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 前回の続きであるが、思った通り反響がよくない。
 わたしのブログの反響などどうでもいいのだが、衆議院選挙の日本共産党の支持が伸び悩んでいるという。
 戦争法の成立を阻止するために、自然発生的に起ち上がった多くの自覚する市民が結集した市民連合と一貫して寄り添い、決して裏切ることなく、市民の願いである野党共闘の大義の旗を高く掲げ続けてきたのは日本共産党である。党利党略を脇に置いて、野党共闘を死守するために孤軍奮闘し、そして野党統一候補を当選させるために涙ぐましいほどの選挙協力をしてきたのも日本共産党である。
 その日本共産党よりも、野党共闘を袖にし希望の党への合流騒動を起こした民進党が分裂して生まれた立憲民主党へと、市民の支持が雪崩れて行っている現象を、どうみたらいいのだろうか。
 野党共闘の大義の旗を今も高く掲げているのは日本共産党なのである。その大義の旗には目もくれず、諸手を挙げて立憲民進党へと雪崩れていくリベラルと呼ばれ、また自らリベラルと自認する市民の姿を、わたしは快くうけいれることはできない。
 敢えていうと、こうした光景に、リベラルが宿命としてもつ浮遊する心を感じ取ってしまうのである。
 もちろん、安倍晋三と安倍政治を打倒するためには、立憲民主党の大躍進が不可欠であり、歓迎すべきことなのだが、野党共闘の大義の旗を、頑なに、決してブレることなく、高く掲げ続けている日本共産党の孤高ともいえる姿に、心が引き寄せられていくのを阻んでいる、リベラルの信じる悪しき宗教が、わたしの目には見えるのだ。

 昨日Twitterで、この悪しき宗教について連続して呟いたのだが、反響はほとんどなかった。わたしが何を言おうとしているのか、その主旨を掴めないのだろう。その責任はわたしにある。理解できるように説明できていないし、またわたしの主張が突飛であり、常識を逸脱しているからだろう。そして、わたしの主張は直感を核としているものであるから、俄には納得できないのだろう。
 そのツイートが下記になる。

衆議院選挙で安倍晋三と安倍政治に引導を渡さなければならない。リベラル陣営の躍進は不可欠だ。が、リベラル(=自由主義)とは資本主義社会を前提とするものだから、資本の論理と経済成長=幸福という宗教に足下を掬われ、右往左往する宿命をもつ。自由主義は資本主義のイデオロギーでもあるからだ。

資本主義のイデオロギーとしての自由主義を体現しているから、連合は根無し草となって右往左往するのだ。私は資本主義のイデオロギーと切れた、本源的価値としての自由主義を自由・平等・基本的人権の尊重・民主主義・平和主義、そして自然との共生、共存共栄の棲み分けの思想としてみている。

重要なのは、私のいう本源的価値としての自由主義は、西欧近代主義の人間至上主義・科学万能主義・経済至上主義を超えた思想だということだ。この根源的価値の前にあっては、保守とリベラルの境界はない。西欧近代主義を超えているからだ。オール沖縄はこの地点に立ち、そして日本共産党が立っている!

以上が、私の直感(妄想?)である。どうして共産主義を掲げる日本共産党がこの地点に立てたのか。日本共産党は未だかつて存在しない「日本」独自の共産主義を掲げて理想社会を頑なに追い求めた結果だろう。普遍性のはずが個別性へと歩き出し、辿り着いた地点であり、だから伝統と文化へ眼差しを向ける

いわゆるリベラル政党と違って、日本共産党がブレないのは、資本主義のイデオロギーとしての自由主義を超えた、本源的価値としての自由主義の地点にたっているからではないのか。だから野党共闘の羅針盤になれるのだ。日本の未来を切り開きたいなら、保守もリベラルも日本共産党に投票すべきだ

 いわゆる「リベラル」は、日本「共産党」という名称から、日本共産党に全体主義のイメージを重ね合わせてみている傾向があるのではないだろうか。だから自称「リベラル」は日本共産党に拒絶反応を起こしてしまうのだろう。
 リベラルを日本語に置き換えれば自由になるのだろうが、政治的な意味でいうリベラルとは自由主義になるのだろう。
 全体主義と自由主義は相容れない概念だから、日本共産党を拒絶するのは当たり前だというのは早計である。「自由主義」も全体主義になり得るのである。
 そんなバカなことはない、と嘲笑されることは覚悟の上である(笑)。
 自由主義とは前回のブログで書いた保守主義と負けず劣らず曲者なのである。一筋縄ではいかない。おそらく自称「リベラル」こそが、この「自由主義」の陥穽に嵌まってしまっているのだろう。分かっているつもりが、自由主義を分かってはいないのではないだろうか。
 
 では政治的な意味での自由主義とは何か、と問えば一言では語れない(笑)。
 自由主義についてのわたしの理解は、藤原保信著『自由主義の再検討』(岩波新書)に負うところが大きい。藤原保信が『自由主義の再検討』のなかで定義している。引用してみよう。

「さしあたってそれは(自由主義…引用者注)、経済的には資本主義を、政治的には議会制民主主義を基本とする社会であるといえる。すなわち、それはまず経済的には、生産手段の私的所有を前提とし、労働生産物は商品という形をとって市場を通じて交換されつつ、利潤の最大化を生産の目的としている社会である。そしてそれはさらに、政治的には、思想、言論、出版、結社、等々の自由を前提としつつ、複数の政党が存在し、選挙を通じて政権が交替される社会である。このような意味での自由主義は、明らかに近代ヨーロッパに生まれ、やがて他の地域にまで拡大しつつある社会であり、それを支える思想であるといえる。そしてそのように考えたとき、さきにあげた今日人類がかかえるさまざまの問題は、自由主義によって解決されるどころか、むしろ自由主義の所産であるように思われるのである。逆にいうならば、自由主義を通じてそれらの問題を解決しうるためには、自由主義そのものが自己修正し、自己克服を遂げていかなければならないのである。自由主義はそのような自己克服を遂げていくことができるだろうか。またその基本的な方向はどのようなものであろうか」

 長くなってしまったが、藤原保信の定義は自由主義を考える上で、優れて示唆的だと思う。
 自由主義の経済的な側面と、政治的な側面を指摘しているが、自由主義を生みだした啓蒙思想には、資本主義のイデオロギーとしての役割が強い。が、歴史とは皮肉である。資本主義のイデオロギーのはずが、資本主義と相矛盾する天賦人権論や、立憲主義などが付随物として生まれるのだ。自由主義にはその核に西欧的自我の解放があるからだろう(西欧的自我と主観と客観については重要な問題を含むが、冗長になるので割愛する)。

 安倍晋三は保守を名乗っているが、自由放任主義(レッセフェール)を魂として受け継ぐ新自由主義の信奉者でもある。当然に資本主義を露ほども疑ったことなどない。安倍晋三は経済的には正真正銘の自由主義者である(笑)。
 では政治的にはどうか。立憲主義を破壊し、憲法を踏みにじり、議会制民主主義をも無視し、果ては国民の基本的人権すら蹴飛ばし、戦前のファシズム国家体制へと雪崩れていこうとしている。
 ファシズム国家とは全体主義である。そして安倍晋三は資本主義の信奉者であり、その意味では自由主義者である。わたしが自由主義が全体主義になり得るといった意味がお分かりいただけただろうか。
 経済的な意味での自由主義と、政治的な意味での自由主義と分離できるものなのだろうか。分離できるはずはない。政治的な意味においても、資本主義社会を前提として暗黙の内に受け入れてしまっているからだ。だからリベラルを自認する蓮舫は、構造改革と規制改革を絶賛するのである。蓮舫だけでなく、民進党も同様であり、いわゆるリベラルが基本的にそういう立ち位置なのである。だから、あっちにいったり、こっちにきたりと、根無し草となって浮遊するのである。それがリベラル(=自由主義)の宿命なのである。何となれば、安倍晋三も自由主義の信奉者でもあるからだ。
 安倍晋三は保守主義の看板を掲げ、経済的には自由主義の熱烈な信奉者でもある。枝野幸男が「リベラルは保守の対立概念ではない」ということは、安倍晋三を観れば頷けよう。だから、枝野幸男が言っていることは正しい。
 が、この地点に立って安穏としているのでは、何の進展もない。考えてみれば、リベラルの経済的な側面と政治的な側面という二面性と、リベラルが宿命として抱える根無し草の浮遊性を、枝野幸男自身が告白したにすぎないのである。枝野幸男はリベラルにして保守だと口にしたが、安倍晋三だってリベラルにして保守なのである(笑)。

 日本共産党はどうか。
 日本共産党はマルクス主義を基本として堅持している。だから資本主義に懐疑的である。
 しかし、暴力革命はもちろんのこと、一党独裁もきれいさっぱりと捨て去っている。議会制民主主義と立憲主義を掲げ、平和憲法護持を高らかに掲げている。平和憲法とは人類が向うべき理想を指し示す羅針盤のようなものだ。だから安倍晋三のような国家主義者は、夢物語だと揶揄するのだろう。
 日本共産党は、何故に「日本」を党名に掲げるのだろうか。
 里山主義という新しい形の保守主義を掲げるわたしにとって、これは重要な問題である。
 共産党はこれまで地球上の何処にもない、日本だからこそ可能な理想社会の追及に果敢に挑んでいるのではないか、とわたしは好意的に捉えているのだ。その理想社会を「共産社会」と呼んでいるにすぎないのではないだろうか。
 わたしは日本共産党は、マルクス理論にごりごりに拘っているとは思っていない。マルクスの資本主義批判の側面を受け継いでいると、勝手に解釈している。こういうと、日本共産党の党員にいるごりごりのマルキストに唾を吐かれるかもしれない(笑)。

 藤原保信の自由主義の定義を思い起こしてほしい。「さきにあげた今日人類がかかえるさまざまの問題は、自由主義によって解決されるどころか、むしろ自由主義の所産であるように思われるのである。逆にいうならば、自由主義を通じてそれらの問題を解決しうるためには、自由主義そのものが自己修正し、自己克服を遂げていかなければならないのである。自由主義はそのような自己克服を遂げていくことができるだろうか。またその基本的な方向はどのようなものであろうか」という箇所である。
 わたしは自由主義に自己克服を遂げる期待をしていない。根無し草の浮遊性を宿命的に抱えているからであり、資本主義社会を前提として受け入れているから「経済成長=幸福」という信仰に毒されきっているからである。
 日本共産党は、資本主義の問題と真摯に対峙し、その克服を追及し続けていると確信している。そのために理想の社会を展望しているのだろう。
 
 共産党はリベラルか、それとも保守か。
 わたしは西欧近代主義を超えた本源的な価値としての「自由主義」をみている。当然に資本主義のイデオロギーとしての自由主義を乗り越えたものだ。だから、経済至上主義と経済成長神話から解放され、人間中心主義と科学万能主義をも乗り越えることになる。
 当然に、自由・平等・基本的人権の尊重・議会制民主主義・立憲主義は堅持され、その上で自然との共生と、共存共栄の棲み分けの思想などによって色濃く彩られることになる。藤原保信のいう自由主義の克服と方向ということになるのだろうか。
 日本共産党が何故にブレないのか。
 リベラルの二面性と根無し草の浮遊性を産み出す地点を通り越して、より高みへと上っているからだ。その高みからは、あるべき新しい政治と、あるべき新しい未来社会が展望できるのである。
 したがって枝野幸男のいう「リベラルは保守の対立概念ではない」など、お呼びでないのである(笑)。
 日本共産党は本源的な価値としての自由主義の地点に立っており、その上で西欧近代主義をも乗り越えて未来を展望しているから、沖縄の心(保守主義の精神)と3・11の心を生きているのである。
 以上を踏まえて、昨日のわたしのツイートをみてほしい。わたしがいいたいことが見えてくるのではないだろうか。
 高橋千鶴子前議員をみてほしい。
 わたしは高橋千鶴子前議員に、懐かしくも優しく、そして温かな、日本の元始としての母である縄文土偶の面影をみている。この高橋千鶴子前議員と全体主義とは真逆である。

 最後に、わたしの恩師である橋川文三を再評価している中島岳志の気になるツイートを目にした。これまでわたしが論じてきたことと関連するものである。
 
約1年前に書いた論壇時評。なぜ保守の西部邁氏と共産党の小池晃氏の意見が合致するのかを論じています。いまなぜ保守と共産党が政策的に接近するのかという問いは、重要な思想問題だと思っています。→東京新聞:論壇時評(TOKYO Web)
 
私はこれまで一度も共産党に投票したことがありません。しかし、私が考えてきた「保守」の論理は、いま共産党の政策(特に内政)と重なります。そのこと意味をいま真剣に考えています。→ 週刊金曜日ニュース

その通り。→枝野氏「保守とリベラルがなんで対立するんですか。保守とリベラルは対立概念ではありません。  

 わたしが日本共産党を熱烈に支持するようになったのは、2014年の総選挙からである。池内さおり前議員と藤野保史前議員の演説に虜になり、それから二人の選挙活動を通して日本共産党を考えるようになったからだ。その考えの核になったのは、どうして里山主義という新しい保守主義を掲げるわたしが日本共産党に、心を鷲づかみにされたか、ということである。その謎を追い求めた次第だ。
 わたしは日本農業の再建は日本共産党しかできないし、日本農民の惨状は日本共産党しか救えないと確信している。
 どうして日本共産党が保守主義の精神をも抱え込めたのか、その答えはわたしなりに掴んだつもりだ。その答えはこれまでに述べてきた。
 が、重要なのは、日本共産党はリベラルでもなく、保守でもないということだ。そして真の意味でのリベラルであり、真の意味での保守だということだ。「リベラルvs
保守」の不毛な対立軸は乗り越えており、リベラルと保守の垣根など、今の日本共産党にはないのである。だから新しい対立軸を指し示すべきなのであり、その権利は日本共産党にあると断言したい。そうでないと、いつまでたっても日本の政治は停滞し、堕落し続けるだろう。

 立憲民主党と社民党と自由党の躍進を祈る!
 安倍晋三と安倍政治は一刻も早く葬り去らなければならない!
 その上で、声を大にして叫ぶ。
 日本の未来を切り開くためには、日本共産党を大飛躍させる以外にないのだ。日本共産党の飛躍がなければ、リベラル陣営は何処にすっ飛んでいくか分からないのである。根無し草の浮遊性を本質としてもっているからだ。
 比例は日本共産党、一択!

※自由主義とリベラルにおける根無し草の浮遊性、そして「経済成長=幸福」という宗教について、以前のブログに書いているので、その一部を紹介したい。鼻も引っかけられなかったブログである(笑)。

リベラルといえどもこの宗教と無縁ではない。いや、雁字搦めになっているのである(笑)。どうしてかというと、幸福になりたいからだ。
 リベラルは賢いはずなのだが、思考回路がおかしいとしか思えない。おかしくしているのは経済成長=幸福という信仰なのだろう。マルクスは宗教はアヘンだといったが、リベラルの信じる宗教もアヘンに違いない。中毒症状を起こしているのだろう、「もう、どうにもとまらないー♪」と山本リンダの唄を口ずさむほどなのである。
 リベラルほどの頭があれば、「幸福とは何ぞや?」と自問自答し、経済成長=幸福という信仰を疑ってみてもいいはずなのだが、アヘンとは恐ろしいもので、そんな兆候は一向にみえない。むしろ悪化しているのだ。
 このアヘンが、リベラルの心を自由貿易に吸い寄せているのだろう。経済成長=幸福というアヘンが、賢いはずのリベラルの思考回路を狂わしている本質的な理由なのだろう。
 重要なのは、このアヘンである宗教を資本も共有していることだ。
 更に重要なのは、このアヘンによって、資本の論理としての自由主義と、賢いはずのリベラルの自由主義の境が曖昧になり、ほとんど境界線がなくなるということなのである。リベラルを自認する蓮舫の自由主義が、限りなく資本の論理の自由主義と変わらないという現象があるが、それは蓮舫のアヘン中毒が重度だからだろう。
 国会中継などをみていて思うのは、GDPの成長が絶対的な善という前提で議論されているのだが、これは明らかに経済成長=幸福というアヘンに蝕まれている証左である。

 賢いはずのリベラルの思考回路を狂わしている本質的な理由を踏まえて、先ほどわたしがリベラルに向けて発した問いに対して、想定されるリベラルの回答を書いたが、思い出してほしい。もう一度書こう。アジアと中東とアフリカを戦場に変えてきた論理は、多国籍企業の論理であって、西欧近代主義の理念と自由主義とは無関係だ」というものだ。
 仮に「西欧近代主義の理念と自由主義とは無関係だ」としよう。しかし、「多国籍企業の論理」には経済成長神話があり、経済成長=幸福という信仰があり、それを共有しているとすれば、「多国籍企業の論理だ」と言ってリベラルが責任を逃れることはできないはずだ。「アジアと中東とアフリカを戦場に変えてきた」多国籍企業(巨大資本)と同じ加害者だといえないだろうか。
 その加害者であることに思いを馳せないで平気の平左でいることが、リベラルの欺瞞性であり限界なのである。
 更に追及すると、西欧近代主義の理念と自由主義」を体現していたはずのリベラルが、アジアと中東とアフリカを戦場に変えてきた」巨大資本の論理に疑問をもつことがなく、それを許してきたのだとすると、西欧近代主義の理念と自由主義」はそうした巨大資本の論理に通じた性格があるのではないか、という疑問が湧き上がってこないだろうか。わたしのいう西欧近代主義の理念と自由主義」の欺瞞性と限界は、ここに尽きる。
 考えてみれば不思議ではない。リベラルは資本主義社会を根底から疑い、根底から否定していないからだ。資本の論理が立っている大地にリベラルも同じように立ち、同じ方向を目指して歩いているのではないだろうか。資本主義社会で生きていくということはそうしたものだろう。
 その資本主義社会が抱えている本質的なものをそのままにして、リベラルの「西欧近代主義の理念と自由主義」では、本質的な意味で、巨大資本の暴走の防波堤にはなり得ないのではないか。巨大資本もリベラルも共にアヘン中毒なのだから、リベラルが体現しているはずの西欧近代主義の理念と自由主義」が心もとないばかりか、西欧近代主義の理念と自由主義」にはアヘン中毒にかかる本質的な性質があるのではないか、とわたしは疑ってしまうのである。

 このほかには下記のブログ。
 

アメリカ大統領選がみせる現代社会の限界と退廃……西欧近代主義と二つの自由主義 №1〜№8


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    転載させてくださいね。

    [ あさり ]

    2017/10/16(月) 午後 7:46

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    > あさりさん
    ありがとうございます。

    [ 北林あずみ ]

    2017/10/16(月) 午後 7:47

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    ツイッターで紹介させていただきました。 削除

    [ ひろけのひ ]

    2017/10/17(火) 午後 7:25

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    > ひろけのひさん
    ありがとうございます。

    [ 北林あずみ ]

    2017/10/17(火) 午後 10:50

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    とても納得します

    [ 只野OJIN ]

    2017/10/18(水) 午前 10:46

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    > 只野OJINさん
    ご納得していただき、光栄です。
    ありがとうございます。

    [ 北林あずみ ]

    2017/10/18(水) 午後 5:59

    返信する

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