一年前から、スーツのいいのが欲しいと思っていた。
アラカンであればこその願い、現役生活最後の背広をどんな風に選ぼうか。
仕立てに縁のない私は、おのずと百貨店の既製服コーナーに足を向けるが、最近は、きらびやかなショップの雰囲気になじめない。
こちらがなんだか品定めされているみたいだ。
しかしながら色々なセレモニーや行事も年明けに続くこともあり、ええい!ままよ!と、清水の舞台から飛び降りるように、ブランドばかりが並ぶデパートのフロアに身を置くこととなった。
さいわい、サポートしてくれた女性の店員さんがうまくリードしてくれて、満足できるスーツを選ぶことができた。
スーツってなんだろう、ファッションとはなんだろう。それは見られることを目的とし、さりげなく目立たないことを同時に目指すアンビバレンツでできているようで・・・。
たったひとつの衣服を決めるのに1時間を要することって、あるいはとても重要な社会的行為であるようにも思えて、おそろしい。こんなこと、学校では教えてくれなかったよ!
それから向かったのが、最近梅田(正確には茶屋町)にできた巨大な書店ビル。
某○○書店と、某○善との共同事業らしい。
ネーミングは「チャスカ茶屋町」。
選べて、読めて、お茶も飲める、お客様本位の自由度の高いスポット。
そこへ、詩人茨木のり子さんの本を探しに行った。
安藤忠雄さんの設計による空間は光に満ち、書物それぞれの配列も好ましい。
美しい童話の本なんかもあった。
探しに行ったのは後藤正治著『清冽 詩人茨木のり子の肖像』(中央公論社)。
戦中世代である茨木さんがかつて求め続けた「自由」。
50代を迎えた茨木さんがわかった自由の意味、それは『寂寥だけが道連れ』の日々であるということ。
『茨木のり子の家』という写真集が素晴らしかった。死後のことについて、遺体はすぐに荼毘に付すこと、通夜や葬儀に偲ぶ会など一切不要。詩碑なども断る。
そしてあらかじめ用意された知人たちへの「別れの手紙」。
日付と死因の箇所だけが空白となっていた。
1958年に建てられ甥夫婦によって大切に維持されているという『茨木のり子の家』の写真たちは、圧倒的な存在感を持っていた。
それは彼女の、ひとつの詩作品のようで。そうして一番、詩人その人を身近に感じるような作品だった。
私は何も買うのを止め、外に出た。彼女の本には、近々図書館を通じてあらためて出会うことにしよう。
外はすっかり冬本番。明日は日本中が大雪らしい。
帰ったら、山本潤子&伊勢正三のコンサートの様子を、画像で楽しんでみたくなった。
「清冽」は、いろいろな場所にあるのかもしれないな。同時にかけがえのないものとして。
この頃気になっている、伊勢正三&山本潤子さんのチームによるコンサート。
行ってみたいと思う。
天才伊勢正三ではあるが、なぜに、あの山本潤子さんを従えながら歌えるのか?
それがなぜ、よいコンサートになっているのか?
アラカンおじさんにとっての謎は尽きないのであった。
伊勢正三&山本潤子さんで、『青い夏』。