りの保守の仮面に守られて、民衆を欺いているからだ。自民党は過去の反共教育と明治維新以来の保守と革新という虚しい言葉に未だに守られているのである。
 不破哲三は自民党はかつての自民党ではなく、ネオナチ極右勢力に乗っ取られた自民党の仮面を付けた政党だといった。自民党の重鎮であり、かつての自民党の申し子だった野中広務も同じ想いを口にしている。そして、変質した自民党に対抗できる政党は共産党しかいないと断言している。この言葉を共産党は厳粛に受け止めるべきだ。わたしは野中広務が共産党に訴えているとしか思えない。何を訴えているのかというと、かつての自民党に生きていた保守的な心を救い上げてくれと哀願しているのではないだろうか。
 共産党は、故郷とか祖先とか魂とか、そして原風景とか鎮守の森とかの言葉を、意識的に避けているのではないだろうか。民俗学的な日本人の心と風景と暮らしと文化と伝統と慣習にまつわる言葉である。こうした言葉を破壊している元凶は偽りの保守の仮面を被った自民党であり、必死に守ろうとしているのは共産党である。それが真実だ。その真実の前に躊躇っていては、永久に政権奪取は叶わないのではないだろうか。
 従来の保守と革新の対立軸と価値基準に代わるべき、日本の未来を見据えた新たな対立軸と価値基準とを、共産党が主導して作り上げるべきではないのか。そうでないと、保守と革新という意味がなくなった言葉の牢獄に閉じこめられた、日本人を救い出すことはできないのではないだろうか。現在の政治的状況を踏まえると、共産党しか救い出すことはできないだろう。

 最後にこれからの展望を記しておきたい。
 安倍自民党が推し進める経済政策は破綻しているのが明白だ。海外では当たり前に認識されている事実だが、大本営報道機関にまで堕落したマスメディアが荷担して、国民の目と耳を塞ぎ隠している。が、狂気とも言える金融緩和による円安誘導と、税金と年金基金を湯水のごとく注ぎ込んで株価をつり上げている政策は、実体経済との乖離矛盾に押し潰されて、破滅的な調整期がやってくることは間違いないと思う。そうなれば、いやがおうにもアベノミクスの化けの皮が剥がれずにはいない。国民生活と地方経済の疲弊は頂点に達するのだろう。
 それは自民党と、そのバックにいる経済界にとっては危機的状況なのだろう。一番に恐れるのは無視できない共産党という存在だ。人心がそちらに雪崩れて行くことを避けようとするのではないだろうか。内憂を外に向けるのは常套手段だ。議員定数の過半数を占める絶対的な安倍政権だ。特定秘密保護法と集団的自衛権で暴走する可能性は否定できない。
 それを阻止できるとすれば、共産党に結集した国民の力だろう。そんな近未来を妄想している。

 藤野保史さん、池内沙織さん、当選おめでとうございます。
 国会での勇姿を見るのを愉しみにしています。
 ということで、共産党の私設応援団を当分は続けなくてはならないのだ(笑)。

  • 私は今回の選挙は戦争への分水嶺になると思っていました。
    長年日本共産党を応援してきた者として、増えて嬉しい反面、依然として自公で3分の2を越える議席を持ったこと、何よりも投票率の低さにとても手放しで喜べない心境でした。
    でもこのブログを読ませて頂いて、保守の人とも手を繋げるんだなと、認識を改めました。
    日本の未来を本当に考えることは、保守も革新も越えたことだと、心に落ちる言葉で伝えて頂いたと思います。
    ありがとうございました。
    まだまだ`硬い`日本共産党のイメージをしなやかにするために、貴重な意見と応援をお願いします。
    私もがんばります。

    [ ter**cosmo* ]

    2014/12/15(月) 午後 6:24

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    > ter**cosmo*さん
    コメント有り難うございます。
    まったく同感です。危機感を覚えて望んでいましたので、反自民の潮が怒濤となって押し寄せ、共産党には50議席くらいとってもらいたかったというのが正直な思いです(笑)。
    しかし、新しい歴史の胎動は間違いなく起こっています。今回の共産党の躍進がその証です。
    歴史が大きく変わるときには、新しい歴史の波を起こす勢力にたいして、それを押しとどめようとする反動のうねりが起こるものです。
    これからがネオナチ極右政党の自民党と本格的な戦いになると思います。
    歴史の転換点においては、それまでの価値観の転換とせなかあわせです。私は、保守と革新の意味は失ったと思っています。間違いなく、共産党は日本の未来の可能性を背負っていると確信しています。共に、戦って行きたいと思います。それが、私の愛する日本の原風景と、故郷の山と川と共に生きる人々の暮らしを守ることだと思うからです。
    よろしく、お願い致します。

    [ 北林あずみ ]

    2014/12/15(月) 午後 7:37

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  • また失礼します。
    今朝こんな記事を見つけました。
    この記事の47%の方が投票に行ってくれていたらと、残念でたまりません。

    http://newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20141216-00041439-biz_gendai-nb&p=1

    [ mo ]

    2014/12/16(火) 午前 10:14

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    > moさん
    コメント有り難うございます。
    興味深い内容の記事です。
    この47%の数値をどう読むかですね。
    私は安倍政権と自民党に対する有権者の憤りという「感情」の数値だと思います。自民vs共産という構図だから「感情」が共産党に向かったのではないでしょうか。
    但し、この「感情」が共産党に入れるという「意志」にまで昇華しなかった。だから投票しなかったのではないのでしょう。
    この「感情」は政治不信と背中合わせです。政治不信と憤りの「感情」とは方向性があるません。何処に行くか分からない。巧みに煽り、誘導すれば排外的なナショナリズムにもなり得る。政治不信と閉塞感と行き場のない憤怒という「感情」はファシズムの温床です。

    [ 北林あずみ ]

    2014/12/16(火) 午前 11:54

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    > moさん
    (つづき)
    しかし、共産党が更に躍進し政権を狙うとしたら、この47%の「感情」を共産党しかないという「意志」に変えるものが必要でしょう。私のブログの内容とも関わりますが、現実の共産党の姿をはっきりと示すべきだと思います。保守と革新の対立軸という従来のイメージではなく、自民党が破壊しているものと、共産党が守ろうとしているもの、自民党の描く未来と、共産党が描く未来をはっきりと示すべきではないでしょうか。
    共産社会とはがちがちの資本主義発達史という進歩史観通りに見なくてもいいのではないかと思います。早い話が、同志社大学の浜矩子の提唱する里山資本主義とは、経済成長神話から開放されて、人々が自由と平等を主体として、経済成長をするためにマスメディアを使って煽られ無理に膨れ上がった欲望を切り捨てた、無駄の無い循環型社会像であり、社会的富を皆で分かち合い、助け合う暮らしの中に生きる悦びと幸福を見つけだそうというものだと理解しています。瑞々しい文化とはそうした社会にいきづくのでしょうね。

    [ 北林あずみ ]

    2014/12/16(火) 午前 11:56

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    > moさん
    (つづき2)
    ギスギスした経済効率と最大利潤を求める経済成長至上主義の競争と格差の社会では生まれません。市場が一元化するので感性までもが多様性を失うからです。
    私は自分の保守主義を「里山主義」と名付けているのですが、人の暮らしと関わりながら、循環的な生物の多様性を生み出す社会を里山に象徴させました。
    「共産」の意味とイメージを、武力革命と資本主義発達史から開放すべきだとも思っていますが、そうするとマルクス主義ではなくなる恐れがあるから難しいのかなあ(笑)。
    ともあれ、保守と革新を超えて、この無意味なイメージを払拭し、沖縄と3・11の心の原点に立って、あるべき未来を指し示す中で共産社会のイメージと展望と内実を国民にはっきりと見せることでしょうね。
    そうすれば、もう共産党だという必然的な「意志」にまで昇華します。
    私は西欧近代主義の歴史的転換点だと思っているのです。だから歴史的激動期なのです。その証左の一つを、従来の保守と革新の対立軸が無意味になったことに見ています。

    [ 北林あずみ ]

    2014/12/16(火) 午前 11:56

    返信する
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    議員立法に必要な議席数は21議席です(予算を伴わない法案)。提案者1名にプラス20人以上の議員が賛同して提案できます。

    [ YMHR ]

    2014/12/18(木) 午前 1:58

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    > YMHRさん
    コメント有り難うございます。
    ご指摘のとおりです。
    私の認識不足でした。申し訳ありません。
    そうなると、沖縄の小選挙区での1議席が重要な意味を持つことになったのでしょう。

    [ 北林あずみ ]

    2014/12/18(木) 午前 6:47

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    おはようございます。わたしも、八王子も夕焼けの里から日本共産党を応援しました、自分のブログをフルに使いました。Twitterが効果があったと思います!

    [ 清水太郎の部屋 ]

    2014/12/20(土) 午前 9:53

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    > 清水太郎の部屋さん
    コメント有り難うございます。
    効果は分かりませんが、選挙を戦っているという臨場感と、自分勝手な一体感はありました(笑)。今までの選挙より充実していたことは確かです。

    [ 北林あずみ ]

    2014/12/20(土) 午前 10:27

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