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 わたしは作家のつもりなのだが、小説に命を吹き込むのは、理性ではなく感性だと思っている。作家と名乗るのなら、作家的感性なくしてはあり得ないと思っている。
 作家的感性と書くと、綿矢りさの「寂しさが鳴る」などという表現の中に作家的感性を矮小化してみることが一般的だ。いわゆる文芸評論家は、この表現に瑞々しい感性がほとばしっていると絶賛するのだが、この表現のどこに瑞々しい感性がほとばしっているのか、わたしにはさっぱり分からない(笑)。
 そもそもが、「寂しさは鳴る」とは感覚的な表現「技法」であって、作家的感性とは違う。
 川端康成の『雪国』を読めば、こうした表現がいかに陳腐であり、川端康成の上っ面を真似たことに気づくはずだ。感覚的な表現技法だけをみれば、新感覚派の騎手であった横光利一がやりつくしている。綿矢りさの感覚的な表現技法など、横光利一に遠く及ばない。
 川端康成は横光利一と新感覚派を旗揚げしたのだが、新感覚派は文壇の主流であった私小説に対して、表現技法から挑戦したのであり、私小説における平面描写(主情を排除して、事実のみを客観的に描写)に感覚的な表現描写で対抗したといえる。しかし、新感覚派と私小説とは裏表の関係でしかない。描いている世界は同じであり、単なる表現技法でしかないからだ。新感覚派という旗を掲げてはいるが、どうして感覚なのか、という本質的な問いがないのである。
 同じ新感覚派でも川端康成と横光利一では、感覚の持つ意味が違う。が、川端も横光も明確に意識していない。何故ならば、どうして感覚なのかという問いを突き詰めることがなかったからだ。わたしからみると、川端における感覚と、横光のいう感覚では天と地ほどの差がある。
 この差など綿矢りさに気づけるはずはない。綿矢りさは「寂しさは鳴る」という単なる表現技法で満足しているからだ。致命傷なのはその川端紛いの表現が斬新だと思っており、いわゆる文芸評論家もそう思っていることだ。だから、日本文学の衰退には必然性があったのだ。
 どういう差があったのか、それをここで論じるつもりはない。それでは表題と大きく逸脱してしまう。それにこの差については、これまでに何度かブログで書いてもいる。
 わたしがどうして政治的感性の重要性を論じるに先立って、文学的感性を述べたのかというと、政治的感性にも単なる技法的なものと、本質的なものとがあると思っているからだ。
 感性などというと、理性信仰にどっぷりと浸りきっている理性至上主義者からみると唾をひっかけられる恐れがあるが、この記事を読みながら思い切り唾を飛ばしても結構だ。わたしは痛くもかゆくもない。唾で汚れるのは目の前のパソコンの画面だろう(笑)。
 安倍晋三を反理性と反知性の権化のようにいう人たちがいるが、大きな間違いである。
 安倍晋三は反理性主義でも、反知性主義でもない。結果としての安倍晋三という男が、貧弱な理性と知性だというに過ぎない。本も読まずに、異常な自己愛の塊であり、わがまま放題に育てられた挙げ句に、嘘をついても周りが取り繕ってくれて、嘘をついた報いから常に回避できてきたのだから、嘘をついた結果責任を恐れることもなく、嘘をつくても母親と周りから叱られもしないのだから倫理的な心が生まれるはずもない。そればかりか、政治的マキャベリストの岸信介を祖父にもつのだから、安倍晋三にとっては生きる上において嘘が積極的な意味をもつものになったのだろう。母親の安倍洋子を、わたしはファザコンだったとみている。そうなれば、安倍晋三は母親を介して岸信介の心を受け継ぐはずである。東京帝大を主席で卒業した岸信介の脳みそではなくおぞましい心である。
 安倍晋三は積極的に理性を否定していないし、積極的に知性を否定していない。その証拠が、にわか仕入れの言葉を、その意味を知らずにこれ見よがしに、平気で使ってしまうことだ。そして、頻繁につかうことになる。使わなくていいときまで、強引につかいたくなるのだ。安倍晋三がよく口にする「真摯」はその好例だろう。  
 高校時代のわたしも同じような経験がある。原口統三の『二十歳のエチュード』を読んで難しそうな言葉を覚えたりしたものだ。とかく高校時代の頃は、あこがれといわずに憧憬といいたくなり、めぐり逢うといわずに邂逅などといいたくなるものだ。
 逆に年をとってくると、憧憬などという言葉よりもあこがれという言葉に傾斜するものなのだが、読書経験が破滅的な安倍晋三は、64才になって覚えた難しそうな言葉を使いたくなっているのだろう。
 が、だからといって安倍晋三は反理性主義でもなく、反知性主義でもない。理性と知性がお粗末なだけに過ぎない(笑)。
 安倍晋三が歴史を曲解しているのは、母親を介しての祖父である岸信介を絶対化するからであろうし、異常な自己愛が自分にとって都合がいいように歴史をねじ曲げて解釈しているからだろう。都合がいい歴史解釈書の断片を拾い集めて、安倍晋三の歴史は出来上がっているのだ。安倍晋三の異常な自己愛は、自分に不利になる歴史的事実を受け付けないのである。
 
 理性至上主義の最大の欠点は、理性は人を真理へと導くものであり、真理こそが善だと頑なに思い込んでいることだろう。だから、安倍晋三を反理性主義であり、反知性主義といって安穏としていられるのだ。
 わたしからみると、安倍晋三を神輿に担ぐ勢力は優れて理性的にみえる。
 安倍政権をいかに維持するか。そして最終的な目的を達成するか。そのために理性を総動員しているのである。
 安倍晋三の理性と知性は劣悪だが、取り巻きの理性と知性を侮ってはならない。理性と知性は真理へと向かい、人を善へと導くなどということがいかに愚かな妄想でしかないか、安倍晋三とその取り巻きたちが現在進行形で教えてくれているではないか。それに安倍晋三よろしく「真摯」に歴史をみれば、人の理性のおぞましさをナチスがこれでもかというようにみせてくれている。
 安倍晋三とその取り巻きたちは何処へ向かおうとしているのか。
 最終的な目的とは戦前のファシズム国家への回帰だろう。そのためには安倍独裁政権の樹立を急がなければならない。それには憲法改悪によるナチスの全権委任法に当たる緊急事態条項の成立が不可欠だ。
 わたしは超国家主義への回帰と新自由主義の蔓延は、資本主義の終焉を語ってくれていると思っている。安倍晋三の中では、超国家主義と新自由主義という言葉の厳密な意味では矛盾し、対立すべきものが、ごちゃ混ぜになっているが、何ら怪しむべきことではない。資本主義の本質とはそうしたものだからだが、だから終焉を迎えて隠しようがなく顕在化しているのだろう。が、この件についてはここでは深入りしないで先を急ぐ。

 日本がおかれた政治状況は悲惨であり、未来は見えない。
 自民党と公明党と、安倍晋三と裏で繋がっている日本維新の党とが絶対多数を占めて、盤石な一強体制を築いている。そして、内閣人事局の誕生によって官僚の人事権を掌握し、官僚をいいように操っている。掌握したのは官僚だけではない。司法も同様であり、あろうことかマスメディアまでもが安倍晋三の軍門に降っている。こうなるとやりたい放題だ。憂うべき事態である。
 こうしたやりかたは理性と知性をフル回転させて、周到な戦略を練っているから可能となったのだろう。これは厳粛な事実である。軽視すべきではない。市民と野党が倒すべき敵は、優れて理性的であり、優れて知性的な集団なのだ。そして恐ろしいことに、選挙間際になれば計画的にデマまで拡散させる。手段を選ばないのである。
 こうなると、安倍一強体制は盤石にみえる。
 が、作家的感性でみると、安倍一強体制は「だからこそ」綱渡りの状況に置かれていると思える。
 わたしの作家的感性は、安倍一強体制の最大の弱点は、反理性的で反知性的にあるのではないと教えてくれている。安倍一強体制の最大の弱点は、そのあまりにも理性と知性に頼って構築された脆弱性にあると教えてくれているのだ。
 そんな訳があるか、とわたしを嘲笑していることだろう。
 理性と知性で構築されたものほど脆いものはない。人の心を相手にする政治であれば尚更である。
 安倍一強体制は、捏造された虚構の世界に国民の心を封じ込めることで成り立っている。捏造するには理性と知性が必要だ。どうすれば捏造された虚構の世界に国民の心を封じ込めておけるか、理性と知性とを総動員しているのだ。その結果が、統計データの捏造であり、日銀と年金機構による株価操作であり、マスコミを使った世論誘導と情報操作なのである。
 麻生太郎は「ナチスに倣え」と言ったが、正しくマスコミを使った世論誘導と情報操作による洗脳はナチスの手法である。NHKのニュースをみていると、巧妙に練られた世論誘導と情報操作による洗脳の仕方が浮き彫りになってくる。
 こういうと当然に、桜田大臣の理性と知性とは真逆の所業を上げて批判することだろう。
 理性と知性が破壊された議員が大臣になり、安倍晋三と同じく異常な自己愛しかなく、金亡者で倫理感覚が欠如した議員たちが安部一強体制を支えているのだから、当然に綻びがでないはずはないのだ。そのたびに、安倍晋三を神輿に担ぐ勢力と取り巻きが、理性と知性とを総動員し、マスコミと検察と公安をけしかけて国民の目をそらすのに懸命なのである。森友学園問題で安倍昭恵のやらかした不始末は、財務省の公文書改竄にまでおよび、自殺者まで出している。
 普通の頭があれば、日銀と年金マネー(GPIF)による株の買い支え(株価操作)は狂気の沙汰だと思える。が、アベノミクスの成果を捏造するには株価操作は不可欠だ。正しく綱渡りであり、このシナリオを書いているものにとっては毎日が戦戦恐恐としていることだろう。だから、安倍晋三の取り巻きたちは、破滅が起きる前に一刻も早く安倍晋三の独裁国家を樹立したいに違いない。そうでないと自分たちの破滅だからだ。いくら脳タリンの安倍晋三でも自分に残された道は、「独裁者か、それとも国家的大罪人か」しかなく、その瀬戸際にいることは本能的に分かっているだろう。だから必死であり、やれることは何でもやろうとしているのだろう。敵に手段など選んでいる余裕はないのである。
 忘れてならないのは、理性と知性によって戦略的に安倍一強体制が維持されているということである。
 では、この安倍一強体制を倒すにはどうするか。
 理性と知性では不可能である。安倍一強体制の弱点は理性と知性によって構築されている脆弱性にあるといったが、理性と知性でその脆弱性に立ち向かおうとしても無理だろう。理性と知性で立ち向かっても、相手の手のひらの上であそばされるだけだ。考えてもみてほしい。相手はマスメディアと検察と公安を掌握しているのだ。
 どうしたらいいか。
 任期を残して議員辞職をし、大阪12区から無所属で立候補した宮本たけし(敬称略)が教えてくれているではないか。
 以下、宮本たけしが無所属で立候補した意味と展望を述べたい。

 かつてわたしは、宮本たけしの国会質疑の戦略性と巧みさについてブログに書いて絶賛したことがある。
 宮本たけしの国会質疑は優れて理性的であり、優れて知性的である。が、宮本たけしの凄いところは理性と知性にあぐらをかいていないところであり、理性と知性を超えた政治家としての芯があるところだ。言い換えれば、政治家としての感性が一級品だということだ。政治的嗅覚といってもいい。
 宮本たけしは、なるべくして政治家になったのだろう。政治家としての感性は鍛えようとしても無理がある。もって生まれた資質だからだ。理性と知性は鍛えればどうにかなる。
 宮本たけしは、どうして任期を残して無所属から立候補するという無謀ともいえる行動に出たのだろうか。
 政治家としての類い希な感性が働いたからだろう。
 ここが安倍一強体制を崩す急所だと、宮本たけしの本物の政治家としての感性が察知したのである。だから躊躇なく、無謀ともいえる行動に打って出たのだ。
 理性と知性で安倍一強体制を支える取り巻き連中は驚いたことだろう。何故ならば、理性と知性では想像だにできなかったからだ。驚きを通り越して衝撃が走ったに違いない。衝撃はそれだけではない。共産党からではなく、敢えて無所属で立候補したのだ。当選しても無所属のままでいくと明言までしている。
 小沢一郎も政治家としての嗅覚は鋭いものがある。それは認める。そうでないと自民党を倒して政権を奪取する離れ業など不可能だ。
 が、小沢一郎の政治的嗅覚はもう通用はしないだろう。何故ならば、永田町の論理による政党と議員とが主体となったコップの中の嵐を起こす政治的嗅覚だからだ。そのコップの中での嵐の限界と終焉は、民主党の分裂が雄弁に語ってくれている。
 そして最大の問題は、コップの中の嵐では最早、安倍一強体制は倒せないという事実だ。自覚する市民が立ち上がり、地方の農民や漁民や林業従事者が自覚的に立ち上がらなくては不可能なのである。コップの中の嵐なら、安倍一強体制はどうとでも太刀打ちできるからだ。永田町の論理だから想定内なのである。
 しかし、自覚して立ち上がった市民と、地方の農民や漁民や林業従事者がどういう行動をとるかなど想定はできはしない。理性と知性を超えたものでもあるからだ。1+!=2ではないのである。
 しかし、小沢一郎の政治家としての嗅覚はさすがである。真っ先に宮本たけしを推薦したのには頭が下がる。
 不甲斐ないのは、立憲民主党の党首である枝野幸男だ。
 ぼろくそに批判するつもりはない。立憲民主党がいなければ、日本の未来は切り開けない。不甲斐ないというのは、枝野幸男が立憲民主党を立ち上げたときの心意気を忘れてしまったのではないかと思うからだ。
 枝野幸男に望むのは、虚心になって、あのときの心境に立ち戻ってもらいたい。
 勝算など度外視していたのではなかったのか。それこそ清水の舞台から飛び降りるような気持ちで、新党を立ち上げたはずだ。永田町の論理としがらみを蹴飛ばして、旗揚げした新党の元に駆けつけてくれるまだ見ぬ市民を信じられたのではないのか。
 そこに打算などなかったはずだ。そして、その心意気は理性と知性を超えていたはずだ。清水の舞台から飛び降りずに、政治家としての自分はないと決意したのではなかったのか。
 そのときの心境に立ち返ったなら、大阪12区から無所属で立候補した、宮本たけしの心意気が分からないはずはない。
 あのときの枝野幸男コールは、清水の舞台から飛び降りてみせてくれた、政治家としての枝野幸男の誠をたたえた市民の声だ。理性と知性だけでは市民の心は燃えないし、つかみ取れない。
 安倍一強体制を崩すには、理性と知性を超えた市民の熱い心のうねりこそが重要なのだ。そのうねりは安倍一強体制の理性と知性の許容を超えたものであり、マスコミを使った情報操作と洗脳を軽々と破壊するものだからだ。枝野幸男自身が体験したはずではなかったのか。
 目の前に迫っている参議院選を見据えて、いかにしたら立憲民主党が大阪選挙区で議席を伸ばせるかなどといった皮算用に、どうしても党首であるから頭を支配されるのだろうが、宮本たけしの政治家としての類い希な感性は、ここをおいて安倍晋三を葬り去る端緒をつかめないと察知したのだ。
 一刻も早く安倍晋三を葬り去らなくては日本に未来はない。心ある日本人なら誰でもそう思っているはずだ。
 夏の参議院選の皮算用などしている時ではない。
 宮本たけしは口にしている。活路を開くには、民衆を巻き込んだ熱狂が必要なのだ。その中心には自覚する市民がいなくてはならないことは当然だが、安倍一強体制と大阪維新の会によるマスコミを使った世論誘導と情報操作と洗脳から、無自覚な民衆を解き放つには熱狂が必要なのだ。
 幕末にええじゃないか踊りがあったが、志位和夫と小沢一郎と又市征治、そして枝野幸男と玉木雄一郎が先頭に立って、「安倍政治を倒すのええじゃないか」といって沿道を踊りながら歩くくらいのパトスがあれば、きっと民衆が熱狂的に支持するだろう。
 今週一週間が勝負だ。
 大阪12区で打倒、安倍政治祭りをするくらいの心意気を見せてくれ。その心意気が、きっと日本を救ってくれる。そして、野党の活路が開け、安倍一強体制を支える理性と知性が雪崩を打って崩れ去ることだろう。
 そうなれば官僚からもマスコミからも造反者が大量にでてくる。安倍晋三を刑務所が熱烈歓迎してくれることだろう。
 常識を捨てよ!
 計算するな!
 ドイツ・ロマン派を生んだ「シュトゥルム・ウント・ドラング」を真似よ、とは言わない(笑)。ドイツ・ロマン派はナチスの精神的な温床でもあったことは自覚している。
 が、敵は「ナチスに倣って」理性と知性で国民世論を誘導し、マスコミを使って情報操作と洗脳を行っているのだから、そのおぞましい理性と知性を疾風怒濤のパトスで粉砕してやろうではないか。
 宮本たけしが吹かせた風を無駄にするな!
 宮本たけしの吹かせた風を、嵐にかえろ!
 宮本たけしを国会へ!
 そのときが、安倍晋三の終わりの始まりだ!


※申し訳ありません。書き殴りで推敲しておりません。

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  第一章 神隠し
 
     6

「どうして黙ったままでいるの」と文子が訊いた。
 十九年もの間、この繭玉のなかで文子を待ち続けていたのだとしたら、十九年の間降り積もらせた文子への恨み言が堰を切って押し寄せるはずだった。文子は男の子との約束を破ったのだからそれが自然だ。
 が、十九年ぶりに再会した男の子は、文子をみるなり、あっと声を上げたきりで、うつむいたまま顔を上げようとはしなかった。
 文子が、「あなたとの約束を忘れてしまったわたしを、怒っているんでしょ」と訊くと、男の子は黙ったままで頷いた。「わたしのこと、嫌いになったのね」と訊くと、首を左右に振った。
「よかった」と声を弾ませた文子が、「だったら、お願いだから顔を上げて」と言うと、「文子はずるい」と声がした。聞き取れないほどの小さな声だった。
「わたしがずるい」と訊くと、頷いた男の子が「ずるいよ」と言った。さっきよりもはっきりとした声だった。
「どうして、わたしがずるいの」
「だって……」
 男の子の声が途切れた。
「だって、何なの」
「だって、文子だけ大人になっているじゃないか」
 この繭玉の世界は、十九年前の感覚が作り上げた世界なのだろうか。文子だけの感覚が作り上げた世界ではない。十九年前の八才だった文子の感覚と、九才だった男の子の感覚と、満開の山桜の花が作り上げたものなのだろう。そして、そのときの繭玉の姿で、山桜の花が盛りになる季節にまたよみがえるのだろう。だから、繭玉の世界には十九年前の男の子の感覚と、山桜の花の匂いがそのまま息づいているのだろうか。その繭玉の世界に、十九年後に二十七才の女になった文子が戻ってきたのだろう。八才だった少女の文子しか知らない男の子が、二十七才の文子に戸惑うのは無理もない。が、男の子は二十七才になって目の前に座っている女が文子であると疑っていない。
「二十七才の女になったわたしを、どうしてあなたは十九年前にめぐり逢った香坂文子だと分かるの」
「文子でなかったら、山桜の花にかくれてみえないまゆ玉に気づけないし、ここに登ってこれないよ」
「でも、わたしがこの山桜の花の下にくる前に、あなたはわたしを呼んだじゃない。十九年前の香坂文子だと分かったから呼んだんでしょ」
「うん」と言って頷いた男の子に、「どうして分かったの」と訊いた。
 文子の向かいで膝を抱きかかえるようにして座っている男の子が、また押し黙ってしまった。顔は膝の上に伏せたままだった。
「ねえ、どうして分かったのって訊いているの」と問い詰めると、男の子の顔が膝の間に隠れてしまった。狭い繭玉の世界だ。向き合って座っている男の子との距離は一メートルにも満たない。這うようにして文子が男の子に近づくと、繭玉の床に顔をつけるようにして下からのぞき込んで、「ねえ、どうして分かったの」と訊いた。
 驚いたのだろう。反射的に男の子の身体が後ろに飛びはね、繭玉の壁に当たった。繭玉が大きく左右に揺れだした。「きゃあー」と声を張り上げた文子が、男の子に抱きついた。
「だいじょうぶだよ、文子」
「こんなに揺れているのよ。落ちてしまわないの」
「宙に浮いているから落ちないよ」
「ほんとに大丈夫なの」と言って男の子をみようとすると、文子の頬と男の子の頬とがぴったりと触れ合っていた。懐かしい肌の温もりだった。十九年の時を超えた感触だった。揺れに驚いた文子が、とっさに男の子に抱きついたのを思い出した。このまま十九年の時を隔てた温もりを感じていたかった。が、温もりの誘惑にあらがうようにして、「慌てないで」と声を出さずに自分の心に言い聞かせた文子が、なにげなさそうな仕草で身体を離した。
 まだ繭玉が揺れている。揺れているのが繭玉なのか、文子の女心なのか分からなかった。繭玉が揺れたからだろうか、山桜の花の匂いまでが揺れていた。妖しげなうねりだった。山桜の花の匂いに、文子のときめく女の匂いが絡まりついて、うねっているように思えてならなかった。
 文子の唇から、思わずくすっと笑い声が漏れた。
 二十七才の女が、九才の男の子にいいように心をもてあそばれているようでおかしかった。男の子が文子の心をもてあそんでいるのではない。文子の心が勝手に飛び跳ねているのだった。文子は女だ。二人の男に抱かれている。そんな女の心が、目の前の九才の男の子に制御不能にされようとしているのが、不思議でもあり、うれしくもあった。そして、新鮮だった。
 男の子が文子をみていた。
 真正面から男の子の顔をみるのは初めてだった。顔がうすくれないに染まっていた。文子に抱きつかれたからだろうか。
 顔の紅潮と裏腹に、表情は明らかに怒っていた。いや、怒っているというよりもふてくされていた。
「怒っているの」と訊いた。
「うん」と言って頬を膨らませた。
「どうして怒っているの」
「文子が、笑ったから」
「何だ、そんなことか」
 黙ったままで男の子が、文子をにらみつけた。
「ごめんなさい」と言った文子が、目で頭を下げた。
「あなたを笑ったのじゃないの。わたしを笑ったの」
 九才の男の子に文子の女心など分かるはずはなかった。首をかしげて納得いかないという顔をしていた。勝手に独り相撲をして自分の心を鏡に映し、その鏡の中の自分の心を男の子に見立てて、甘噛みするかのように心をもてあそばれていた文子だったが、男の子にしたら、文子に心をもてあそばれていると感じたのだろう。文子が二十七才の女なのだから無理もない。
「嘘じゃない。笑ったのはね、わたし自身。ねえ、わたしを信じて」と言ってから、文子は約束を破ったのを思い出して、「ゆびきりをしたのを忘れたわたしのことなんか、信じてと言ったって、信じられないよね」と訊いた。
「文子を信じていなかったら、ここで十九年も待ってないよ」
「ありがとう」
 はにかんでいるのだろうか、男の子の顔を染め上げていたうすくれないが色を強めた。うつむいた男の子が顔を上げると、「どうして文子は、文子自身を笑ったりしたの」と訊いた。
 話そうとして文子が大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。正直に話しても九才の男の子に、揺れ動く大人の女心が分かるとは思えなかった。
「わたしはね、これから大人になったあなたを探す旅に出ることにしたの。だからあなたの手がかりを求めてここに戻ってきたのよ。絶対に大人になったあなたと再会する。大人になったあなたと再会したら、どうしてわたしが笑ったか、教えてあげる」
 唇をかんだ男の子が頷いてくれた。
「そうだった、忘れていた」と声を上げた文子が、「どうしてあなたは、わたしだと分かったの」とさっきの質問をした。
「文子の匂いがしたから」
「わたしの匂いが、あなたには分かるの」
「分かる」
 どんな匂いがするの、と開きかけた唇を文子が閉じた。大人になった男の子の腕のなかで、大人の男の子の口で教えてもらいたくなったからだった。それに今それを聞いたら、また文子の女心が揺れ動き出すような予感がしたからだ。
 ここに戻ってきた目的は、十九年前の感覚を花開かせることで、忘れ去った記憶を呼び戻すことだった。記憶を呼び戻さなくては大人になった男の子を探す手がかりはつかめないと思ったからだ。呼び戻した記憶は大人になった男の子を探す手がかりになるだけではなかった。二年前に夜桜をみたあの夜のめくるめく性の世界にどんな意味があり、どうして二〇一一年三月十一日があの夜のめくるめく性の世界へと文子を導いたのか、そして何よりも、文子の生にとって二〇一一年三月十一日とはどんな意味をもっているのか、それを知る手がかりでもあった。
 繭玉の世界はいつ消えてしまうかもしれなかった。文子は先を急ぐことにした。そういえば、男の子の名前を思い出せないでいることに、今更ながらに気づいた。
「ごめんね」と言って頭を下げてから、「わたし、どうしてもあなたの名前を思い出せないの」と文子が言った。
「思い出せるはずないよ」
「どうして」
「だって、俺の名前を文子に教えてないもの」
 さっと閃光が走った。
 男の子が名前を教えなかった理由が、閃光となってよみがえった。
 記憶がよみがえった閃光だと思った文子だったが稲光だった。
 遠くで雷が鳴っている。そういえば十九年前にも同じように雷鳴を聞いたことを思い出した。この山桜の下にたどり着くまでに、文子は春雷に遭ったのだった。



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  第一章 神隠し
 
     5

 曼荼羅の森へと分け入っていくごとに、山桜の花の匂いが濃くなった。
 逢生山(あおいやま)は山桜の名所だ。登山道と山腹には山桜が自生している。どの山桜も満開だった。が、文子を招き寄せている匂いは、そうした山桜の花のものではなかった。十九年前の感覚と結びついた匂いだった。
 曼荼羅の森の奥から漂ってきて文子を誘っている山桜の花の匂いは、まるで川の流れのようだった。その川を裸の魚になって、ゆらゆらと泳いでいるかのような奇妙な感覚のなかを、文子は歩いていた。鮭は川の匂いで生まれ故郷の川が分かるという。文子のなかに息づく十九年前の感覚が匂いを嗅ぎ分けているのかもしれなかった。
 夜桜をみにいった文子が、めくるめく性の世界を生きてから二年が経つ。
 そして、投網となった山桜の花の匂いに抱かれた文子のまぶたの裏に、映像となって十九年前の出来事が浮かび上がってから一年が経った。
 どちらも匂いが深く関わっていた。いや、関わっていたのではなく、匂いによって導かれためくるめく性の世界であり、匂いが過去の映像を連れてきたのだと文子は思った。
 だからだろうか、文子は匂いに敏感になっていた。文子は嗅覚だけで匂いを感じ取っているのではないことに気づいていた。神秘的な体験を生きてからは、文子にとっての匂いは感覚のすべてを花開かせることで触れるものになっていた。触れているのは匂いであって、ものの本質のようなものなのかもしれないと思うようになっていた。もしかしたら鮭が感じ取っている川の匂いもそうしたものなのだろうか。
 魚となって匂いの川を泳いでいく、文子の感覚の鱗をなめていく水は生温かった。生温い水の感触は、二年前の夜のめくるめく性の世界と、一年前の投網となって頭上から降ってきた山桜の匂いに抱かれたときに息づいていた感覚に通じていた。そして、十九年前の少女だった文子の感覚とつながっていた。
 生温い水となった十九年前の匂いのなかを泳いでいるからだろうか、無意識の闇に埋もれて萎れたまま眠っていた十九年前の感覚が、水中花となって花開いていくのが分かった。
「この匂いの川をどこまでも遡っていったら、わたしはまた、十九年前にめぐり逢った男(ひと)と再会できるの?」と、匂いに訊いてみた。
 文子の口から出た言葉が泡となってゆらゆらと立ち上っていった。匂いは答えてはくれなかった。
 十九年前の男に再会できるはずはない。が、十九年前と同じ満開の山桜の下に立てば、意識的に消し去ってしまった記憶の何もかもが、無意識の闇の中からよみがえってくると信じられた。匂いの川を遡っていくごとに、十九年前の感覚が徐々によみがえってきているのだから、記憶がよみがえらないはずはなかった。
「そうよ、二年前のあの夜、わたしはめくるめく性の世界を生きた女なのだから……」と、文子がまた声を泡にした。
 十九年前の感覚は、あの夜のめくるめく性の世界と同じように、文子だけのものではないと気づいたからだ。八才の文子の感覚であって、男の子の感覚でもあった。そして、そこに山桜の花と匂いが深く介在していたのだった。山桜の花と匂いとの関わりを、山桜の花と匂いの感覚と置き換えるのに文子は何の抵抗もためらいもなかった。二年前のあの不可思議なめくるめく夜を生きたからだ。文子の感覚と夜桜の感覚と宵闇の感覚とが作り出した世界だった。その世界だから、文子と夜桜と宵闇とが絡みつき合って、濡れ合い、交わえたのだ。
 十九年前の感覚がよみがえれば、十九年前と同じ世界を感覚として再び生きられないものか、と文子は思った。
 水の匂いが濃くなった。匂いの源流に近づいたのだろう。
 真っ赤な薮椿の花が目に飛び込んできた。十九年前の薮椿の花の記憶が閃光となってよみがえってきた。手折ってきた薮椿の花を男の子が、文子の髪に挿してくれたのを思い出せた。
 文子が薮椿の花の元へと吸い寄せられていった。
 手折ると、匂いを嗅いだ。
 山桜の花の匂いよりも強い。薮椿の花の匂いが、十九年前の男の子の手の感触と息づかいを連れてきた。あのとき、はにかみながら文子の髪に薮椿の花を挿してくれた男の子の息が、文子の顔にかかったのだった。薮椿の花の匂いよりも甘く、しっとりと濡れていたのを、文子の感覚が覚えていた。
 また歩き出してすぐに、文子がうすむらさきのスミレをみつけた。
 文子が左手の薬指に目をやった。
 そして、「約束……」とつぶやいた。
 ゆびきりをした感触があざやかによみがえってきた。男の子が忘れないようにと言って、文子の左手の薬指にうすむらさきのスミレの花を結わえてくれたのを思い出せた。
「ふみこー」と声がした。
 よみがえった十九年前の感覚が連れてきた声なのだろうか。
 声に急かされるようにして文子が走り出した。
 満開の山桜が十九年前と同じ姿で立っていた。そして、同じ匂いの雨を降らしていた。
 山桜の下に立った文子に向かって、「ずっと待っていたんだぞ、俺」と頭上から声がした。匂いの雨のしずくだった。
 見上げると、山桜の花と見紛う繭玉が宙に浮かんでいた。
 見覚えがあった。八才の文子がこの満開の山桜の下にたどり着くと同時に、山桜の花が吐き出した匂いが糸となって文子の頭上から降ってきたのだった。さながら、蚕が蛹になるときに吐き出した糸で作る繭玉のようだった。瞬く間に八才の文子は、繭玉の中に閉じ込められてしまったのだった。そして、文子を閉じ込めた繭玉は宙に浮かび上がり、やがて山桜の花と同化してしまったのだった。
「遅かったじゃないか」と、文子をなじる声が繭玉から匂いの雨となって降ってきた。見上げている文子の真っ赤な唇を、匂いのしずくが濡らした。
「ずっと待っていてくれたの」と、文子が訊いた。
「うん」
「十九年もの間、待っていてくれたの」
「だって、文子と約束したから」
「約束を信じて、待っていてくれたのね」
「早く、ここにこいよ」
 文子が「どうすればいいの」と言うと同時だった。匂いの雨のしずくが絹の糸に姿を変えた。無数の糸が文子の身体に巻きついたかと思うと、文子の身体が宙に浮いた。そして、山桜の花と同化した繭玉へといざなっていった。


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高峰山遠景

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高峰山へと伸びる道

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冬枯れたままの山桜

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岩瀬駅から加波山へと続く稜線とかすむ筑波山

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スミレ

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登山道

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棚田と農家(西日本と違い石を積み上げた棚田ではなく土だ)

 4月6日(土曜日)に、小説『三月十一日の心』の舞台である逢生山のモデルの高峰山に妻と登ってきた。
 二週続けての登山になる。どうして二週続けて高峰山に登ったのかというと、満開の山桜との出逢いを果たしたかったからだ。が、麓の山桜は開花していたが、写真の通り、山頂へと伸びる尾根伝いの登山道の風景は冬枯れたままだった。ブナも芽吹いていないし、山桜も咲いてはいなかった。
 高峰山は茨城県の桜川市にある山だが、栃木県の茂木町と益子町と接している。標高は519.6mと高くはない。それでも麓とは温度差が5度ほどになる。このところの寒さも影響しているのだろうか、山桜の開花が遅れているようだ。
 わたしも妻もこの高峰山を愛している。ブナに覆われているので明るいというだけでなく、麓から眺める山の趣に魅了されているからだ。正しく里山の風景である。
 今回は高峰山だけに登り、里山の風景を堪能することを目的にしていたのだが、桜の花に誘われるままに、高峰山のほど近くにある小高い山の麓に点在する集落を縫うようにして走る道路を車でたどっていると、思いがけない風景と出くわした。何と棚田である。
 棚田の頂上付近に、満開の桜がみえる。幹の太さは二十センチほどだろうか。大きくはないが冬枯れた棚田の風景のなかにあって浮き立っている。山桜ではなく、ソメイヨシノだ。
 車を道路脇の空き地に止めたわたしと妻は、棚田の風景を愛でながら満開の桜の下でお弁当を食べることに決めた。
 いつも利用しているルートだと、高峰山の山頂へはノンストップで一時間十分ほどで登れてしまう。眺望がきかない頂上を素通りして、下って登れば眺望が開けた場所に出る。ここで休憩をしながら、何度か縦走(往復)している岩瀬駅から雨引山、燕山、加波山と連なる稜線を眺めるのである。筑波山の姿は雨引山と燕山の稜線の間から見えるが、結構かすんでみえる。五月の連休に岩瀬駅から筑波山神社まで妻と縦走することに決めているが、夕暮れまでにたどり着けるか不安になってきた(笑)。
 高峰山だけなら、休憩を入れても二時間もかからずに登って降りてこられる。そうなると妻が作ったおにぎりは、高峰山を望む里山で食べることになる。わたしにとっては珠玉のひとときだ。
 そして「今年中には何としても、小説『三月十一日の心』を書き上げる」と、高峰山に誓うのである。
 そういうわけで、今週も満開の山桜を求めて高峰山に登るつもりだ。
 どうしても登山道を彩る山桜の花を愛でたいからだ。
 頂上付近の登山道で、三種類のスミレの花をみつけた。写真のスミレはそのなかの一つ。小説に登場してくる薮椿の花が頂上のベンチの裏に咲いていた。吸い寄せられるような艶めかしい赤だった。

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  第一章 神隠し
 
     

 身体(からだ)をくねらせて、道がブナの森深くへと分け入っていく。
 芽吹き始めたブナの森は、淡い水彩画の世界だった。足を踏み出すごとに、ゆらゆらと陽炎となって森が揺れ出した。
 やがて、ものの輪郭が崩れていって、形があやふやになった。形あるものにつけられた名称と、そのもののもつ意味とが剥がれ落ちていった。そして色となって、恥じらいもなく裸体を開いて虚空に絡まりついた。
 虚空が白い和紙となった。
 和紙の上をくねくねと身をよじりながら這い出した色の割れ目へと舌をくぐらせ、色の花びらをこじ開けて、あふれ出した色の蜜を舐め回し、色がもらした溜息の匂いを、和紙が咥えて甘く噛んだ瞬間だった。爆ぜた色が和紙へとにじみ出して、ぐっしょりと濡らしていった。
 色に濡れた和紙を透かしてゆらめく日の光がみえる。
 重なり合い、絡み合う、色たちの妖しげな息づかいを浮き上がらせていた。
 和紙を濡らして重なり合う色と色とに境はなかった。裸の肌と肌とをこすりつけ合っては蕩け、裸の身体と身体に腕と脚とを絡み合わせて交わる、めくるめく曼荼羅の森の世界だった。
 形と意味との頸(くび)木(き)から解き放たれたから、自由であり、奔放であり、それだけに艶(なま)めかしく、淫らでさえあるのに、だからなのだろうか、清らかにみえた。不可思議な曼荼羅の森の世界だった。
 文子の身体が揺れ出した。身体ではなかった。心が陽炎となって揺れていたのだった。
 引き寄せられていく心に抗うようにして、文子が立ち止まると同時だった。
 ぐっしょりと濡れた和紙にしずくが垂れた。うすべに色のしずくだった。しずくが爆ぜた瞬間に、うすべに色の匂いを吐き出した。紛れもなくその匂いは山桜の花のものだった。一年前に安曇野の里山を歩いていた文子を投網となって抱きかかえた匂いと同じだった。そして、十九年前の記憶に通じる匂いだった。匂いが糸となって、文子の心に絡みつくのを感じた。
 糸が小刻みに震え出した。
 匂いも震えている。
 震えに共鳴するようにして、文子の心が山桜の花と同じうすべに色に染め上げていくのが分かった。すると、「何をためらっているの」と声がした。文子を曼荼羅の森へと誘っていた。声を発したのは、うすべに色の匂いの糸となって文子の心に絡まりついた山桜の花なのだろうか。それとも、うすべに色の匂いにほだされて思わず漏れてしまった、文子の心の深層の声なのだろうか。文子には分からなかった。
 声に誘われるままに歩き出そうとして、文子は頭を左右に振った。
 物が物としてあるために持っているはずの形と意味とを失った世界へと入っていくことが、文子は怖くなった。その世界は文子が生きてある世界ではなかった。一度入り込んだら二度と戻れない世界のような気がしてならなかった。
 また糸が震え出した。
「目の前の世界を、あなたはあの世と思っているのだろうけれど、目の前に広がっている世界はあの世とは違う世界よ」と声が聞こえてきた。
 声の主(ぬし)には、文子の心の何もかもが見えているとしか思えなかった。文子の心に巻きつけた匂いの糸を通して、文子の心を覗いているのだろうか。そういえば声だとばかり思っていたが、糸の震えで文子の心に語りかけているようにも思えた。そうだとすると、声にしなくても文子が心の中で思うだけで、声の主に伝わるのかもしれなかった。
「わたしがいる世界には、物には形がある。物に形があるからこそ、それぞれに名前がついている。わたしは感覚によって外界にあるものを、事実という情報として感じ取り、それを名前という概念に結びつけて認識している。それが現実のわたしが生きている世界なの。だけど、目の前の世界には物に形も意味もなくなっているじゃない。そんな世界があるはずがない。そうよ、わたしは幻をみているのよ。目の前の世界は幻なの」と、文子が心で思った。
「あなたは認識としての世界しかあり得ないと信じ切って、その世界を疑うことを忘れてしまっている。でも、今あなたの目の前に広がっている世界もまた、違う意味での事実よ」
「言っていることが、わたしには分からない」
 風の仕業なのだろうか。それとも声の主が笑ったからだろうか。目の前の色の世界にぽっと光が射して華やぎ、色たちが一斉に揺らめき出した。そして、山桜の花の匂いが曼荼羅の森の奥からさざなみとなって、色をかき分けながらひたひたと打ち寄せてきた。
「あなたはどうして今、ここに立っているの」と、糸を震わせて声の主が訊いた。
 文子が黙っていると、また糸を震わせて「逢生(あおい)の里も、この逢生山(あおいやま)も、あなたは忘れてしまっていたはず。なのに今、遠くから漂ってくる微かな匂いをたぐり寄せるようにして記憶を呼び戻し、ここにこうして立っている」と言った。
 声の主の言うとおりだった。
文子が黙ったままでいたからだろう、「ねえ、どうしてここに立っていると思うの」と答えを催促された。
「一年前によみがえった、十九年前の記憶に導かれてここに辿り着いた」と、文子が言った。
「あなたの中に、忘れてしまったはずの十九年前の出来事が映像となって浮かび上がったのよね。どうして、映像が浮かび上がってきたと思う」
「満開の山桜の花の匂いに抱かれたから」
「山桜の花の匂いが映像を見せてくれたというのね」
 文子が頷くと、「山桜の花の匂いが十九年前の出来事と切っても切れない関係にあり、赤い糸で固く結ばれているのは確かよ。でも、山桜の花の匂いに映像を浮かび上がらせる力はない」
「だったら、わたしに映像を見せてくれたのは誰なの」
「あなたの心を覗いてみれば分かるはずよ」
 言われたままに、文子は自分自身の心へと下りていった。春霞にけぶった心は白く濁っていた。春霞を両手でかき分けるようにして答えを求めた。十九年前の出来事の映像にほだされた心の空間に、白い山桜の花びらがひらひらと舞っていた。文子の黒髪に、そして肩に花びらが舞い落ちた。手を胸の前に突き出して、掌を上にした。掌に白い花びらが舞い降りた。ふっと息を吹きかけた。掌から虚空へと身を投げた花びらが舞い上がり、はらはらと落ちてきて、文子の唇に貼りついた。十九年前の山桜の花との再会なので、鏡に向かった文子は迷うことなく唇を真っ赤なルージュで染め上げていた。真っ赤な薮椿の花の色だった。唇に貼りついた花びらに舌先を伸ばした。舌先についた花びらを飲み込んで、「さあ、誰なのか教えなさい」と心に向かって言った。「二〇一一年三月十一日」と答えが返ってきた。
「あなたの心は何て教えてくれたの」と声の主が訊いた。
「二〇一一年三月十一日が、わたしをここに連れてきた、と教えてくれた」と文子が答えると、「どうして、二〇一一年三月十一日が、あなたに十九年前の出来事の映像をみせてくれたと思う?」と重ねて訊いてきた。
 文子が夜桜と宵闇と生きたあの夜のめくるめく性の世界と、その翌年に山桜の花の匂いに抱かれて入っていった妖しの世界とが繋がっており、その根っこに、二〇一一年三月十一日があるということだけは文子は分かっていた。あの夜のめくるめく性の世界を生きてから始めた里山歩きもまた、その根っこに二〇一一年三月十一日があることもまた疑いようがなかった。
 が、あの夜の性の世界が何であったのか、どうして二〇一一年三月十一日が文子にあの夜を生きさせたのか、その理由が分からなかった。二〇一一年三月十一日があの夜を生きさせたのだとすれば、あの夜の性の世界にもまた重要な意味があるはずだった。しかし、どちらも謎のままだった。
 謎はそればかりではなかった。
 二〇一一年三月十一日と里山とがどう結びつき、どうして二〇一一年三月十一日が文子を里山へと向かわせるのか、その理由が分からなかった。忘れ去っていた十九年前の出来事を、鮮やかな色彩の映像にして見せてくれたのが二〇一一年三月十一日だとして、文子に何をさせたいのか、二〇一一年三月十一日の意図と目的とが分からなかった。そもそもが、二〇一一年三月十一日が文子にとってどんな意味があるのか、つかめないでいたのだった。
 ただ、文子の心を激しくゆさぶり、それまで考えたこともなかった、わたしはどう生きればいいのか、どう生きていきたいのか、という問いを突きつけてくるのだけは分かった。
 文子はそれらの謎にがんじがらめになっていた。文子の人生を大きく左右するものに思えたからだった。謎の根っこには二〇一一年三月十一日があることだけは間違いなかった。文子にとっての二〇一一年三月十一日は過去の忌まわしい出来事ではなかった。これからの文子の生と関わるものだった。だから単なる記憶として色あせることはなかった。ましてや風化することなどあり得なかった。
 謎を解く手がかりを求めて文子は、それまで手にしたことがないような書物を読みあさるようになっていた。
 一つ大きなため息をつくと、「分からない……。分からないの」と文子が呟くようにして言った。
 糸が激しく震え出した。切れてしまいそうなほどの激しさだった。
「文子、あなたはずっとあの男の子を追い求めていた」
 二〇一一年三月十一日から話が逸れてしまっていた。頭がついていけずに文子が「男の子」と確認すると、「そう、十九年前にめぐり逢った男の子」と声の主が言った。
「忘れてしまっていたのに、ずっと追い求めていただなんて、おかしい」
「あの男の子が、あなたの初恋の男(ひと)だった。ううん、運命の男(ひと)だった」
「そんなはずはない」と、即座に文子は否定した。否定したはずなのに、逆に心が騒ぎ出した。
「だって、わたしは忘れてしまっていたのよ。初恋の男(ひと)なら忘れたりしないはずでしょ」と、文子が自分自身を詰(なじ)った。
「文子、あの男の子は二〇一一年三月十一日とつながっている。だから二〇一一年三月十一日を生きたことで、あなたがずっと隠してきたあの男の子への恋心を、もうどうにも押さえつけて置くことができなくなったのよ。あなたは薄々、それに気づいていた」と声がした。文子がこれまで心の奥深くに隠しておいた本心なのだろうか。声が消えると同時に、心に絡まりついていた糸が切れた。
 山の麓の方から、風が駆け上がってくる気配がした。うす黄緑色に透き通ったスカートを風にめくりあげられたからなのだろうか。芽吹いたばかりのブナの若葉たちの華やいだ嬌声がする。目の前の曼荼羅の森がゆらゆらと揺れ出した。
 揺れが止むと、「お前が話していたのは誰じゃと思うか」と声がした。明らかに先程までの声と違っていた。年老いた女の声のようでもあり、年老いた男の声のようでもあった。
 文子が「山桜の花の精」と答えた。
「お前は、お前自身と話していたのじゃ」
「わたし自身と……」
「お前は、お前の心の奥深くに沈んでいる無意識と話をしていたのじゃぞ」
「無意識と?」と文子が訊くと「そうじゃ。無意識じゃ」と声の主が言った。
「文子、お前は意識と無意識の境に立っておるのじゃ。そして、意識と無意識との間で会話をしていたのじゃよ」
 声の主が言っていることが、分かるようで分からなかった。
「目の前に広がる曼荼羅の森もまた、無意識の世界じゃ。じゃが、お前が会話していたお前の心にひそんでいる無意識の世界ではない。この逢生(あおい)の里と逢生(あおい)の森と山と、お前の無意識と、そして十九年前にお前が恋した男の子の無意識とが混ざり合い、絡まり合って、共同で作り出したより高い次元の無意識の世界じゃ」
 文子が首を左右に振った。
「信じられないのは無理もない。じゃが、お前の心の奥深くにひそんでいる無意識の闇とは、お前であって、お前を超えたものじゃ。気の遠くなる森の記憶と繋がっており、お前が心を寄せる男の子の心の無意識とも繋がっておるのじゃぞ。人はそのことを忘れてしまったのじゃ。忘れてしまったから、意識だけが独り歩きを始めて、暴走を始めたのじゃな。この世にあって唯一無二の自我として切り離されてしまった人の意識は、主観と客観という二元論の認識という罠にはまって、客観的な事実だけを神として崇めるようになってしまったのじゃよ。そして、無意識の世界を殺してしまったのじゃ。だから人は今ここに立っているお前のように、意識と無意識の境に立つことなどできなくなってしまったのじゃな。愚かなことじゃ」
 声の主が一つ咳払いをしてから、「お前をここに立たしたのは、二〇一一年三月十一日だ」と言ってから、「そうじゃな」と訊いた。「はい」と答えると、「お前は、どうして二〇一一年三月十一日がここにお前を立たせたのか、知りたいのじゃろ。そして、二〇一一年三月十一日とは何なのか、知りたいのじゃろ」と訊いた。
 文子が頷くと、声の主が「それを知ることで、これからどう生きればいいか、どう生きたいのか、お前は分かるはずだと考えておる」と言った。
「そうです」
「それだけではなかろう」
「えっ?」と文子が声を上げると声の主が「正直になるのじゃ」と言った。
「山桜の花の匂いに抱かれて、十九年前の出来事の映像を見せられた。その映像を見せられたわたしは、あのときにめぐり逢った男の子に恋をし、ずっと追い求めていたことに気づかされたのです」
「よかろう」と言った声の主は一呼吸置いてから、「文子、お前の生にとっての二〇一一年三月十一日とは何なのか、その答えを求める旅が、ここから始まるのじゃ。そして、お前が恋い焦がれている男を探し求める旅が、この曼荼羅の森から始まるのじゃ」と言った。
 目の前の曼荼羅の森が騒ぎ出した。
「さあ、曼荼羅の森に入っていくのじゃ」と声で手招きした。
 文子が曼荼羅の森へと足を踏み入れた。


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